【私の失敗談①】

靴のひも

みなさ~ん
こんにちは!😄うはらです💞

今日は風が強い中、朝陽を浴びつつ、
草取りをしてきました。

「あなたを待つの、テニスコート♫」
という天地真理さんの歌を口ずさみ、
自転車で風を切って、テニスコートに向かった
20代の自分を思い出しつつ。

年がバレますね💦

当時、私はスポーツサークルに所属しておりまして、
夏はテニス、冬はスキーで、
青春をエンジョイしていました。

そのスポーツサークルは、自助グループというか、
企業が主催しているわけではないので、
サークルの運営などについて、よく話し合うサークルでした。

私は自己主張の強い、勝ち気な性格だったようです。

「ようです」と言うのは、自覚がなかったからです。
仲の良い友人に、そう言われたから、そうなんだと思います。

人間って、自分の事はあまりに近すぎて、分からないもののようですね。

そう言えば、家族の事だって、主観的に見て、
客観的に見るのは難しかったりします。

自分との関係は、更に近くですから、見えないんでしょうね。
死角の範囲というか。


それでも「自分の事は、自分が一番知っている」
と主張する人もいますね。

そんな時、今はこうお伝えしています。

「ジョハリの窓では、自分を4つの窓に分けて分析していますよね。
そのうちの一つ、盲点の窓は
『自分は気付いていないが他人は知っている窓』

あなたには、あなたが知っている窓もあれば、
あなたが知らないけど、他者からは丸見えの窓もあるんだよ」と。


だから、過去の自己主張の強い自分を思い出す度に、恥ずかしくなります。
当時は、ジョハリの窓なんて、知りませんでしたからね。

ただ、“自分が正しい”とだけ思っていました。

でも、今当時の自分を分析してみると、こう思います。
①自分の意見と人格がごっちゃになっていて、
 “意見を否定される=人格を否定される”みたいに思っていたような。

②土(心)を耕していない状態で、
 種や実(自分と異なる意見)を渡されても・・・。


人間って、理屈通りに進めないですからね。
「正しさ」だけを主張されたら、へきえきして逃げたくなりますよね(>_<)

だから、どっちが正しいとか、変だとかの意見が出た時は、
まず、相手の意見に敬意を持つ事が大切ですよね。


というか、この事で先日失敗したばかりなので、
あなたにだけコッソリ教えますね。

お手洗いから出て来て、手を洗う私。
たまたま洗面所でかち合う娘。
 「お母さん、石鹸をつけて丁寧に洗って!」
 「あぁ、いいの。手の洗い過ぎの説もあるので、このぐらいで」
 「お母さんは、どうしてその場だけでも『ハイ』と言って
  従う事が出来ないの?
  すぐ否定すると言う事は、『あなたの意見は一切受け付けません』
  と言っているようなものだよ」

「ハハー、仰る通りです」

私の尊敬するT先生も仰っていました。
「靴の紐をわざと緩めて履いていた時に、
『紐が緩んでいますよ』と教えてもらったら、
『ありがとう!』と紐を結び直すんだよ。
 
 その親切に教えてくれた人がいなくなったら、紐を緩めれば良い。
 そうしないと、誰からも教えてもらえなくなるよ。」と。


T先生に、私は謙虚さを感じていました。

T先生は仰いました。
「謙虚とは、自分の身を低くする事ではなく、相手を素晴らしいと思う事。
 傲慢とは、相手より自分が優れていると思う事。」

相手の世界に理解と敬意を持って、
日々の生活を過ごしたいものです(^_^)/~

いいなと思ったら応援しよう!