見出し画像

吐息のポリフォニー

 このテキストは思い込みと妄想を主成分としてテキトーに練り上げた製品となっております。お口に合わない場合のクレームは受け付けておりませんので、先にご了承ください。

 エッセイを書こうとするとき、たったひとつのフレーズから閃いて瞬時に文章が展開することもあれば、ああでもないこうでもないと頭を悩ませながら時間を費やす場合もある。小説や論説で前者のパターンは少ない。詩的というと語弊があるが、エッセイにはたぶんに啓示的な要素を含んでいる。
 元号が「令和」になるからといって、何かが終わるとも区切られるとも思えない。けれど今日のテーマについては平成のうちに書いておきたかった。僕に啓示をもたらしたある曲の歌詞のワンフレーズについて。

大キライ 大キライ 大キライ 大スキ Ah

 『なんだこれは!?』
 〈少年れんと〉は目を丸くしてテレビに釘付けになった。ほんの少し前にブリブリの衣装を着て男に媚びるような歌詞の曲を歌っていたはずのアイドルグループ。それが今目の前で、聞き慣れないグルーヴに乗せて、セクシー風に意味深長なことを歌っていた(しかもなんか人数増えてない??)。
 そう、モーニング娘。の2ndシングル「サマーナイトタウン」のサビのことだ。5つ年下の女性が「この曲って売れたんですか?」などと、のたまっていたので、もしかしたらそれほど知名度の高い曲ではないのかもしれない。「LOVEマシーン」や「恋愛レボリューション21」に比べたら、とうぜん知らない人が多い曲だと思う。しかしよくある話だが、代表曲と名曲は違う。ここでは彼女たちの数ある名曲の中から代表として「サマーナイトタウン」を取り上げて、僕の気持ち悪いほどの〈スキ〉を伝えたい。

 キーワードは「ステレオタイプからの脱却」。先日ジェンダーバイアスの話題でエッセイを書いて、多くの人に読んで頂いた。そこでも「サマーナイトタウン」は取り上げようと思ったのだが、絶対に比重が偏ってしまうと思い、改めて今回書くことにした。

 今になってみれば異様だったとも言える90年代J-POP界の盛り上がりの中で、彼女たちは彗星の如く現れた。シャ乱Qプロデュース、オーディション番組、楽曲制作の課程を見せるなど、さまざまな戦略(!?)が功を奏して、彼女たちは瞬く間に有名になった。
 そんな中でリリースされた「サマーナイトタウン」は多くの歌番組で取り上げられ、メディアでも街中でもほぼ毎日耳にした。
 初めて聞いた時に激しい電撃を食らい、そののち幾度となく繰り返される「大キライ×3, 大スキ Ah」の中で、脳がとろけるような感覚に陥っていた。決して彼女たちの色気に陶酔していたわけではないよ(色気に乏しいメンバーもいたし←)。

 僕は混乱していたのだと思う。その歌詞の意味しようとするところにではない。歌詞の世界をそっくりそのまま受容し共感してしまったことに、戸惑ったのだ。そして直感した。どうも歌詞には不思議な作用があるな。情調を表現するだけではない、人をすっぽりと納得させてしまうような妙な力がある

 「サマーナイトタウン」の歌詞は、「女性の強がり」と読むのが通説(そんなんあるのか?w)かもしれない。つまり「大キライだなんて強がって言ってるけど、本当は大スキなんだよ」というコンテキストで読むことだ。実際、歌詞の他の部分には強がりを仄めかす箇所がしっかりとある。しかしこれだと一部の男性たちが理想化するような女性像が出来上がってしまう。明らかにジェンダーステレオタイプだ。これを男性の立場から読んでしまうと「キライだなんて強がって言ってるけど、本当は好きなんだろ?」。セカンドレイプに通ずる思考になってしまいそうですごくイヤ。

 僕はこう思う。感情には作用と反作用がある。その感情の一面を示す言葉は確かにあるけれど、案外アテにならないものだ。恋する人は「好き」と「嫌い」の間を常に振動している。加えて「わたし」と「あなた」の関係の中で、「所有」の観念のもとに、主体と客体の区別がつかなくなるような振動さえある。その目まぐるしいダイナミズムを、理性では「好き」だの「嫌い」だの断定し、一言に落としこめたがる。
 だから一方的な「愛してる」や「大好き」だけだと、どうも嘘っぽく感じられてしまう。他方で「愛してるって最近言わなくなったのは本当にあなたを愛しはじめたから」などは言い得て妙なのだろう。
 「大キライ×3, 大スキ Ah」を、強がりからの観念のコンテクストとして捉えるのは一面的な見方だ。実はそれも含めて、恋愛感情を丸ごと体現している。モーニング娘。の歌詞が僕の胸を打つのは、恋の世界を表現することにおいて妥協を許していないからだと思う。一見すると珍奇な歌詞も、実は高次の表現のために用いられている。

 概して、女性の語る恋愛の世界はストレートではない。しかし「恋する女って複雑でしょ?」とか「女の恋ってめんどくさいな」などと思わないでほしい。おそらく男だって負けず劣らず、複雑で面倒くさい恋の世界を持っている。ただ男には男の堅固なジェンダーステレオタイプがあって、それゆえ表現するときに妥協を許してしまう。手抜きをしてステレオタイプの表現をすれば、「君を守りたいオレ」か「君を守れない最低なオレ」に二分化されやすいというだけだ。本当は「守りたい  守りたい  守りたい  守れない  Oh」くらいの複雑さはあるのに。男性の歌にも、バイアスから解き放たれた素敵な歌が増えてくれるように切に願う。つまり自分を表現するのに妥協すんなって話だ。妥協ばかりしてると、いつのまにかステレオタイプに陥ってしまうから

 ひと昔前には「女性は感情的で、男性は理性的な生き物だ」という迷信があった。この言葉は一部の男性の口からしか出てこない。男女関わらず、これに対して「男女関係なく人によるよね」と中立的な立場に立ってあしらうのも違うと僕は思っている。なぜなら「感情的だ(ゆえに人を困らせる)」という表現は、女性を貶める文脈に限って、古今東西において男性の口から発せられてきたからだ。ここには男女の対比や対概念ではなく優劣関係が隠されている。都合の悪さを男女の対比構造のなかに隠蔽してしまえという意図がある。
 もしも古代に女性優位の社会が成立していたとしたら、男性が感情的ということになっていたかもしれない。もしくは理性的という言葉に否定的なニュアンスが植え付けられたかもしれない。言葉は生き物だから、これからそうなるかもしれない。言葉というものには、そのくらい危険を孕んでいる。。。

 案の定、話題が変な方向に逸れてしまった。話を「サマーナイトタウン」に戻そう。末尾にアレについて……意味があるのかどうかも分からない「Ah」に触れてから終わろうと思う。
 「Ah」って何だよ!?  〈少年れんと〉は頭を抱えた。一般的に歌中の「Ah」や「Oh」「Wow」が意味を持つことは少ない。なのにこの曲では吐息の含意によって、「大キライ×3 大スキ」が如何様にも変化してしまうじゃあないか。

 もし「Ah」が「あぁ、やんなっちゃう」ならば、定説通りの強がりにもなるだろう。もし「Ah」が「な〜んてね」なら、男を手玉に取る悪女の歌になる。または「Ah  めんどくさいからこの恋や〜めた!」なんかだったら、さらに面白い歌になる。

 おもうに「Ah」ひとつで、「サマーナイトタウン」は諦念にもなり、決意にも誘惑にも嘘にさえ姿を変える。この多義性は若かりし僕には刺激的で、あまりに魅惑的な詩的言語だった。それだけでなくここには、ステレオタイプから人を脱却させる〈まじないの響き〉が込められている。吐息のポリフォニーは、平成の僕を魅了してやまなかったのだ。



……


……


……


いったいなんだ、この記事は???
お目汚し失礼( ̄∀ ̄)




いいなと思ったら応援しよう!

矢口れんと
ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!