反芻とイマココ 【短詩ふたつと雑記】
苛々していた。苛々と怒りとはまったく別のものであるが、この時は曇天の下で混同してしまった。
退廃に堕ちたとき、気分と感情の違いなんぞに何の意味もない。大事なことは旧い脳を発火させられるか否かだ。歌えば許されると思っている。正直、踊れば許されると思っている。
運命的な出来事があった。しかしそこに至るまでに何の論理も因果も見出せなくて、あれも違う、これも違う、それも違う、と否定をしていったら、ああコレが運命なのかと得心してしまった。詩と科学が融合するときとは、こういうことなのだと思う。
もっと巧く詠みたかったと思わないでもないが、それを願うまでは至らない。こんなもんでいいと思っている。
下手に上達するよりも、出まかせみたいに素早く口からポンと出せる方がいい。今回みたいに、たとえ運命が相手だとしても。
メランコリックな僕は、詩で想いを反芻するよりも、俳句で「今ここ」を追求する方が向いているのかも、とか思わないでもない(政治家か👋ミ)
俳句 de マインドフルネスみたいな(なんだそれは?)
年を取ってきて、自分の負の感情をデコレーションケーキにすることはバカらしくなってきた。かといって繊細緻密な和菓子を練習してきたわけでもない。
いまだから書ける詩もあるのではないかと思いたいのだが、もしかしたらないのかもしれない。
ひとまずうまくいかなくても続けることが大事なのだと、僕の全細胞は学び尽くしてきたのである。推敲なしの雑記で失礼した。
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