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池波正太郎「幕末遊撃隊」は明治維新へのタイムマシン

2022年に会津へ観光に出かけてから、会津藩に興味を持ち始め幕末に関する時代小説を読むようになった。それまでは「白虎隊」の印象が強く、哀しいお話しを避けていたように思う。

今回の主人公は、幕末の名剣士、伊庭八郎だ。
私は初めて聞いた名前だった。
代々にわたる心形刀流の道場で、江戸でも名流とうたわれた剣家に生まれている。

天才と言うほどの名剣士で、江戸ざむらいの人間的魅力を持ち、二十歳そこそこで酒も女も料理もたしなむゆとりを持った「伊庭八郎」に惹きつけられていく。

伊庭八郎は、幕臣としての道を貫き通し、明治2年、箱館の地でわずか27歳の生涯を終えた。

負け戦とわかっているのに何故行くのかと聞かれ、伊庭八郎は2人にこう答えている。

「一滴の血も流さず、三百年におよんだ天下の権を、将軍みずからが、さっさと手放したのだ。こいつは、いまだかつて、我が国の歴史になかったものですぜ。こんな新しい事はないと、私は思いますね。ところがだ、薩長の奴らは、あくまでも、こんな新しいことをやってのけた徳川の息の根をとめなくては、安心して眠れねえらしい。むりやりに、こっちを戦争に引きずり込み、牙をならして飛びかかってきた。こいつは織田・豊臣のころの天下取りと同じようなもんです。何が新しいことがあるもんか。」

「私はねえ、薩長の奴らばかりが日本人だということになったら、困ると思いますよ。徳川三百年の治政の是非はともあれ、ともかく慶喜公は、戦争を防ごうとなされ、みずから、すべてを投げ出されたので。このことを後の世にまで、わかってもらいたいと、私は思いますねぇ。このまま、じいっと頭を下げて、官軍のいうなりになってしまえば、奴らのしたことの、全部の全部が、正しいことになってしまいますからねえ」

幕末の激動の中、切ない男女の関係、男の友情、伊庭八郎の生きざまが尊く、愛おしくなる。

解説で、佐藤隆介が書いている一部を引用します。

現代社会というものが、何もないところからいきなり出て来たものではなく、歴史の流れの必然的な結果として存在する以上、われわれが明治維新の本質とその意義を考えなおすことの重要性は、いくら強調してもし過ぎることはないだろう。それだからこそ、私は、この一編を現代人必読の価値ある小説と断じてはばからない。この”幕末遊撃隊”という歴史小説は、現代つまり自分自身の時代について考えるために、必ず読まなければならぬ作品のひとつである。

「幕末遊撃隊」は、伊庭八郎と言う魅力的な人物の発見と、明治維新について考えさせられた忘れられない一冊になった。
本当におススメです、是非読んでほしいです。


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