とびきりの風景で、とびきりのビールを飲む話
はじめに
とびきりの風景に出会うきっかけは通勤途中で目にした広告でした。広告には大きなダムの写真と共に「立山黒部アルペンルート」というコピーが配されています。写真はまた雪をたたえた山々も写っていました。過酷にパックされた通勤電車の中で広告はとびきり素敵に見えました。
この風景を見ながらビールを飲もう
私は強く決心し残りの通勤時間をやり過ごしました。今回はそのように準備を始めたとびきりの風景とビールの話です。
旅行金額: 37,810 円(新宿-室堂の交通費, 宿泊費のみ)
旅行日数: 2018/05/26 から 2018/05/27 まで 2日間
※ 旅程立案と事前装備は少し文字数があります。写真だけざっと眺めたい方は旅程から眺めると良いかもしれません。
旅程立案
帰宅後の調査で立山という場所には「室堂」という高地があることを知ります。この高地に宿泊することが今回の「とびきりの風景」を満たす条件であるように感じられました。室堂には、
ホテル立山
立山室堂山荘
という異なる趣の宿泊施設がありました。どちらも特別な装備なく訪れることができるように見えます。
「ホテル立山」は室堂駅と直結する高級宿泊施設です。人気があり季節によっては全く予約が取れません。また、仮に予約ができても金額的な面で私には敷居が高いように感じられました。一方、
「立山室堂山荘」は山荘にもかかわらず、ちょっとした旅館のようなサービスを受けられる私向きの宿泊地に見えました。施設には大きな風呂も状況によっては相部屋ではなく個室も、それから生ビールのサーバーもあるようです。素晴らしい。金額も十分に納得のできるものです。早速フォームから宿泊を申し込み、ほどなく予約完了メールが到着します。
📬[05/22 16:16] 室堂は積雪3mあります。当山荘まで雪の上を15分歩かねばなりません。天気が悪くなると吹雪になります。念のため室堂駅に着かれたら電話してください。
…想定していた状況と異なります。「プロフィールにはゆるふわ山ガールとあったのに、当日はジェイソン・ステイサムが来た」というような気分です。短い文章からは雪上を歩く特別な装備が必要であるように見えます。
📮[05/22 16:39] 恐れ入ります。2点確認がございます。雪上を15分歩行が必要であるとのことですが、駅から山荘まではトレース(雪をかき分けた跡)はございますか。特別な装備は必要でしょうか、トレッキングシューズでも問題ございませんか。もしよろしければ、この点をお知らせくださいますと幸いです。
恐る恐るメールを返信します。
📬[05/22 17:59] 山荘までのルートに沿ってポールが立ててあります。特別な装備は必要ありませんが足元が濡れないように。5月26日お待ちしています。
どうやら当初の想定ほど過酷ではないようです。ただ「ルートに沿ってポールが立つ」という状況は視界不良が起き得るということです。蝦夷育ちの私は、暴風雪によって視界を失う恐ろしさを身を以て体験しています。「とびきりのビールを飲むつもりが、雪山で遭難していた話」という事態だけは避けねばなりません。「装備を整えよう」と考えながらお礼のメールを返信します。これで宿泊地が決まりました。
事前装備
勤務先には何人かの山岳愛好家がいましたので判断を仰ぎました。幸いにも一人は中部山岳国立公園内にある別山荘での勤務経験者でした。
ああ、服着てれば大丈夫っすよ。
達観した岳人らしい全く役に立たないアドバイスです、ありがとう。踵を返し登山靴を買いに近所のモンベルショップへと向かいます。店員の方に今回の旅程とコンセプトを伝えぴったりの登山靴を購入します。「ご一緒にアイゼンもいかがですか」と勧められたのですが、今回の旅行には不要であると判断しました。ウェアに関しては冬季間に着ているハードシェル上下で条件を満たすようです。視界不良に対してはスキーゴーグルで問題ないとのこと。念のため携行食を少し用意しました。装備が整います。
※ 今回の旅程は立山黒部アルペンルートのみを記します。目的地である立山室堂山荘は富山県と長野県の県境にあります。東京からは鉄道で長野近くまで移動し、そこからいくつかの交通機関を乗り継ぎます。
距離があるため到着まで半日以上を要します。
旅程1: 扇沢🚌黒部ダム
扇沢、室堂往復チケットを購入します。トローリーバスの写真、かわいい。
このトローリーバスで黒部ダムを目指します。都バスとさほど変わらないサイズです。異なるのは天井に電極(パンタグラフ)が設置され電気によって走行する点です。この路線はほとんどがトンネルです。トンネル内の排ガス問題を解決するため開通当初から電気式のトローリーバスが利用されています。最近のEVバスなどの置き換えに伴いこのバスは2018年をもって廃止されました。
散策: 黒部ダム
教科書で見たことのある風景、黒部ダムです。
教科書で見たことのない飲料、宇奈月ビールです。この後の旅程に響く可能性があるのでここは我慢します。
地ビール「カモシカ」にも心を惹かれます。売店横の湧水を飲んで我慢します。
斜面に設置された遊歩道を下る途中の写真です。100人が撮影すれば100人が絶景を撮影可能なポイントです。
コンクリートで固められた壁面の遊歩道を降りてきました。
黒部ダムの天端にある遊歩道を歩き、次の駅を目指します。
少し覗き込んでみます。真下にある減勢池までは大凡200m とのことです。
旅程2-4: 黒部湖🚞黒部平🚠大観峰🚌室堂
大観峰展望台からの風景です。画面中央に小さくダム側面に見えたコンクリート壁が見えます。風景のスケールに段々と麻痺していきます。細々と撮影したものはあるのですが今回のビールとは関係がないので割愛します。
宿泊: 立山室堂山荘🏔
室堂駅から10分ほど雪原を歩き目的地である立山室堂山荘に到着します。画面右側に細くポールが見え、その先に褐色の山荘が見えます。懸念していた天候や雪の状況は全く心配のない状態でした。蝦夷の民であればミツウマの長靴で大丈夫です。
屋外にベンチが見えます。山荘に荷物を置き、あの場所でビールを飲もうと決めます。
とびきりの風景で、とびきりのビールを飲む写真です。山荘の自販機で購入しました。山荘の自販機は恵比寿ビールで満たされていました。何本か買い求め、雪上に放り投げておきます。
お日柄もよくジーンズとシャツだけでも問題のない気温です。結果的に「服を着ていれば大丈夫っすよ」という同僚の助言通りとなりました。
山荘の周囲はバックカントリーの聖地のようです。愛おしそうに残雪を楽しむスキーヤーを何人も目にしました。この時間から飲んでいる阿呆は目視できる限り私だけでした。
夕食のトンカツ定食です。懐石料理や欧風のコース料理よりも、缶詰のパインと一緒に供されるトンカツ定食の方が私には心良いのです。事前調査の通り生ビールもありました。
夕食後、もう一度外に出ると沈む夕日が見えました。
振り返ると夕日に染まる山と月が見えます。
やがて日が沈むと雲海と空の間に濃い橙色の筋が出来ました。左側に立山ホテルの灯りが小さく見えます。
山の上には小さく光る別の山荘と月が見えます。
月明かりに照らされた雪原を一人ぽっちで歩いていると、アポロ15号のクルーが月面で撮影した写真を思い出しました。雪原に反射した月光は鋭く、山荘の部屋に戻った後も光は目の奥から消えることはありませんでした。(上段はパノラマ撮影したものをモノクロに調色、下段はNASA Image and Libraryより引用)
翌朝、目が覚めると夜明け前であることがわかりました。シェル上下を纏い外へ出ます。あたりは無風で時折雷鳥の声が聞こえます。火山ガスの硫化水素臭もします。
入山届けは広い範囲を指定していません。山荘から離れることはある程度のリスクが伴います。山荘から東斜面側少しの所でチョコレートを齧りながら朝日を待ちます。
朝日がやってきました。
東の空が白み始めると、西側にある山々の山頂付近が染まります。この時点で山荘近くまで戻ります。雪解けが進み笹が見え始めています。
南側の斜面を振り返ると徐々に照らされる斜面と、遠くに人影を認めます。
朝食の為に山荘へ戻ると誰かの装備が軒先に置いてありました。本来であればこの程度の装備を持って分け入る山です。ビール片手に参加出来る限界はここまで。この先は研鑽を積んだ岳人にのみ許された、特別な領域です。
始発を乗継ぎ山を降ります。室堂でゆっくりと過ごすという選択肢もあるのですが、混んだ帰路を選ぶより、始発のまばらな帰路の方が性に合っています。
ケーブルカーを乗り継ぎ、
エメラルドグリーンのダム貯水湖を眺めながら、
かもしかビールを注文する、今日最初の客となります。
すれ違うバスはどれも、私が広告を見た通勤電車ほど混んでいました。
帰りの信濃大町駅で食べた蕎麦がこの記事最後の写真です。東京の立ち食い蕎麦とは味の異なる蕎麦本来の香りのするものでした。この日の昼過ぎにはまた、たくさんの音が重なる東京にいました。
私はまた、東京に戻ってきました。