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映画備忘録5 『地球へ...』
【あらすじ】
環境破壊で生命滅亡の淵にある地球。人類はその自然治癒力を頼りにして、遠い惑星に向かい、そこで地球に戻るための準備を進める。同じ過ちを犯さないために、人類は人類を再教育し、人工知能による完全な管理の下で、生まれてくる子供たちを養育していく。しかし、ごくまれに超能力を持つ新人類「ミュウ」なる存在が生まれ......
人工知能によって教育されたエリート官僚のキースは疑問に思う。
『なぜ反乱分子であるミュウを、機械は生まれる前に摘み取らないのか?』
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人工知能はそれに答える。
「そうプログラムされているからだ」
......すべては計画のもとに進んでいる。人類とミュウは争う運命を逃れられない。むしろそうするようにと、機械のプログラムが推奨する。
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なぜ?という疑問は、“フィジオクラシー”なる通念を用いることで解消できるに違いない。
日本語だと「重農主義」と訳されているそれは、社会学では、「秩序ある安泰な暮らしの始まりには、過酷な剥奪と贈与がある」という前提を意味する。
たとえば日本という国は、戦争による剥奪とアメリカからの贈与という要因が重なった結果、現在までの秩序ある社会が継続してきた。またそのアメリカも、先住民からの剥奪と贈与が出発点にある。すなわち、平和的なコミニュケーションは、大きな災いを踏まえたのちに成り立つものであって、初めから存在したものではない。
災いの時代を覚えているうちは、秩序ある生活を送ることができる。が、それを忘れてしまったときに、人々はカオスへと帰化する。大事なのは記憶の継承。図書館から『はだしのゲン』が消えてはならない。