「禅の響 -ZEN no OTO- | 有時 」365日✖️生きている歳だけ
日々は繰り返される。
時が制約され命を渡された時から、それは始まる。
どうすれば、この理から抜け出せるのか。
この苦しみは輪廻として続くのか。
しかし、その小さな枠組みの理もまた、小さな有時でしかなく、
また大きな有時が永遠に続くだけのことである。
眠りにつく時、いつも時間の概念がなくなる瞬間を怖く思う。本当は知っている。無意識として繋がる事が、命の役目である事を。それを身体が真っ向から拒否するのだ。
朝、目覚めた時、この時間という制約にいる事に心地よさを感じる。それは一つの甘えに似たような感情。暖かく、気だるく、時間が続く事を楽しむ。
こうした繰り返しは365日✖️生きている歳だけ続く。そうして、命を失い、また人間としてか、また違う生命体としてか、生まれ変わった時、寂しさと共に、この有時という感謝に触れ、356日✖️生きている歳だけ繰り返される。
この有時が明日、明後日、生まれ変わった先までも、苦痛ではなく、幸せに包まれる事を心から祈っている。私という存在だけでなく、全ての存在に。
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