フリーライティング#23 書きやがれ
私とは何か、という問いについて以前はよく考えていた気がするが、最近めっきり遠ざかっていた。
それは多分「私とはこうだと分かった」でなく、「私について考える必要がなくなった」でもなく、おそらくは「私という存在の証明に、何かを為した証が必要なわけではない」ことに気付いたからなのだと思う。
個人は成果の集合体ではなく、体験の集合体である。よくよく考えれば当たり前のことなのだが、つい(さまざまなレベルでの)成果を求めてしまう。比較と競争の蔓延る現代の病。
今なら分かる。『マハーバーラタ』の挿話「バガヴァッド・ギーター」の中にある“成果を放擲してひたすらに行為をなせ”といった文言の意味が。いやいやそれすらもきっと必要ない、ただただ生かされているという体験の総和のままで良いのだ、私は。
強いて言うなら、書くという体験と、書かれた体験(フィクションを含め)を自分に加えていきたいものだ。そんなに気負うことはない。
駄作が頬に貼り付いてペロンペロンに風に吹かれていたって、大海をのぞむ丈夫の出立ちをしてればいいのさ。
さあ、書きやがれ、私よ。
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