慣らし保育で心に穴が

朝、保育園に預けるときに、子供が初めて泣いた。前回までは、なんのことかよくわからなくて泣かなかったのだろう。

しかし私は母として思いのほか平気だったし、泣く姿が可愛いなと思う余裕があった。

私と二人っきりで家や外で遊ぶより、保育園でいろんな人に構ってもらって遊ぶほうが楽しいだろうと思う。我が子はあまり人見知りもしない方で、はじめての場所でも物怖じせず好奇心のままあちこち歩き回るたちだから、楽観視している。

それに、正直なところ近頃我が子のやんちゃについていけなくなっていて、つい強く叱ってしまう場面が増えてきていた。母親である私より、父親に懐いているように感じることも増えた。子供と私、お互いのために離れる時間を持った方が良いだろうと感じてきたところだった。

保育園に慣れず、一日中泣いて過ごす子もいると聞くから、うちはかなり楽な部類なんだろう。

一方で、実は問題だったのは子供が泣くことより、子供がいない完全に自由な時間が、思わぬ角度から私の心に穴を開けたことだ。解き放たれて自由にスーパーに行ったり、スマホを見たり、家事もできる。だけど、自分がなんの義務も果たさず、ふらついてるロクデナシのように思える。私に存在価値はあるのかと、つい自分を追い込むようなことも考えてしまった。お茶をこぼすなどの小さな失敗が、まるで致命的なミスのようにも思えた。

復職するために保育園に預けているので、まだ働いてないのに保育園に預けている今そう感じるのは、当然かもしれないけれど。

預けられた子供が泣いても結構平気だったので、もしかして私は、子供がいなくなってもそんなに悲しくならない、鉄の心を持ってるのかなとも思ったが、そんなことはなかったようだ。

腕の中に子供がいない、いつも意識を奪っていた子供がいないと、やはり私からとてつもなく大切なものが失くなったように感じるのだった。




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