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プリンと孤独

最近、ひとりの時間が多い。

起きて、ごはんを食べて、仕事をして、寝る。平日であろうと、休日であろうと、同じようなルーティーンを淡々とこなす日々が続いている。一人暮らしをしているわけではないのに、気持ちはいつも独りだ。

目的なく電車に乗り、適当に入った映画館でそのときにやっている作品を観てみる。突然誘われて友達に会い、コーヒー片手にたわいもない話をする。明らかに酸素の薄い高人口密度な居酒屋で、気の許せる友達と杯を交わす。そんな私にとっての日常が揺らぎ始めたとき、私の心は少しずつ孤独を感じ始めた。



ある日、ふとある人を思い出した。虎ノ門駅から歩いてすぐの場所にひっそりと佇む喫茶店「ヘッケルン」のマスターだ。

一杯一杯ていねいにコーヒーを入れてくれるマスター。一度来たお客さんの顔は絶対に忘れないと豪語するマスター。おしゃべりで、ずっと口が動いている(もちろん、手も動いている)マスター。ときどきこぼれる悪口や、エンドレスでかかっているラジオのニュースに対して笑いながら反論する様子は、見ていておもしろい。


名物のジャンボプリンで人気を博した影響からか、休日には若者の姿が目立つが、平日はサラリーマンで満席。しかも、スーツを召した殿方が揃いに揃ってジャンボプリンを食べているのだ。

近所に住む親戚の家に遊びに来るような感覚で、次々と入店するサラリーマン。毎日来ている人も多いという。

虎ノ門ワーカーの心を掴んで離さない「ヘッケルン」。その魅力は、マスターの信念に隠されていると思う。



ある日、私が店でジャンボプリンセットを食べていると、いつものようにおしゃべりマスターが話しだした。

この前テレビの取材依頼があったんだよ。●●●(名前は控えます)っていうアイドルがうちに来て来てプリンを食べるっていう。人気みたいだけど、断っちゃった。

ヘッケルンは元々、サラリーマンを送り出す喫茶店なの。ここで始めたころから、毎日のように来てくれるお客さんがいっぱいいる。一言も話さずに食べて帰るだけの人も、昼休みに毎日誰かしら連れて来てくれる人も、絶対に覚えてる。じいさんばかりでむさ苦しい店内だけど、俺は昔から来てくれている一人ひとりのお客さんを大事にしたい。だから、お店が若い子で埋まっちゃ困るんだ。


いつだっただろう。マスターが卵を買いにお店を出て、1時間ほど、お手伝いで来ている女性ひとりの営業になったことがあった。

その間に入ってきたサラリーマンは、みなさま口を揃えて「あれ?今日マスターは?」と女性に問いかける。卵を買いに行っていることを聞くと、安堵の表情で「なんだよかった、マスター具合悪くなったのかと思ったよ〜」と笑う。

サラリーマンたちは、ただ空腹を凌ぐためだけにここに来ているわけではない。まるでもうひとつの実家に帰るかのような感覚で通っている。そしてマスターも、大きな子どもたちを迎えるために、今日も元気に営業している。テレビ放映お断り案件の裏には、何十年と毎日を着実に積み重ねてきたマスターの、愛ある信念が隠されていたのだった。



そんなこんなで時が立ち、私が「ヘッケルン」に通い詰めていたのは、昨年のいまごろだろうか。今年で社会人2年目となる私。昨年は、慣れない仕事にコロナ禍が重なり、疲労が溜まっていたのだろう。マスターに、ポロっと愚痴をこぼしたことがあった。

私の弱音を聞いたマスターは、さらっとこのように言った。「本当に偉い人ってのは、お金を持っている人でも立場が上の人でもない。人の気持ちを考えられる人が、いちばん偉いんだよ。仕事が上手くいかなくても、人の立場に立って考えられていれば、それだけでアンタは100点満点だよ!」




世界的に厳しい状況のいま。淡々と毎日を過ごす日々のなかで、この先の未来に絶望してしまいそうになるけれど、マスターのおかげで前を向いて生きていけそうな気がした。

人間は皆、孤独な生きものだ。でも「ヘッケルン」のようなお店があるから、生きることはいいものなのかもしれないと思えるし、人間として生を受けてよかったとさえ思える。

これまでの日常を取り戻すには、もう少し時間がかかるだろう。この先、また孤独がつらくなることがあれば、笑顔のおしゃべりマスターを思い出して、マスターに想いを馳せてみる。

しばらくお店に行けていないけれど、マスターは私のことを覚えているだろうか。毎日来ていた殿方は元気だろうか。ジャンボプリンが食べたいし、マスターが淹れたコーヒーを飲みたい。ひっそりと月イチでやってるパンナコッタを食べるのも、私のささやかな夢の一つだ。



マスターの言う“100点満点”の人間を目指して、これからも毎日を慎ましく生きていきたい。

ヘッケルンのプリンが世界一美味しいと自分で言うマスター。うん、私もそう思う。

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