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バズるのダサい時代がやってきた

友人のWEB制作会社の社長から
「人生って何なんだろうね・・・」とDMが来た。
余命もよくわからない私に、こんなこと言ってくるなんて。今じゃ私も達観キャラになってしまってふいにこんなことを訊かれる。私も茶化した感じで返してしまい結局何があったか聞き損ねてしまったけれど、でも分かります、分かりますよ。

WEBの世界にずっといるってしんどいよね。
溢れ返る情報、新しいことを知っておかなきゃならない風潮。決して褒められもせず、持ち上げられもせず、有能な社員に陰で揶揄され、若者には冷ややかに見られ、ガラパゴス化する自分に脅えている。いつぞやの栄光をギュッと握りしめている。
自分のやってきたことって何だったのかな、何も残せなかった、何も意味がなかったんじゃないか。何をどうしたら成功、だったんだっけ? 

常に人してのアップデートが求められる。観たい映画も積読も溜まる。保険が高い。税金が高い。老後は。変化は嫌っていてはいけないモノだけど慣れ親しんだやり方を変えるのは本当はいやなのが、人間の体である。

私はそこでつまずいた。勉強が足りなかったって反省もあるけれど、体力がついていかなかった。
何だろうこの、自信が積み重なっていかない感じ。
非社会的で、非人間的。分業制の結果、こんな社会ができちゃったってことだろうか。
それで仕事で繋がっていたSNSの人間関係もすっぱり切ってしまって、見事に業界からも淘汰された。全くの別業種に就いてみたりもした。

最近になって、元同僚たちをたまたまフィードで見た。アイコンは10年前と変わっておらず俗にいうTwitterおじさんと化していた。謎のスクールの謎メンターが増えてる昨今、スクールで講師をし、広告賞を取るために、ポートフォリオサイトや専門誌に掲載されることに喜び、マチズモ的な業界内イチャイチャを続けていた。バズるのも、広告賞をとるこも、それはそれで凄いことだけど......。

おすすめには彼らの現在の部下も上がってくる。
一見とても有能そうに見えるプロフィールだ。
ググれば分かることを親切丁寧に画面収録して、毎日発信している。それは社会に自己アピールするためか、キャリアのためか、優越感か、SNSでバズることを目標としている世界で生き抜いている。会社の看板を背負う発信力がある俺、あたらしいこと誰よりも先に知ってる俺。こういう風なのが「良し」とされている。誰々の友だちとか知り合いとか、ほんとにどうでもいいことに必死になってる。
自分を「凄い人風」に発信し続けるって、自らの首を締めていないのだろうか。しんどくないのか。体壊さないんだろうか。

バズらない日々がやってくる。
自分自身には才能がなく、何でもない人間であることに直面する日は必ずくる。
それなのに、ずっとバズっていなきゃいけない世界にいるって辛すぎる。SNSで輝いていなければいられなくなる業界。そこでしか評価されない会社なんて一刻も早く脱出したいってならないのだろうか。それってまるで「あなたが必要」って認めてもらうのをずっと待っている奴隷のよう。いやならそういう世界じゃなくすればいいんだけど。私は達観なんて全然できていなくて、病気になってしまったよ。

皆、何のために生きているのだろう?
バズることはもうダサい。
散歩しようよ、もっと!
と言いたい。

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