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大人になったライナスも


子どもの頃からずっともっている
布がある。

おふとん と呼んでいる布

はじめは1歳半の頃
泣きながら潜り込んだシーツが
不思議な具合にしっくりきた。(らしい)
そのままそのシーツを掴んで
布団から引き剥がして生活しはじめた。
そこから今日まで共に暮らしてきた

ほんとうに肌身離さずもっていたので
引きずられ摺り合わせられ
どんどん摩耗して小さくなっていく。
空いた穴からテレビを見て
顔全体をきもちよくしたりした。

小さく小さくなっていき
小3のある日
おふとんは消滅した。

それからは何をしてても心もとない。
給食が揚げパンでも喜べない
だっておふとんがないんだもの。
上級生のお姉さんに頭を撫でられても嬉しくない
だっておふとんがないんだもの。

そんな生活が半年ほど続いた頃
親戚のおばさんが東京からやってきて
お土産だよと風呂敷からお菓子を出してくれた。
やったーと言って風呂敷に手が触れた瞬間

「あ、これ おふとんだ。」

と思った。
生地は前のシーツとはちがうものの
触ったときの気持ちよさは完全におふとん。

お菓子は見ずにずっと風呂敷を
触っていたら、おばさんが
そんなに気に入ったんならあげるよ。
と言ってくれた。

そのときは頼むべくもなく、触った瞬間
自分のものだと思っていたから
便宜上のお礼しか言わなかったけど、
今になって考えるとほんとうにありがたい。

そこからまた、私とおふとんの
生活が始まった。
眼鏡と顔の間に挟んで眼球を癒したり
右手に巻き付けて
癒しと同時進行でテスト勉強をしたりした。
腹痛も咽頭痛も骨折痛も頭痛も
ぜんぶおふとんが治してくれた。

そしてその2代目おふとんも
どんどん摩耗していき、ある日消滅した。

その頃には高校生になっていたので
前回のような虚無には陥らなかった。
おふとんを持たないほかの子たちと
同じように過ごした。

そしてまた1年ほどたったころ
祖母のお見舞いに病院へ行ったとき
「その巾着袋にお菓子が入ってるからたべんね」
と祖母が言った。
その布製の袋を手に取ったとき
久しぶりのアレがきた

「あ、これ おふとんだ。」

すぐに
「この袋ちょうだい」と言った。
もちろん祖母はくれる。

形状は違えどお菓子が入っていたという
2代目おふとんとの共通点に気がついたのは今。

帰ってすぐに袋から布だけ剥がして
いつでもたくさん触れるようにした。

そのおふとんは今でも持っている。
相変わらず
頭痛も咽頭痛も治してくれる。


このおふとんも、いつか消滅するだろう。

でもきっとまた出逢う。

何度でも生まれ変わって
私の元にあいにきてくれる。

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