小説『あれもこれもそれも』3-4
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小説『あれもこれもそれも』
story 3. 時の木陰にて -4
数年に1回、不定期に開催される高校3年のクラス会。地元の近場で集まれる人だけに声がかかる小規模なものであったが、他のクラスの話を聞くと、それはかなり頻度の多い方だと知った。中心的な人物がいることと、男女がそれなりに仲良かったことが大きいだろう。
私は毎回参加ではなかったが、この前は結婚してからたしか2回目の参加であった。姓が変わったことも母になったことも何も特別ではなく受け入れられている。
しかし最近SNSなどで旧姓に戻っている友人を見かけることが一度や二度ではなくなって、クラス会の中の会話でも夫婦仲に関して不穏な内容がちらほら聞こえてきていた。私たちも結婚して8年目、麻衣が生まれて6年が経った。決してひとごとではなかったのだ。
夫が単身赴任から帰ってきた頃に感じていた違和感が、実際に女の影を匂わすようになったのは今年の春頃からだ。元々マイペースで、何を考えているか察しにくい人ではあったが、その瞳にこれまでにない、とろみのある熱が宿っているのを、私は見逃さなかった。
定期的に訪れるその瞳の変化は、ある店に飲みに行く日から始まり、2-3日続いたと思ったら、いつの間にか消えている。橙色に燃えて柔らかくなったガラスが色をなくして固まっていくような、そんな情景の繰り返しだ。
店はおそらく駅前にある〈つれづれ〉というラウンジ。検索したがホームページはなくて、どんな店か想像も及ばない。しかし店のママの名刺を隠すことなく部屋の机の上に置いているところをみると、それほどいかがわしい店ではないのかもしれない。
ある夜、偶然夫のジャケットを手に取ったとき、もう1枚の名刺が内ポケットから出てきた。メグミという女性……おそらく彼女が夫の不倫相手だろう。真偽の間を逡巡したのは一瞬のことで、疑惑は私の中ですぐに確信に変わった。根拠はないが、問いただす必要も感じていなかった。本人に真相を問うことなんかよりも先に、準備をする必要に迫られたのだ。それは、自分と娘の人生に保険をかけておくことだ。
あの日、弁護士の久野くんと一言も交わさなかったのはやはり大きな失敗だった。後から改めて小春に紹介してもらって会うのは気が進まない。自分から行動を起こすのはどうもハードルが高い。
しかし、やはり長い付き合いの友人は私のことをよく分かっている。もう一つの話、つまり新しい恋の予兆がなかったわけではない。よくある話だが新しい恋とは……古い恋の再来のことだ。こう言ってしまっては身も蓋もないが、それは精神的な保険として今の私を支えてくれるようだった。
同窓会の日、森井くんと会ったのは高校卒業以来だった。温和で友好的だった彼が高校卒業後、誰になんの連絡もなく一切の行方をくらましたことは、同窓生に大きな動揺を与えた。成人式で顔を見せることもなく、一時は死亡説が流れたこともあった。
しかし彼は1年半ほど前に何気なくSNS上に現れ、何事もなかったかのように同窓会に合流したという。その空白の期間のことを、彼と特に仲が良かった友人たちが知っているかどうか、私は知らない。同窓会の席ではタブー視されているような雰囲気があったし、私もそれを知りたいとは思わなかった。
過去との間にある空白の純度が高いほど、美しい思い出の輝きは直接胸に差し込むものだから、わざわざ無粋な情報を仕入れる必要はない。そんなことより、森井くんの優しい目元も、ぽかんと少しだけ開いたマヌケそうな口も当時のままだった。そこに大きな時間の隔たりがあることなど忘れさせるほどに。
私たちの通っていた高校では試験期間中だけ名前の順で座らせられた。私の旧姓は森田だから、高校3年のときは森井くんの背中が目の前にあった。試験期間中にもかかわらず、彼は休み時間になると、カタカナが多く文字の細かい文庫本をひたすら読み耽っていた。みんな直前の詰め込みで切羽詰まるなか、彼の周りだけはそよ風が吹き抜ける庭の木陰のようだった。では彼は試験が余裕で、取り立てて頭が良かったかというとそうでもなくて、成績はおそらく中の中くらいだった。
「ねえ森井くん、何読んでるの?」
彼の秘密を暴くべく声をかけたのは一学期の期末試験の最後の科目の前だったと思う。
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