泣く子供を保育園に預けても平気と言いたい
子供が生まれた。
1年間は無我夢中、ミルクやら夜泣き対応やら、日々目まぐるしく状況がかわり、初めてのことだらけで、冷静になる間もなく朝になり、夜になった。わけもわからず泣く子供に恐怖を感じ、早く寝てくれ、もう起きたのか、もうミルクか、を繰り返す。
0歳児の頃の我が子のことは、写真を見ればああこんな姿だったかと思うが、あまり覚えていない。可愛かったということは覚えているが、どんな姿だったか記憶がすっぽり抜け落ちている。ただ、とにかく何もかもが大変だったが、ずっと小さな赤ちゃんのままでいてほしい、と思っていたのは確かだ。
1歳になったときは、寂しさも大きかった。ああ、もう赤ちゃんを卒業してしまったと思った。まだ立てなくていいよ、歩けなくていいよと思っていた。
1歳半になったころ、ひとりで歩けるようになり、大人の真似をするようになって、人間らしい動きをするようになってきた。この頃、赤ちゃんでいてほしいという気持ちはすっと消えていった。大人に近づく仕草が面白くなってきたから。そして振り返って、1歳になるまでのあの日々は本当に大変だったのだと冷静に考えることができるようになってきたから。赤ちゃんでいてほしい気持ちは未だにゼロではない。でも、赤ちゃんを育てるのは本当に本当に大変だったから、またあの日々に戻るのは勘弁してほしいという気持ちが大きい。
2歳を目前に控えて、私はさらに冷静さを増した。
今までは、母親となった自分をどこか誇らしく思うところがあったし、0歳児の大変な時期を乗り越えて、何かやり遂げたような気持ちだった。母親というメダルを胸から下げてるような大きな気分になっていたところがある。
しかし、子供をいつまでも赤ちゃんでいてほしいと思ったり、思い通りにいかなくて泣いてる子供をかわいいと思ったりすることが、なんだかねっとりとまとわりついているようで、そういう気持ちをふりほどきたくなってきた。
思春期の頃、親に優しくされるのを邪魔くさく感じた気持ちに似ている。自分が、その親の側になっているのだ。そして親の側にありながら、それをどうしようもなくうっとおしく照れ臭く思う子供の気持ちも同時に持っている感覚だ。
保育園に子供を預け始めて、泣く子を振りほどいて仕事に出かけるのはさぞ辛いだろうと、つい先日まで思っていた。でも、あまりにもネットや周りからその手の話を聞きすぎたせいか、もうそういうものなんだと思えてきてしまった。
子供のつらい気持ちに寄り添うことはとても必要だと思う。でも、親として、保育園に泣く子供を預けるママも辛い、という気持ちは、ぐっと飲み込もうと思った。
あと何年後かには、また今の気持ちを冷静に振り返ることができると思う。しかし今、保育園に子供を預け始める真っ只中にいて、子供を保育園に預けるのが辛いなんて、恥ずかしくて言えない。自分が思春期の頃感じた、ねっとりとした親の愛情を自分の中に見てしまって、なんともいたたまれないのだ。
私は自分の子供が本当にかわいくて、このままでは子供に自分の存在意義の全てを依存しかねないから気をつけなければと思っていたが、それが功を奏し、子供から自分のことを少しずつ切り離せているのかもしれない。