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旅行記同人誌を作成した話

はじめに

 この記事は旅行記同人誌を作成した体験が記されています。必須ではありませんが、「コンテナ船で旅行をする話」または同人誌をご存知であることが前提です。主な対象読者は以下の通りです。

同人誌の作成を検討している
同人誌を作成する過程をレポートとして読みたい

記事は目標・準備・作成・頒布の4章から構成されています。目標から作成まではよくある作成記録ですが、頒布は通常の同人誌とは異なる方法を採用しています。頒布形態を検討されている方は参考になるかもしれません。

では、本題に入りましょう。

目標

 私には同人誌を作成する上で目標が2つありました。幸せなことに、これらの目標は概ね達成することができました。

1. 私が読みたい貨物船旅行記を完成させる
2. 完成物を持ってイベントに参加し、近しい思考の人々と交流する

最初の目標は明快です。私がこの旅行記の作成を検討した際、参考となる日本語文献は「コンテナ船クルーズと貨物船の旅」というブログ記事以外に存在しませんでした。もっと貨物船旅行記が読みたい。無いのであれば、自分で作成する他にありませんでした。(以下、旅程計画初期のツイート)

もう一つの目標は、同人誌を持ってイベントに参加し近しい思考の人々と交流することでした。例えば、日常生活でウユニ湖を訪れ綺麗な写真を撮る人には出会えるかもしれませんが、

「測量の勉強をしているうちに、ウユニ湖が地球上で最も平らな場所として有名な場所であることを知った。どの程度平らなのか、実際に測量機器を持ち込んで測ってみた」

といった思考の人間に出会う可能性は殆どありません。私はそのような思考の人に出会いたく、イベント(頒布会)への参加権として同人誌を作り上げたいと考えていました。正確にはこの目標は叶っていませんが、イベント参加という点では異なる素晴らしい経験をすることができました。この話題には「同人誌の頒布」で触れていきます。

準備

a. 読者の設定

 事前準備です。同人誌を作成するにあたり、まず読者を設定する必要がありました。下地となるnote記事のアクセス数から特定層に響いていることは分かっていましたが、具体的にどのような嗜好を持つ人々であるかの絞り込みが必要でした。そこでTwitterをエゴサーチし、リツイートやいいねを押してくださっている方々を観察することにしました。観察からは大きく2つの読者層が見えました。

個人で各種旅行手配が行える旅行愛好家
物語として旅行記を好む方

私の興味範囲であった船舶で利用される技術(無線機器やレーダ設備)への反応はほとんどありませんでした。そこで、これらの部分は省き、旅行全体が見えることに重心を置き作成することとしました。また、note記事のアクセス数から判断し待機中のブリスベンの話題は省略しました。

b.頒布価格の設定

 頒布価格は同人誌を作成する上で重要な要素であると考えていました。純粋に自分の好奇心で始めたものですので、同人誌によって何かをペイしなければならないという制約はありませんが、印刷費が頒布価格を大きく超える状態では不健全です。また、対象とした読者が期待する価格を大きく超える場合、私の届けたい読者に届かないとも考えていました。こうした点を加味しながら価格を決定します。

1,000 円(B5 / フルカラー / 64ページ)

見積もりからこのバランスが妥当であると結論づけました。ほとんど利益が出ませんが、赤字も出ない価格です。1,000円という価格には他にも2つの理由がありました。

1. 普段同人誌をを購入しない層がギリギリ許容できる価格である
2. 同人誌頒布会で1,000円以外お釣りを用意しなくとも良い

これで読者と、基本的な同人誌のサイズ、ページ数、及び価格が決定されました。作成の段階に移ります。

作成

 私は今回、作成の流れを以下の3つの工程として定義しました。

a. 素材の作成
 素材となるデータ(挿絵・地図・本文)の作成、写真の選定

b. 素材の組版
 作成した素材を利用しレイアウトを作成

c. 印刷所への発注
 試し刷り、出来上がったデータを印刷所に発注

それぞれの工程を確認していきましょう。

a. 素材の作成

a1. 素材の作成: 挿絵

 挿絵作成にはAdobe Illustratorの利用が最適であると多くの同人誌作成記事にはありましたが、私には利用経験がありませんでした。そこで「Illustrator しっかり入門 増補改訂 第2版」という書籍を購入し習得を開始します。書籍前半では基本的な図形の作画(丸や四角の作画)にページが割かれていたのですが、これらの練習を終えた時点で以下の仮説が生まれます。

「描きたい挿絵は、丸と四角だけで描けるのではないか」

私は早速これを検証することにしました。

なんとかなるものです。この作画練習中「貨物船で太平洋を渡る」という同人誌の題名を着想します。(利用を検討していた題名「コンテナ船で旅行をする話」は文字数から利用できず、この題名となりました)

題名の書体には中国語を利用することにより、ほどよい異国感が生まれることを発見します。私はこの練習に描いた挿絵を気に入り、最終的に扉絵に利用することとしました。

a2. 素材の作成: 地図

 地図は著作物の対象として保護されています。このため、多くの地図情報は複写(トレース)が禁止され自由に利用できません。私はこの問題を回避するため、OpenStreetMapという自由に利用できる地図を複写し、本文中に利用することにしました。

地図を作成する上で苦労した点は、地図の粒度をどの程度に設定するかというところでした。細かすぎても印刷で潰れてしまいますし、省略が過ぎると天気予報の地図のようになり塩梅が悪いのです。随分と苦労をしながら地図を書き終えます。

次は海図作成です。私は十分に調査していませんが、日本の海図利用は地図以上にハードルの高いものと予想されました。具体的には、日本近海の海図を引用する場合、海上保安庁への申請が必要となるようです。

一方でオーストラリアは海図を自由に利用できることによる公益性を重視しているようでした。情報はクリエイティブ・コモンズライセンスで公開されており、州政府発行する小型船舶向け水路情報を自由に利用することができました。

水路情報の縮尺はそれぞれ異なっていたため、一枚の大きな作業スペース(アートボード)を用意し、同程度の縮尺に調整しながら手作業で並べて複写していきます。

これで著作権問題を回避した地図の準備が整いました。

a3. 素材の作成: 本文

 本文はnote記事「コンテナ船で旅行する話」を元に記されていますが、大幅な書き直しが必要となることがわかりました。例えば、段落の具合が悪くページに大きな余白が出来てしまう点の修正や、元記事で写真を交えて説明していた箇所を文字に置き換えるといった作業です。

文章についてのテクニカルな部分は、私の手に負える話題ではないので割愛しますが、記事を書く上で以下2点に注意を払いました。

古びない日本語を使う (カタカナを多用しない)
英語引用は翻訳しない

「古びない日本語」とはどのような意味でしょうか。例えば古書店を訪れ四半世紀ほど前の雑誌を開くと、現在ではあまり利用されないカタカナで表記された単語を目にするはずです。これは時代性を表す点においては成功していますが、同時に記事を古めかしく感じさせる要因となります。

一方で片仮名を多用せず日本語で記載されている記事は、時間が経っても全体の印象を維持しているように見受けられました。こうした点から、私は後者を選択することにしました。

また、引用する英語は翻訳しないこととしました。全て説明することが必ずしも正しいわけではないと考えているためです。旅行先で少し不便ことがあるように、読書中に不便があっても良いではありませんか。

a4. 素材の作成: 写真の選定

 素材となる写真はそのほとんどが無加工ですが、例外的にいくつかの写真は修正を行なっています。ここでは二つの象徴的な写真を紹介します。一つ目は表(おもて)表紙の写真です。

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この写真は操船室デッキから見下ろすように撮影したものですが、身を乗り出すには危険な場所でした。撮影後に写真を確認すると、斜め上から撮影したような構図になっていました。私は真上から撮影した写真のように見せたいと考え、Lightroom Classicでアオリ修正を行っています。

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2枚目の写真はホワイトボードにある"Happy Lantern Festival!"(元宵節を祝う言葉)という走り書きを撮影したものですが、左右の掲示物には掲載に相応しくない情報が掲示されていました。そこでPhotoshopを利用し掲示物を白紙に加工してあります。

こうした作業を経て、素材となる挿絵・地図・本文・写真が揃います。

b. 素材の組版

 組版(レイアウト)はInDesignを利用しています。このソフトも操作方法の習得から始めました。これらの習得には以下の資料を参考にしました。

InDesignプロフェッショナルの教科書 (エムディエヌコーポレーション)
InDesign入門 (公式YouTube動画)
オリジナル冊子をつくる:文芸誌編 (公式Webサイト)

また、組版を行う上で以下のルールに従い作業を行うこととしました。

出来ないことは模倣する
読みやすい字体を使う
小さな写真を使わない

ひとつずつ確認していきましょう。

b1. 素材の組版: 出来ないことは模倣する

 作成時点で私には明確な同人誌のレイアウトがイメージできていませんでしたが、憧れている書籍(組版)はありました。スイッチ・パブリッシングから出版されている、MONKEYという文芸誌です。私はこの美しい文芸誌のレイアウトを測定し数値化しました。

紙面サイズが異なるため完全には模倣できませんでしたが、基本的な骨組み、30文字25行、二段組、余白のバランス、書体の大きさなどを参考に組版を行いました。画家のピカソは、

"Lesser artists borrow; great artists steal".

と残しているようですが、同様に lesser (novice) typesetter として模倣から始めることは、筋の悪い方法ではなかったように感じています。

表紙についてはいくつものパターンを作成したのですが、いずれも自分が納得するものではありませんでした。理由は明快でした。私にはデザインを支える文法への理解が不足していたためです。表紙のデザインは私にとって「出来ないこと」に分類されるものでした。この時ほど世の装丁家に尊敬を抱いたことはありませんでした。出来ないなりに何とかすることを考えた末、私は一つの仮説にたどりつきます。

一般流通する書籍はその表紙に題名を求められますが、私にその制約はありません。文法という型を理解せず、その形を崩す行為は「型無し」ですが、これは案外面白いアイディアかもしれません。題名を配さない写真だけの表紙は、このようにな流れから着想されました。

b2. 読みやすい字体を使う

 同人誌を作成する上で、字体を正しく選択することは極めて重要であると感じていました。字体を選択するにあたり、私は組版ソフトに付帯するフォントサービスから著名な十数書体をダウンロードし、同じ内容の原稿に適用し印刷しました。

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この原稿をしばらくの間もち歩き、枕元の照明下や日中の自然光などいくつかの条件を変えながら眺め、最終的に凸版文久体明朝という書体を採用しました。一見すると書棚に挿さる古い文庫から拾い出したような書体は、洒落すぎず落ち着きがあり、私の意図していた「古びない」印象にピタリとくるものでした。

b3. 小さな写真を使わない

 大きな写真は何かしらの説得力があります。私はできるだけ大きな写真を掲載できるように写真数を切り詰めました。具体的には1,500枚ほどの写真から50枚を選択しました。

かつてフィルムで写真を撮影されていた方は「36枚撮りフィルムで1〜2枚気に入る写真ができればよいな」という感覚がありませんでしたか。今回の採用比を考えると1/30ですので、ちょうどよい加減なのかもしれません。

c. 印刷所への発注

 印刷所への発注の勘所をおさえるために、入稿データ作成に関する書籍「入稿データのつくりかた」という書籍を読み入稿データを作成をしました。(以下ツイートが著者の方に届いてしまい、恥ずかしい思いをしました。)

初めて触れる印刷色(CMYK)などに随分と苦労しましたが、この書籍のおかげで「何が起こっているか理解できない」から「どうすれば解決に近づけるか」という点を整理することができるようになりました。良書です。

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私にとってハードルとなったのは、色問題よりも紙質の選択でした。私の憧れである文芸誌は紙の匂い手触り共に素敵なものでした。本がお好きな方はお分かりになるかと思いますが、紙質は本にとって重要な要素です。

「官能的な紙を使いたい」

私はこの願いを叶えるため、銀座伊東屋にある竹尾見本帖本店を訪れ、「この本と同じ紙が欲しい」と紙の専門家「ペーパーコンシェルジュ」に尋ねることにしました。(以下、店内雰囲気をツイートより引用)

「この文芸誌と同じ紙が欲しいのですが」
「正確にはわかりません、ただ似たような紙ならご紹介が可能です」

私は常々「わからない」と答えられる専門家は一流であると考えています。好感が持てます。お世話になったペーパーコンシェルジュの方は、マイクロメーターで何度もページを測定し、紙のコシを確認、入手性なども考慮した上で、壁一面に設置された引き出しからいくつかの紙を紹介くださいました。「アラベール」この紙が手触り、匂いが近いようです。私は彼女に謝辞を伝え、サンプルとしていくつかの種類のアラベールを包んでもらい持ち帰ります。

帰宅後、この紙を選択することに大きな問題があることに気づきます。この紙質を選択した場合、1,000円で販売予定の同人誌原価が2,000円になるのです。難しい問題でした。予算という点からは全く肯定できませんが、仕上がりという点で妥協して良いのか数日考えることになります。そして、私はこう結論付けました。

「試しに色校正を二種類の紙で刷ってみよう」

印刷結果は興味深いものでした。当然ではありますが、アラベールの性格である手触りは平滑性に直結し、凹凸の少ない上質紙の方が写真の見栄えが良い場合があるというものでした。私は写真の細かな質感を優先するために、上質紙を選択する判断を下しました。

色校正を含めた仮刷りは3回行い、2021年1月上旬に発注します。

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1月下旬、印刷会社から同人誌100冊が届きます。

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初めての同人誌が完成です。誰かの書棚に自分の同人誌が挿さることを想像すると、胸に込み上げるものがありました。ページを開くまでは。

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私は大変なミスを犯していました。オフセット印刷で発注したつもりが、実際には私の完全な誤認識によってオンデマンド印刷(業務用インクジェット)での発注となっていたのです。写真上がレーザーでの仮刷り、下がオンデマンド印刷です。下の方は粒度が荒く縦線も見えます。私にとってこの差は決定的で、悔しく、その日はウォッカが一本空きました。

「刷りなおそう」

二日酔いが抜けた数日後、私は印刷所へ相談します。

「私が不注意であったばかりに、誤ってオンデマンド印刷を注文してしまっていた。印刷が期待よりも粗く落胆している。言い値を支払う。もう一度オフセットを再注文した場合、何かオプションはないだろうか」

改めて文字に起こしても、全く無茶苦茶な相談です。回答はこうでした。

「印刷代は100%、最短で仕上げる、印刷オプションは割引する」

こちらの完全な不注意ですのでゼロ回答でも刷るつもりでしたが、担当くださった方は素晴らしいオプションをご提示くださいました。断る理由がありません、ご好意を喜んで受けます。ここで、私は喜びのあまり当初の100冊注文から200冊注文へと増冊します。

手元のオンデマンド印刷した同人誌はどうしたのか、良い質問です。実は再印刷を決める前にTwitterで先行予約してくださった方へ70部ほど頒布していました。この方々には改めて無償でオフセット版を発送しています。残り30部は溶解処分しました。

ここまでを読み、聡明な読者の方であればお気づきであるかもしれませんが、この時点で高純度の赤字が蒸留されています。もう何も恐くない。

頒布

 頒布の前にひとつ、私には大切な仕事が残されていました。国立国会図書館への納本です。国立国会図書館のWebによると「日本国内で頒布を目的として発行された出版物は、原則として、すべて納本の対象となります」ということですので、私の同人誌も該当します。

納本から10日ほどで国立国会図書館から受領書が届きます。同人誌のNDC分類番号は299.109、海洋紀行に分類されました。図書館で多くの時間を過ごした私にとっては、自分の同人誌が図書館に所蔵される事実が嬉しく震えます。

a. 同人誌頒布会での頒布

 本題へ戻ります。同人誌を頒布するといえば、最初に思いつくのは同人誌頒布会です。私も同人誌頒布会に持ち込もうと「旅チケット」「文学フリマ」への参加を応募しました。しかし緊急事態宣言が重なり、共に参加を見送ることとなりました。

b. Twitterでの直接頒布

 私の初同人誌頒布はTwitterによる直接販売でした。印刷直前に告知したところ結果的に70名近いフォロワー(とそれ以外の方)から購入予約をいただきました。住所を開示いただける方には「ゆうパケット」を利用し、支払いはAmazonギフトカードをプレゼントしてもらう形で、住所開示に抵抗がある方はメルカリに出品し匿名にて落札していただきました。

c. 飲食店などでの頒布

 次に私が考えた頒布形態は飲食店での頒布です。酔った勢いで同人誌を購入いただく、悪くないアイディアに思えました。今回は東京は墨田区にある醸造所、Miyata Beerに相談し店頭にて取り扱いいただきました。意外に売れました。一つ難点があるとするならば、その売上金です。酔ってお買い上げいただくアイディアが、気がつくと酔って売上金を酒代に充てていました。地産地消とも言えなくもないですが、今後の課題として検討が必要です。

c. 独立系書店での頒布

 同人誌は書店で取扱いしてもらえるのでしょうか。全国展開するような大型書店では難しいようです。しかし独立系書店や、新書も扱う古書店であれば勝算があるかもしれません。二つの同人誌頒布会の参加を見送り、何か面白い頒布形態がないかTwitterを眺めていた際、このツイートが目に止まります。早速連絡を取ります。

棚貸しの条件はこうでした。古書、新書含め最低20冊、同じ書籍は最大10冊まで。つまり同人誌は同時に10冊置けるようです。私はすぐに申込みを行い、5月中旬から7月中旬の二ヶ月間ここに書棚を借りました。

Twitterなどの販売とは異なり、全く縁のない方が書店で本を手に取りお買い上げくださる体験は格別でした。またこの出店が契機となり、書店でのトークイベントを行うこととなりました。同人誌のトークイベントなど聞いたことはありませんが、折角の機会でしたのでお受けすることにしました。

緊急事態宣言を縫うようにイベント日が決定され、当日は20人以上の来場がある和やかなイベントとして終えることができました。

貸棚の期間中、書店を通じて知り合った方から、取扱いいただける関西の別書店をご紹介いただいたり、自身で関東の書店に提案したりと頒布販路を少しずつ拡大しています。

7月下旬時点で初版の200冊は残り数冊となりました。同人誌頒布会に参加できず少し変わった方法で頒布を始めましたが、結果として大変興味深い体験ができています。

ここまでが私の「同人誌を作成した話」です。もう少し加筆できるような素敵なことが起きるのかもしれませんが、起きないのかもしれませんが、いずれにせよもうすぐ2刷が届きます。もし、どこかの書店や酒場で見かけた際にはパラパラと眺めていただければ幸いです。

同人誌「貨物船で太平洋を渡る」取扱書店一覧