出し惜しみのルビー【掌編1000字】
「ねぇ、そのルビーをひとつくださらない? アレース、あなたの愛の印として」
美丈夫のよく発達した肩にしなだれかかる美女。美と性愛の女神アプロディーテの顔は、寝床の傍らに置かれた猛々しい甲冑へと向けられていた。
男の眉がぴくりと動く。
〈ふん、なんて図々しい女だ。この軍神の甲冑を飾る勝利の紅玉を所望するなんて。いや、しかし図々しくなるのも仕方ないか。これほどの美貌に媚態だものな〉
アレースは自らの栄誉と絶世の美女とを天秤に掛け、そのどちらもが惜しくなり、一計を案じることにした。
「ああ、もちろんだともアプロディーテ。君が望む物を捧げない男などこの世にいるものか」
〈……俺以外はな〉
甲冑の紅玉を外すフリをして、手元で柘榴の実を凝集させた。そうしてすっかりルビーに似せた実がアプロディーテに差し出された。
「ありがとう」
その精巧さは女神の眼をもまんまと欺いたのだった。
*
「最近、帰りが遅くて心配しているんだよ」
鏡に向かうアプロディーテに声をかけたのは、不仲の夫ヘーパイストス。妻の耳の下では見慣れない紅玉が揺れている。
「おや、素敵な耳飾りだ。ルビーかい?」
「イヤっ! 触らないで!!」
アプロディーテは叫声を上げ、その手を強く振り払った。
諍いに、傍で居眠りをしていたお付きの鸚鵡が目を覚ますと、寝ぼけて勝手にお喋りを始めた。
「ルビーヲヒトツクダサラナイ、アレース、アナタノ愛ノ印トシテ」
青ざめるアプロディーテ。咄嗟に耳飾りの紅玉を手に取り、鸚鵡の嘴に押し込んだ。
しかし鸚鵡はその柘榴を噛み砕き、一口で飲み込んでしまった。
「アレース、イケメン、アレース、アイシテル、へーパイストス、ブサイク、へーパイストス、イヤ、キライ!」
「……は、ははは、ど、どこでこんな言葉を覚えたんだ? この鸚鵡は」
「……ほ、ほほほ、本当よねぇ。最近の鸚鵡は聞いたことのない言葉でも喋るようになるみたいね」
それから1ヶ月後のことだった。
ヘーパイストスによるアプロディーテとアレースの捕縛が決行されたのは。
◇