【短編小説】千年帆走②
かくして冠の獅子ことピラミッドは、あっけなく海の底に沈んだ。死せる王たちの墓守とも呼ばれたタテモノノカミの一柱にしては、あっけない最期ではあったけど、タテモノノカミの死は往々にしてそんなものだ。
金字塔と一体化した頭部が跡形もなく磨り潰されて、ライオンに模した四つの爪がもがくが、異常な自己増殖を千年間繰り返してきた鋼の大蛇の躯体の前ではその必死さも虚しい。ライオンが力なく、前伏せ体勢で海に倒れこんだ。墓守の大ライオンが千年も渡って守ってきた墓の中身を、海水が瞬く間に流し尽くす。
巨大獣同士のぶつかり合いに紛れて、海の底に潜むモノたちもここぞとばかりにライオンの残骸によってたかった。
石版の部屋に入り込むのはハイウェイタコ。備わった十八本もある高架橋を触手にして器用に動かし、見境なく石版をことごとくひっ剝がす。それを放射状に広がる触手の中心にある口にぶち込むと、石版に刻まれたある歴史も記憶もなにもかも擦り潰して飲み込む。いずれは古臭い石版たちは真新しい高架橋に生まれ変わるだろう。
泡を掻き立てて沈むライオンの瓦礫の周囲に、水路クラゲの群れが泡の大気流の直撃を受けて、輝く海面を背に一斉にくるくると縦回転しだした。必要最小限しか骨格を持たない水路クラゲは体内のほとんどが循環する真水。流れに身を任せる彼らにとってはこの騒ぎは災難に等しい。
海底近くにいつの間にか、駐車ウニが大勢に集まったが、彼らがとった行動というと、針を伸ばして落ちていく瓦礫が勝手に引っかかるのをひたすら待ってるだけ。ウニたちはタテモノとしての本能にそって動いてるが、やってくるのは瓦礫であり、『車』ではないと理解してるとは言い難い。そもそも『車』とは何か、駐車場である自分は何のためのタテモノなのか、ウニたちは深く考えない。この海では問いも答えもただ飲み込むだけだから。
騒々しくなった海。役者たちが次から次へと揃っていく。団地イカが駆けつけてきて、ハイウェイタコといがみ合う。その上に火葬場ウミカメが我関せずに通りかかって、『遺体』を燃やすべく瓦礫の中に入り込む。わらわらと、色とりどりと発光する小魚の大群が殺到してきた。彼らは宴会場の一種だろう。小魚たちがこれといった目的もなく、ひたすらに泳ぎ回ってはほかのタテモノたちを取り巻いて、やがて全員を巻き込む大回転となった。発する万色の光がイルミネーションとなり、寒々とした海をけたたましく彩る。
八百万のタテモノノカミが思い思いにやってきて、好き放題に暴れまわる。ピラミッドの残骸はこの乱痴気騒ぎの中で凄まじく消耗されていく。剥がされて、齧り取られて、擦り付けられて。
遠目では海中なのに、黄色い砂の積乱雲がふわふわと出現したように見えたのだろう。とてつもない規模のドチャン騒ぎだ。大食いなタテモノノカミから逃れたピラミッドの瓦礫はやがて海底のあちこちに漂着して、そこで海底の小型なタテモノノカミが住み着く。滅んでしまった千年都を懐古するかのように。
ピラミッドの残骸から、小さな生き物が一匹、海流に連れ去られたように転がりでた。どのタテモノノカミにも似つかないそのクマムシのような生き物は、水圧を凌げるように、丸みを帯びた胴体をぎゅっと縮める。
スフィンクスという名前のこのクマムシはこれから、死ぬように眠る。ふたたび目を覚ますことはないだろう。千年先を夢見る長い長いモラトリアムにまた入るが、それは果たしていかなる結果を期待しての猶予期間なのか、石版を失ったいまではもう遠い記憶だ。スフィンクスは朦朧としながらも、自分が砂漠を離れて、危険を冒してまで大海原へと旅立つ理由を思索しようとする。
海が見たいと、彼のたったひとりの住人がそう願ったからだ。
眠りに落ちる直前、スフィンクスがようやく思い出した。
2 『天地つなぎの大蛇 居住性:★☆☆☆☆』
帆船での旅は字面から思い描くほど気持ちいいものではないと、彼女はすぐに身をもって理解した。だってひっきりなしに吹かれる風のせいで顔にずっと髪がかかるし、波の揺れが想像以上に不快感を掻き立てるし。
思わずに海のほうに目をやる。夢でしか見たことない揺らめく青い海の底に、彼女の住み家がさっき、ボロボロの粉々になって沈んだ。
住めば都を座右の銘をしてきた彼女は、それでようやくわかった。自分はピラミッドの中に住むこと以外のことは、何も知らない。落ち着かなくて、しきりに空を仰ぎたくなる。そこに狭苦しい天井があってほしかった。
――怖い。
「ニンゲンさん、ニンゲンさん! あっ違った、カザミチホさん!」
「え? あっはい」
はしゃぐような声で呼ばれて、彼女は我に返る。目と鼻の先に、マリンキャップと三つ編みのポニーテールが小躍りするように動く。
子犬みたい。彼女はそんな命の恩人をまじまじと見返すと、子犬が満面の笑みでペラペラとわめき出したので、彼女がうろたえた。
「ボクが船のリフォームの話なんだけどさ、やっぱりまずは戦艦みたいにしてほしいなーって。大砲でしょう! 装甲でしょう! あとは船首はこうパカーッと開かれるようにして、中にこうババババーッと牙をたくさん生やして、ガリガリガリッと敵をかみ砕かれるようにして」
「ちょ、ちょっと待てください。ヒビキマルさん、でしたっけ?」
「ヒビキでいいですよ、ニンゲンさんのカザミチホさん! あっ、ボクからもチホって呼んでいい?」
「えっとですね、風満帆ってのは私の名前じゃなくて……」
子犬が首を傾げて、分かりやすく肩を落とした。マリンキャップの上に垂れる耳が見えてしまうようだった。
「ダメ?」
「……ダメ、じゃないです。わかりました。チホと呼んでください。ヒビキさん」
子犬もといヒビキはパッと笑って、ニンゲンさんもといチホは眉間を指で押さえる。
◇
『ボクを改造してください!』
命の恩人が、遮二無二にそう依頼した。
リフォーム。居住の改築や改装のことを指す言葉だ。彼女が宙に浮かぶ記憶をたぐる。
不安を紛れるために、そして命の恩人にせめてのお返しができるように、ピラミッドの中で読み漁った石版に刻まれた知識を思い返しながら、素人眼でチホは有翼帆船ヒビキマル号を見回すことにした。
一人で歩き回って、手すりから身を乗り出して船の大きさを探ると、「危ないって!」とヒビキが後ろからついてきた。なぜか憮然とした顔。
この子はそもそもなんで見ず知らずの彼女にリフォームなんか依頼したのだろう。
ヒビキマル号は情報量が極端に少ない船だ。手摺りから手摺りまでの距離が数歩もかからない、こちんまりとした甲板。地図や計器といった機械設備がいっさい見当たらなければ、帆を固定や収納するための索具などの姿もない。
船主のヒビキから同意を得て、半円状の舵輪を操作してみた。手触りがピンとこないので、船尾に案内してもらって、舵を見て腑に落ちた。稚魚の尻尾みたいに弱々しい形。こんなんじゃ操舵するだけ無駄だ。
甲板の下の居住区にも行ってみた。『居住』をついてるだけでどこか心躍る気分になるけど、代り映えしない部屋が数個あるだけ。驚いたのは採光性の良さだ。年中薄暗いピラミッド内部とは大違いに、外とそう変わらないほどに明るい。
顔を上げると、天井には植物の根、あるいは筋肉組織みたいな細かい繊維組織がみっちりと詰まっていて、微かに光を放っていて光源となっている。一拍遅れて、それは風満帆が船の内部まで根を巡りまわしてるからだと気づいた。
「どうだった?」
と、居住区から甲板へ上がる階段のそばで、妙に不機嫌そうにヒビキがそう問いかけてきたので、チホは言葉を選びつつ答える。
「帆は素晴らしいけど、船のほうは、えっと、適当……ほどじゃないけど、やはりどこもかしこも帆ありきというか……」
「あーもー、恥ずかしい!」ヒビキが大声を上げ、頭を抱えてうずくまる。チホが慌てた。
「どうしたんですか? お腹痛いんですか?」
「どうせボクは姉ちゃんたちと違って半人前なんだよ。帆がなければなにもできないんだよ!」
「半人前って……」
よく分からないが、子犬キャプテンが拗ねてしまった。膝を抱えてなかなか立ち上がらない。どうすればいいのか分からず、とりあえず彼女の頭に手を置いてポンポンと叩く。
マリンキャップに隠された両目が、ちらっとこっちを見上げたと思ったら、手首が握られた。お互い無言のまま、ヒビキがぎこちなく、チホの手のひらをまた自分の頭に乗せた。
◇
外から中までがらんとした、船らしくない船、ヒビキマル号。リフォームしたくなる気持ちも頷けるけど、それは船体だけならの話。甲板に戻って、マストに目をやると、船全体を包み込み力強い流れに迎えられる。
「かまてちゃんかよ」ヒビキがぼやいて、帽子を片手で抑える。彼女のほうは長い髪を風に任せて、後ろ首あたりにふわふわと白い髪が浮かんでいた。
アサガオのように取り付いて、風満帆が彼女たちの上に朝日にも負けずない煌めきで咲き誇っていた。ヒビキは不満そうだが、こんなナリでもヒビキマル号は帆船としてやっていけるのは、なにからなにまで風満帆のおかげだと、チホは改めて理解した。
風満帆とは幾千万の花。必要に応じて、あるいは気分次第に枝葉を広がり、花開きする。風満帆は気ままな鳥。ときには羽ばたき、ときには風を孕み、ときは扇になって自ら風を作り出す。風満帆は千紫万紅の音。弦なり管なり槌なり、自由自在に姿形を変えては、楽器として歌声を響き渡せる。
ピラミッドの石版に書かれたことが事実なら、理論上の話ではあるが風満帆はいかなる波動とも共鳴可能な、まさしく奇跡の造物だ。
……と説明しても、船主のヒビキが納得いかない顔。
「つまりその気になれば、どこにでも行ける船ですよ。なのにリフォームするのですか?」
「だってこいつ、ボクが船のくせに言うこと聞かないし」
行きたい場所だって、いまさら。独り言ちるつぶやきが帆の歌と重なり合って、海風や潮の音にかき消された。チホが咳ばらいをする。
「まあ、たしかに素敵な帆だけど、住宅というより旅用ですしね。住めば都といえど、あくまで住むのが大前提で……」
「それを言うなら住むなら都、なんじゃないですか。都はとっくの昔に沈んじゃったけど」
「え」
それよりさ、チホさん、ボクは魚雷もほしいなー。
――ヒビキの声が遠ざかる。
理由は自分も分からないが、チホが冷たい息を飲んだ。ピラミッドでの暮らしの日々がふっと、泡のように湧き上がっては目の前に通り過ぎて、そして同じ呆気ない速度で去っていった。最後の残ったのは胸の奥に微かに匂った残り香。帆船での潮風でもピラミッドでの砂埃とも違う、ひどく懐かしくもどこまでも他人事な、焚火の余蘊めいた記憶。
喧噪、光、色彩。そして火。満天の火。
彼女の都の記憶。
――肩をしつこく揺さぶられて、チホがぽかんとヒビキを見返した。心配そうな顔。彼女は何回も頭を横に振って、瞼をしばたかせた。
「すみません、私……」
「ぼーっとしてたよ。疲れました? うーん、疲れちゃうよね。データベースが壊されたり、エレベーターに襲われたりして、ひどかったもんね。リフォームのこと明日でいいです。今日は休もう」
やや思案して、好意を甘えることにした。視線の端っこ、意識的に見ないようにしてるが、鋼の大蛇がまだそこにあった。まるで海と空の間には、そこだけが唐突に夜が訪れたかのような佇まい。
ヒビキの言うように、あれはエレベーターらしいけど、あんなデタラメな大きさな建築物なんて、果たしてありえるのだろうか。しかも動き回るし、我が家をわけもわからずに押し壊すし、意味が分からない……。
手で顔を覆って、深呼吸する。
「そうですね。今日はいろいろありすぎました。気持ちの整理をしたい。あの、リフォームについてなんですが、やっぱり一度は専門の業者に相談するほうがよいかと。もちろん私も尽力させていたきます。どこまでお力添えできるか分かりませんが、こう見えて住むことにだけは人に負けない経験を積んできたので」
「ギョウシャってなんですか? 深海にいるタテモノノカミ?」
「ん? いや、だから、専門の……」
「もしかして謙虚してます? チホさん以外の専門家なんて世界中探しまわってもふたりいませんよ。なんだって最後のニンゲンさんだもん!」
「へ?」
「『港』が言ったよ。ボクや姉ちゃんたち、そしてタテモノノカミはみんな、元々ニンゲンの手で造られた、千年都の一部なんだって。だからボクは思ったんだ。ボクが船を作り直すなら……兵器として生まれ変わるならニンゲンを探しなくちゃって!」
「最後って……タテモノノカミ……? ちょ、ちょっと待てください」
視界が暗くなるのを、彼女が必死にこらえた。心なしか、周りを風満帆の歌声も、彼女の呼吸と合わせてどんどん拍子で加速していく。明度が下がりつつある世界の中心に、ヒビキの爛々とした両目だけが灯火めいていた。
「世界中のやつらは同じことを考えてるだろうけど、都が滅んじゃった以来ニンゲンもいなくなったって言われたから、どいつもこいつもあきらめたんだ。ほかのタテモノを食って自己増殖しちゃったりするタテモノノカミがほとんどだけど、いまさらそんなことしてもエレベーターや『港』に勝てるわけないじゃないですか。あー、だからチホさんはデータベースの中に隠れてたんですね。賢いな。砂漠にじっとしてれば『港』も手を出せないもんね。そういえばデータベースなんで海に来ちゃったんだろう。エレベーターの縄張りなのに」
立て板に水にヒビキが早口でまくし立てる。知り合って一日も経てないけど、興奮しだしたら止まらない性格だろう。尻尾を追いかける子犬のように。
などとどうでもいいことを、現実逃避がてらに頭の片隅でくるくる考えながら、チホがヒビキの肩を越して迫りくるものを見て、目を剥いた。
「ひ、ヒビキさん!」
「大丈夫ですよ、チホさん。明日でボクが船をリフォームしてくださいね。連装砲でしょ、魚雷でしょ、ドリルでしょ。ボクが最強になって、『港』をぶっ倒して……してああああ!?」
ヒビキの言葉の後半が悲鳴になった。そして風満帆の尖りに尖った、警報じみた高音に飲み込まれていく。
船の前方から、途方もない夜が迫ってくる。ヒビキが船首へと走り出して、マリンキャップを力いっぱに振り回す。
するとキャプテンの号令に応じて、船のそこら中からぬるっと、奇妙な姿をする生物たちがどこからともなく湧き出てきた。緩歩動物らしきその一匹一匹がノシノシと不慣れな駆け足で甲板に駆け回って、マストの上に登る。
彼女は階段口でぱたんと座り込み、目の前のすべてを離人症な気分で傍観した。文字通りに乗りかかった船なんだから、傍観などできるはずもないのに、あんまりにも現実離れしていて、当事者気分には到底なれない。
――もしかすると、有翼帆船ヒビキマル号はそのポテンシャルを遺憾なく発揮して、世界最速を誇る風満帆を展開できたら、逃げ切ったのかもしれない。例え空が落ちたのごとくなだれこむ大質量と大規模でも、一艘の船としての生存本能をフルパワーに駆り立てれば、風満帆ならやってのける。
でもそうはならないことを、彼女は冷たい理性の中に悟った。だから彼女はふらふらと立ち上がって、船首に向かってヒビキを押し倒して、その小柄の身体を覆いかぶさる。風満帆は翼となって、二人を雛鳥のように抱きしめた次の瞬間、黒鉄の大蛇がいともたやすく、ヒビキマル号をぺろりと飲み込んだ。
腕の中で暴れるヒビキを体格差でなんとか押さえつけながら、彼女は申し訳ない気持ちで、譫言みたいに謝りつづけた。だって大蛇が近寄ってくるのを察したとき、まっさきに彼女の胸の中に浮かび上がったのは、閉じ込められる日々へ戻れる安心感だったから。
(続く)
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