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精神疾患に対する偏見

カンボジアの産婦人科では、日本のようにいろいろな検査はしません。エコーだけです。
検尿しないので尿タンパクも尿糖もわかりません。
血圧も体重も計りません。
クラミジアや梅毒やB型肝炎など諸々の感染症の検査も、貧血検査も妊婦の血液型検査もありません。
子宮頸癌の検査やNSTなんかもちろんありません。
マジでエコーだけです。私が通ったプノンペンの病院ではエコーだけで1回の診察に35$取られました。
大きな病院じゃなくて個人病院だからエコーだけなのかもしれないですけど、その個人病院の先生は他の医者からの評判がすこぶる最高の女医なので、カンボジアで最高レベルの医療にアクセスできているはず、だと思っていたんですが。
やっぱりちゃんといろんな検査を受けて無事に出産したいなあ。と思いました。初めての妊娠だし。
日本に里帰りして妊婦検診を受け、そのまま日本で出産することにしました。夫としばらく離れるのはつらいですが。

妊娠30週くらいで助産師外来を受けました。
優しそうに微笑みを浮かべる、ベテランぽい助産師さんが担当してくれました。
問診票みたいな紙を記入するよう促され、その中に「現在または過去に罹患した病気」と、「現在服用している薬」を尋ねる項目があったので、素直にうつ病、適応障害、〇〇(←飲んでる抗うつ剤名)と、それぞれ記入しました。医療者に隠すべき情報ではないので、初めての検診時から母子手帳にも書いていました。
でも今の今まで母子手帳のその記入を見落とされてしまっていました。初めて知ったかのような対応をされました。
抗うつ薬の服用は続けていいのか、服用しながら授乳していいのかなど助産師さんがお医者さんと確認してくれました。
妊娠中も授乳中も薬は飲み続けていいし、薬が母乳を介して赤ちゃんに移行するデメリットより母乳育児のメリットのほうが大きいとのことです。
ただ出産後、赤ちゃんは保育器に入れられて経過観察をされるそう。
何事もないといいな。

助産師さんに「何かつらいことはないですか」と聞かれて、当時わりと情緒不安定だった私は沈黙ののち泣き出してしまいました。
涙は出てくるのに、つらい気持ちをうまく言語化できなくて喋れませんでした。黙ってボロボロ泣く妊婦、迷惑だっただろうな。
ただただ、妊娠とともに体の自由がきかなくなって、日常生活のいろんなことが思うようにできなくなっていくことがつらい、とだけ、なんとか言えました。
周産期は精神的に病むリスクが高く、自殺してしまう妊産婦さんが多いらしいです。リスクのありそうな人は病院側で拾い上げて注意深く見守らなきゃいけないんだろうな、というのはわかっているけど、初めて会った助産師さんにいきなり心を開いて話すのはしんどい。

その助産師さんは、圏内のとても評判の良い心療内科をお勧めしてくれました。
心療内科ってどこもクチコミはボロクソ書かれるものなのに、調べたらそこのクチコミ評価は本当に高かったです。
ただ、助産師さんが「私は別にそこのクリニックに通ってたわけじゃないですよ、私は頭おかしいとかじゃないので」と慌てて話したのが引っかかりました。
心療内科にかかる=頭おかしい、という偏見を医療者でさえ持ってるのか。。
やっぱりね、という気持ちと、精神疾患に対する偏見への絶望とが入り交じって、この助産師さんに心を開く勇気がすっかりなくなりました。

見出しの写真は、今年の冬に読んだ「心の病気ってなんだろう?」松本卓也(平凡社)です。
明治〜大正の日本には十分に精神科病院がなく、精神疾患を患った人は「私宅監置」と言って、座敷牢に閉じ込められて社会から排除されていました。当時の精神科医である呉秀三 (くれしゅうぞう)という人は、日本全国の私宅監置の状況を調査しました。それを記録した著書の中で、「わが国に十何万といる心の病気の患者さんは、この病気になったという不幸の他に、この国に生まれたという不幸も重なって苦しんでいるというべきである」と書いています。

社会の、精神疾患に対する無理解が、二重に精神疾患の患者を苦しめている状況だということですね。

ここまで。さようなら。

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