三重、名古屋、それから掛川
はじめに
妹とは不仲ではありませんでしたが、10年以上会う機会に恵まれませんでした。実家が北海道にあり、私は東京で働き、彼女は結婚を機に三重へ移住したこと、物理的な距離が主たる要因であったと感じています。
彼女は三重で二人の子供を設け、生活が落ち着くまで凡そ10年を要しました。(私には子育ての経験がなく、解像度の低い状態で想像するしかありませんが、乳児期から幼少期の子育ては過酷であることは想像に難くありません。)甥姪が小学校に上がり一段落したように見えましたので、彼女の住む場所を訪れてみようかと思案したのがこの旅行のきっかけでした。
六月十一日
梅雨前線が東西に伸び、南側から湿った台風の空気が流れ込む荒れた気象条件でした。強化ガラスを横方向に流れる雨粒を眺めながら名古屋を目指します。
五月の虹 手が届く
名古屋からは近鉄へ乗り換え四日市へと向かいます。妹の家を訪れる前に、写真展「五月の虹 手が届く」に寄ることにしていたのです。
彼の私家版写真集で事前に拝見していたのですが、作品群として会場に並べられたプリントからは異なる説得力を感じました。額装された詩に押印された封蝋に至るまで、彼の世界を端正に説明するものでした。鑑賞後の余韻もよく、併設する喫茶店で買い求めたコーヒーを片手に、雨の音が聞こえる会場からしばらく動くことができませんでした。
妹夫婦の家
偶然にも会場から程近い場所に妹の家があり、彼女が会場まで子供と一緒に車で迎え来ます。賑やかな車に揺られ、彼女たちの家へと向かいます。
途中車内で姪から「ヒゲのおじちゃんは冒険家なの」と問われ、「残念ながら普通のサラリーマンだよ」と返します。彼女の大人分類表に私をうまく収めるラベルがなく、仕方なく冒険家に分類したのでしょう。素敵な分類です。
彼女の夫が作るピザを頬張り、東京では見かけない地ビールを飲みながら簡単な近況報告を交わします。10年という空白は、簡単な報告であっても時間を要するものでした。
それから雨が止み、近くを少しだけ散歩します。
名古屋市内のホテルへと向かう帰り道、彼女のように子供を持った自分を少し想像してみますが、今一つしっくりときません。人には生まれ持った気質があります。おそらく、私には向かない種類の役割なのでしょう。
六月十二日
コンパル
翌朝、若干の宿酔を感じながらシャワーを浴び、ホテルから程近いコンパルという喫茶店を訪れます。
定番ということですのでエビフライサンドを注文します。カリカリとした衣のエビフライ、キャベツ、卵焼きが挟まれたシンプルなサンドイッチでした。ビールとの相性は保証できそうです。次回はテイクアウトを選択し、お気に入りのビールと一緒に食べようと心に決めます。
あいち航空ミュージアム
朝食の後、市内からほど近い位置にあるあいち航空ミュージアムを訪れます。名古屋飛行場(小牧空港)横にあった格納庫をベースとした博物館内には、航空機が9点展示されていました。
あいにく機内を見学できるツアーはなく、機体外観を眺めるだけに留まります。次回訪れることがあればツアーに参加してみたい。
タンドゥール
皆様は名古屋の食べ物といえば何を思い浮かべるでしょうか。味噌カツ、手羽先、天むす、きしめんなど、枚挙に遑(いとま)がないのですが、私は名古屋を訪れた折には是非食べてみたいものがありました。ミヤコ地下街にある老舗カレースタンド、タンドゥールです。
以前から名古屋を訪れるたび、辺りを漂う香辛料の香りが気になっていたのですが、今回ついに訪れることができました。メニューは「インドカレーとご飯」「瓶ビール」「ヨーグルトドリンク(ラッシー)」のみという潔い店です。結論から申し上げますと、正解でした。
グリルマン
夕方には一駅先の伏見まで歩き、友人から紹介されたお店「グリルマン」を訪れました。繋がれていたタップから、名古屋らしい赤味噌が加えられたラガーや、伊勢角のビールを幾つか試します。肴として注文したラム肉も良かった。
既にお気づきかとは存じますが、妹に会うことをダシに名古屋旅行を満喫した中年男性の旅行記録がこの後も続きます。家族の移ろい話を期待する方はここでウィンドウを閉じていただいて構いません。お疲れ様でした。
六月十三日
トヨタ産業技術記念館
梅雨の晴れ間、気温が30度まで上がる夏日でした。ホテルをチェックアウト後、名古屋駅から程近いトヨタ産業技術記念館を訪れます。ここではトヨタの繊維産業から自動車産業への変遷を紹介しています。
訪れた時間は偶然にも無料ツアーガイドと重なり、飛び込みで参加することができました。ツアーの質は高く、短時間で大まかな流れを掴むのには最適でした。もし来場を検討される場合、まずはツアーに参加し概要を掴み、その後、興味のあった場所を再訪すると良いかもしれません。
実は20年ほど前、私は滋賀県にあるダイハツ竜王第二工場で期間工として働いていたことがあります。当時はラインでウィンドウォッシャーホースをフレーム内に通したり、リアライトの取り付けを行っていました。
入口から生産ラインに向かう途中、そこに鎮座していたプレス機はまさにこれと同様に巨大なものでした。深夜終業後、暗闇に照らされたプレス機は神々しくさえ見えたことをよく覚えています。
館内で見かけた多くの機器は、当時目にした機器と同様の動作音を上げ、同様のオイル香を纏っていました。天井からの採光も記憶にある工場そのもので、自分の記憶が巻き戻されたような場所でした。
少し遅い昼食後に名古屋駅へと戻り、翌日のピアノ工場見学のために掛川(静岡県)に進路を取ります。
掛川城と茶室
ピアノ工場見学以外、特に予定していたこともありませんので、新幹線の車窓から見えた掛川城を訪れることにします。城に知識がないため「攻めにくそうな地形だな」などと、漫然とした印象のまま早々に本丸から降りてきてしまうのですが、帰り際に茶屋を見つけます。
受付に人影はなく「こんにちは」と奥へ声を投げかけると、遅れて「今伺います」と声が聞こえます。声の主が現れ、
と促され、着物を脱ぎます。私は形態素解析が得意なのです。通された部屋は、私の格好と比べると随分場違いな場所に見えます。帰り際に気づいたのですが、この部屋は由緒ある将棋トーナメント決勝に毎年使われる部屋であったようです。見たことのある棋士の写真も玄関に飾られていました。
ここで一つの問題が生じます。目の前にある赤い絨毯の上に座って良いものか、または畳側に座るものかわかりません。数秒検討した結果、抹茶を万が一こぼしても問題がないよう、絨毯側にお茶が供される可能性を思い付きます。我ながら名推理です。何食わぬ顔で畳側へ座ります。
ほどなく、薄茶と生菓子が供されます。この時点で赤い絨毯の上に座るように促され、これに従います。どうやら畳に座るのは不正解であったようです。穴があったら入りたい。
薄茶は香りのよい地元産でした。Wikipediaによると、掛川は緑茶全国屈指の産出量を誇る名産地でした。知らなかった。栽培が盛んであることも知らず、茶室の作法も知らぬ中年男性が「茶を飲ませろ」と閉店間際の茶室に居座る、もはや蛮族です。
薄茶のお味ですが、蛮族でも違いのわかるおいしさでした。
帰り際、畳に落ちる西陽が素敵だったので「写真を撮らせてもらえないだろうか」とお願いしたところ、奥にある伝統的な茶室も併せて案内くださいました。
屋台と魚屋
掛川城からの帰り道、屋台が集まるエリアを見つけ、生ビールと一緒にマグロ漬けの山かけを食べたり(右側はあごだし山葵醬油)、
ホテルの徒歩圏にあった地元の生魚店で鰹を買い求め、コンビニの白米、それからアオサの味噌汁と一緒に食べたりしました。おいしい。
六月十四日
ピアノ掛川工場
最終日はヤマハピアノ掛川工場を訪れました。(見学には事前に電話予約が必要です。)掛川駅からは天竜浜名湖鉄道というローカル線に乗り工場へと向かいます。
実際に稼働している工場のため写真は撮影禁止でした。
見学は、観光客向けに通路が整備されている一般的なコースではなく、社内教育や外部取引先企業に公開するといった趣の順路でした。作業を行う職人と見学者を隔てるものは、床面に引かれた白線だけでした。工場見学が好きな方にはお勧めできる内容です。
ツアーの最後には、同一モデルのグランドピアノを何台も並べた「購入前の試奏」を模したイベントがありました。そういえば購入前の試奏を行う防音室に入室した際、参加者の一人がグランドピアノの型番(モデル)を言い当てていたのですが、
と伺う担当者に、
と返していたのが印象的でした。どういった界隈であるのか気になるところです。
話を戻しましょう。グランドピアノ上位モデル購入検討する場合、オプションで試奏できるサービスがあります。これを担当者の方は「検定」と表現していました。同一モデルの楽器、厳しい検査の後でもやはり個性が出るようで、それぞれを弾き比べて購入することが「検定」の目的でした。
今回部屋に用意されていたのは、ヤマハのグランドピアノ上位モデルであるCF6というものでした。確かにこの価格帯(1,000万円を超える商品です)となると「音色が好みではないので、もう一台購入しようか」とはなりませんよね。
担当者の方がそれぞれを試奏してくださったのですが、蛮族の私でも違いがわかる程度の微妙な音色差がありました。(或いは、担当者の演奏加減でそう聞こえていたのかもしれません)ピアノは弾けませんが、今後グランドピアノを購入する機会があれば、検定を検討しようと思います。
帰りの新幹線で駅弁を食べながら「私はこの先、微妙な違いを見分けて買うような商品を手にすることがあるのだろうか。昨日生魚店で買った鰹はこれに含めていいのかな」などと下らないことを考えているうちに旅行は日常へと変わります。
私はまた、東京に戻ってきました。