見出し画像

闘病記書いて日記をやめた

2022年9月

春から夏にかけて転職活動。
40代の転職は昔と比べると、そりゃま「すんなりとはいかんな」ってことばかりだった。それでも8月にはあたらしい職場が決まり、岐阜から名古屋まで、通勤することになった。「頑張るぞ、頑張らなきゃいけない」と、奮い立たせて通うものの、身体がひどく疲れやすい。おりものも多く「ついに来たか、更年期」くらいの気持ちで、職場近くの小さな婦人科へ行った。そこで「がんかもしれない」と言われた。
言われてから気づいたけれど、お腹の下部を撫でるとぽっこり小さな膨らみがあった(のちにそれは腫瘍ではなく子宮筋腫だと分かった)。検査結果を待っていた一週間、あまりの心細さにぬいぐるみを買った。とはいえ抱きしめて眠るということもなく。部屋の隅でこてんと転がり見守ってくれている。

自分の新入歓迎会と重なった昼休憩に、検査結果を聞きに行く。
「がんです、大きな病院へ行ってください」と言われる。頭の中に流れた言葉は「がーん」だったけれど、それってぜんっぜん笑えない。それから幾度の婦人科検診、現実味がじわじわ増してくる。婦人科って大病院にしかなく、大病院は平日のみ営業と知る。そんなことも知らなかった。婦人科検診の椅子はつらい。おまけに痛い。私の子宮にできた腫瘍は「例え、定期健診に行っていたとしても、見つからなかっただろう」と言われる。星占いでも同じこ言われたなって思う。「あなたという人は分かりにくい」と。ああ、これは現実。

2022年10月

がんになって、治るまで禁止にした食べものがある。たとえば、クリームパン。羽毛布団みたいな表面を噛みちぎると、ふわふわの甘いかたまりが唾を誘いまんべんなく口の中に広がる、あのクリームパン。食べたい。でも、もう十分食べたわ、私。さよーなら、クリーム。さよーなら、パン!さよーなら、パスタ!さよーなら、五平餅!この別れの儀式、もう何度目だろう。

一日二食、栄養のあるごはんを作って食べる。
朝はお粥、夜は酵素玄米(炊飯器に入れっぱなしにしてるだけだけど)、あとは野菜を5種類入れたスープ、海藻やきのこも忘れずに。
すぐへたばってしまうけれど、ウォーキングも再開した。がんに関する本を読まなきゃと思うが、文字がぽろぽろと宙に浮かんで、頭の中に入ってこない。映画も観れなくなっちゃった。情報はいらない。今は、身体が健康になることだけ考えていよう。私は、もう少しだけ長く生きたい。「サレンダーの秋、だけど自分で決めていく」と決意表明のように書く。

スーパーに行く。
世の中で出回っている食べ物のほとんど、本当は食べない方がいいってどういうこと? でもオーガニックはお金がかかるし、生活していくは都合がわるい、そう言って目をつむった日々の食生活が悔やまれる。私の体は丈夫な方ではなく、原因不明の病気続きだったのならなおさら(私はアレルギー持ち、アトピー、喘息、潰瘍性大腸炎持ち、そしてがんになった)。もっともっと、やるべきことがあった。この夏アイスクリームとか、食べてる場合じゃ、なかった。

「本来消えるはずのがんが、自分自身の生活習慣、つまり消えない生き方をしてきてしまったことで表出してきたのだと言えます。裏を返せば、治る邪魔さえしなければ、身体は治るしかないのです。」

『がんが消えていく生き方 外科医ががん発症から13年たって初めて書ける克服法』船戸 崇史著

スロージューサーを導入。
済陽式食事療法だと毎日1〜1.5リットル、ちゃんとした栄養をしっかり、効率よく摂らなければいけない。朝はニンジン5本とリンゴとレモン1個、それでやっと500mlのジュースになる。ものすごい量の野菜を消費する。でも今、今だけは、節約だとかもったいないとか言っている時ではない。

バタバタする間もなく、入院日が決まる。
会社は、リモートワークをゆるしてくれた。上司からはメールをいただいた。
「仕事のことは心配しなくて大丈夫です。僕たちができることは、できる限り協力するので小さいことでも相談してね。(たまには愚痴や無駄話も受け付けます!)貴重な戦力として、仲間として待っているのでまずはじっくり、快方へ向けて共に進んでいきましょう」と。
ありがたいな。かっこ内の優しさも、ありがたいと思う。

一人暮らしで、独身で、がん。
私もつい、「どうして、病気になってしまったのだろう」と原因探りばかりしてしまう。
例えば病院の待合室で、「いま私に連れ添ってくれパートナーがいたならなぁ」とか。なんちゅう、いかにもな、おセンチメンタル。そんな感情にのまれてどうする、と私はわたしを鼓舞する。
「いいか、私がわたしを支える。私がわたしを愛するのだ。そうやって生きていくしかないのだし、そうやって生きるって、お前は決めていたのだ。やるしかないのだ」

言ってしまえば、がんは私が作り出した子どものようなもの。私は腫瘍にありがとうを言いまくる。
「こんなになるまで、放ったらかしにして、ごめん!
私がしんどいって声をあげなかったから、変わりに声をあげてくれたんだよね。あたらしい試練を与えてくれてありがとね」

実は、次姉とは5年以上口を聞いていない。
私ががんになっても「大丈夫?」の一言もなかった姉。「仲良くしたかった」なんて後出しじゃんけんじゃん。私もこれはもう解決できない問題、と箱に入れて締めた。病理利得といって、実のところ、さびしくてふり向いてほしかったのか、それは病にならなければできなかったことなのか、とか考えてしまう。あまりに希望的観測に生きてきた代償なのかもしれない。

マザー・テレサが言いましたそうな。
「最悪の病気と最悪の苦しみは、
必要とされないこと、 愛されないこと、大切にされないこと、全ての人に拒絶されること、 自分がだれでもなくなってしまうことだ」

たしかに私も、病気になって、いやもっと前からか、人から拒絶されたように感じていた。安心できる居場所が欲しいが、どうやらそれは私には叶わないらしい。型にはめたような運命論でドラマしていた。婚活、家族、がん、色んな問題を地続きに見る。

昔、仕事のストレスでうつになった時、友人が「これ乗り切ったらその会社クリアしたことになるもんね」と言った。今回だって同じだ。
実際、私の体はほんと優秀。ストレスを感じたらちゃんとお腹が痛くなって、頭が痛くなって、一時は10円ハゲだってつくってくれたし今だって、がんを治そう治そうとしてくれている。これは絶望じゃない。私は、ひとりでもたのしく暮らす方法を知っている。

さて、この究極の孤独を、どうして笑って過ごそうか。神さまが「ハイどうぞ」と死を差し出しても
「どうも、これやりたかったんスよ」と言ってやろう。人から聞いたことより、本に書いてあることより、もっとよい方法を、体は知っているのだ。自分と体の可笑みに心を開いていこう。私は、40代の私の力を信じたい。

10月17日(月)〜23日(日)はじめての入院
抗がん剤治療1回目。
明日から抗がん剤治療が始まる。こわいこわいじゃ前にすすめない。
「抗がん剤はよくない」なんて話も知っている。「西洋医療は癌ビジネスだ」という話もチラチラ聞こえる。だけど、私の腫瘍ができた部位は、抗がん剤以外の手術や放射線の治療法は出来ない。「抗がん剤をやめたことで致死率が上がる」という話も聞いた。がんというものに私は完全にビビっていて、こんなにも大きく育ててしまった腫瘍を放置するわけにはいかないと思った。正直この頃、ケリー・ターナーの本を読んでも「こんなん、一握りの奇跡体験なんでしょ」と、内心クサクサしていた。

入院中、遠隔で直傳靈氣をお願いする。
先生の万里子さんから、「自分で創り出したがんなのだから、自分で治せます」と声をかけていただく。小学生のお友だちから「靈氣があれば大丈夫だニャン」と写真が送られてきて和む。

『イタリア人医師が発見したガンの新しい治療法 』を読む。どこにも細かいやり方は書いてないから、適当にホームセンターで油差しを買って、1週間おきに重曹注入法をやってみる。注入しながら唱える「がんは真菌だから、重曹できれいになくなります。この水は、魔法のくすり。私が立証してみせます」

10月30日
県外からノリエさんが来てくれて、時間たっぷりロミロミ&アクセスバーズ申し出てくれる。ノリエさんが「治るに決まってる!だってそういう事例いっぱい知ってる!」と、素直さ全開で言ってくれたのがありがたかった。お礼に夕飯をつくる。玄米をよそう。私は最近、食べ過ぎなような気もする。炊飯釜に「食べたいぶんだけ食べなさい。今はこれが最大の栄養になるのだから」と、言われた気がする。

2022年11月

11月9日(水)〜13日(日)2回目の入院
抗がん剤治療2回目。嘔吐、夜中にふるえが来る。
点滴袋を見上げながら「この抗がん剤は、私のがんだけを小さくして小さくして、消していきます。私の免疫細胞を傷つけずに、通り抜けていきます」と小さく呟く。
髪が抜け始め、ドン引き。掃除のおばちゃんが「だいじょーうぶ、がーんばっていきましょね」と、掃除をしてくれる。

3年間音信不通とかザラにあった母と、ここ最近じゃ毎日のようにLINEしている。母は毎回「ご飯食べた?」と聞いてくるので、さっき作ったご飯写真を送る。母は、庭に咲いた花の写真を送り返す。

くすりのようにニンジンジュースを嗜む朝 。グビグビ。
今まで料理が苦手だったのは、一日のうち食の優先順位がずっと低かったからだった。ヒェェ、と思う。食べるって、生きものの根っこに水をやるようなものなのにそこ端折る?って、今なら思う。私、もやしのナムルばっかり食べていた。粗食にかこつけてズボラ手抜きして、栄養失調になっていたのかもしれない。

仕事でZOOM打ち合わせ。初めてウィッグをつけてみた。私はワイプで、自分の見た目ばかり気にしていた。先方の社長が「うらみやねたみを買うと、いろんな意味で回ってきますね」と話していた。私の見た目云々より、ZOOMで背景をぼかすと印象がよくない、と指摘を受けた。うーん。

仕事と治療生活の両立。
ご飯を炊くのは土日のうちに。朝食用の二合分の玄米粥を鍋で炊き、夕飯用に二合分の酵素玄米を炊いておく。これだけで、平日のご飯作りが楽。
私は過集中で、いつの間にかすごく寒い状態になっていたりするから、注意が必要。ほんとは、一時間おきに10分休憩とか、ルーティーンにできればいいけど、これが身につかない。一定時間にタイマーが鳴るスタディエッグを買ったけれど、使ったのは一回きり。昼休憩に、毎日一時間散歩に出る。

散歩中によく歌う、細野晴臣さんの『幸せハッピー』。キーは二階堂和美バージョン。こんな呑気ないい曲、他にあるだろうか。作詞作曲もする。
「気がしれない、大声で歌うなんて 
でも私も歌ってみよう ラララ るるる〜」
なかなかいい曲だと思う。すぐに忘れてしまう曲。

2022年12月

人生の貴重な一分間、メルカリしている場合か、映画レビュー書いてる場合か、パスワード作り直している場合か、などツッコミながらやっている。
便利な裏ワザ、クリックしている場合か!台所の棚、作り直してる場合か!きっとギリギリまで、そうやって生きていくのだろう、と思う。生きる時間の大半がこういうしょうもないことの連続で、私は生きることを愛している。今さらだろうか。

11月30日(水)〜12月4日(日)入院
抗がん剤治療3回目。副作用に、手先の痺れ。

12月10日(土)
午前中、車の廃車手続きへ。
この冬、断捨離のためソファ、Mac、コピー機、本など処分したけれど、昼に整体院に行ったら「断捨離?まだまだ」と言われる。そして「裁縫箱を整理するといいよ」とも言われる。きっと信じれば、そうなる。
癌という字は「3つの口が山盛り」と書く。がん患者は、物が多いのだとか。それだけではなく、ToDoが多い、反すうが多いように思う。

私はどこか、他人のせいにもしていた。
「何でこんなことになっちゃった?」って。
でも一体、私のどのようなものの考え方が、私自身を痛めつけてきたのか、考えてみたまえよ。「がんLOVEの周波数だから、がんになる」という話。要は、それをやめればいいだけ。私は、周波数を変えればいいだけ。それは簡単なこと。手を伸ばして右回転でポーンと、周波数を飛ばす。

毎晩、唱える。
「私のがんは小さくなって消えました。私の身体は今、健康体になりつつあります。私は治し方は知らないけれど、この身体は知っている。ありがとう、ありがとう、ありがとう。私にがんの経験をさせてくれて。ゆるしてください。私が今まで、ゆるせずにいたすべてのことをゆるしてください」
そう唱えることで、抑圧している部分はないかな? と思う。

どうして私の子宮にがんができたのか。
私はもう、知っているし、私はもう二度と、自分にストレスを与えてはならない、と思う。一度私は、原因さぐりの沼に落ちた。私は、私の為に怒ってあげなかった。それでも私の選択は正しかった、と思う。私はこの経験がしてみたかったのだ、と思う。私にはゆるす力も残っているし、ゆるされる時間も残っている。私はこの身体に責任がある。病気に責任がある。

どうか間に合いますように
今日もおいしい野菜を食べました
あなたって、大丈夫じゃない時ほど大丈夫って言うよね
助けがいる時は助けてと遠慮なくお願いすること
病は自然の流れでよくなります
安心して暮らせるお家も見つかります
自分を励ましながら一日を生きています
これまで私がわたしを殺める考えをしてきたのなら
こころからあやまります
つらい仕事ばかり強いてしまった、性格わるかったわ、私
宝箱に大切な物ひとつも入ってなかったなんて
過去をなぞるひまなどなかったと
この期に及んで気付いてしまった

私は変換する
きっとこれから180度変わる
タイムリミットに間に合いますように
病気は私次第で治るのだし
笑いは笑ったぶん返ってくる
私はのびのびとふるまう
健康なこころと身体で生きる
たのしくはたらく
いちばん得意なことで役にたつ
いや 役に立たなくてもいいんだ
一分一秒を生きていれば

住みたくない家に住むとか
やりたくないことに目をつむるとか
ちんぷんかん過ぎる
そんなのありえないよねありあえない

きっとまた、後先も考えずに
どこぞに向かう電車に乗れるようになる
見えない力が通い合う
たわいもない挨拶を続ける
あれこれ経験してきたのだから
私はもう私を安心させてあげることができる
きっと夜が明ける
葉っぱが青から黄へ向かう
煙のにおいが消えた真っ白な朝
鳥は私に「鳴きなさい、今日を生きなさい」と謳う

12月26日(月)〜12月30日(金)入院
抗がん剤治療4回目。9月から体重が6㎏落ちる。

12月30日(金)4回目の退院日
帰宅してすぐ横になって、母に「ただ背中に手を置いて」と言い「お手当て」を頼む。母は、肩や背中をさすったりしていたけれど、こういう時はただ手を置いてくれるだけでいい。退院して3日間はまだしんどく、何かしらの施術を受けるのは身体に重すぎる、と分かった。私の理想は、退院当日はお手当、3日後にテルミー施術、その後こんにゃく湿布など、一週間目に鍼灸くらいがいいかな。

12月31日(土)大晦日
この日の為にワンセグテレビを買った。母と一緒に、紅白を一緒に観た。藤井風の『死ぬのがええわ』を一緒になって「不謹慎やな〜」と笑いながら歌った。

2023年1月

1月1日(日)元旦
2日間宿泊した母が金沢へ帰り、しんとした正月がやってきた。
天皇は一月一日に「今年もし日本に災いが起きるならば、まず私の身体を通してにしてください」と言ってお祈りをするらしい。私に、そんなお祈りはできますかと問われたら、できない、できません。今は自分の生のことばかり。できるだけ自分に感謝する一年にしよう。

1月2日(月)
田中裕子主演の邦画『おらおらでひとりいぐも』を観た。あったものが無くなった方が「寂しさ」は増すのか、初めから無かった方が「寂しさ」は増すのかね。いーじゃんね、「寂しさ」が居たって!子ども家族がいてもいなくても、幸せに生きる第一人者になるぞ、と思う。

古い友人から、年賀状の返信が届く。
「大人はいつでも笑うのは無理な時もあるけど、私はやっぱり笑って生きたいと思っております。それが自分に優しくする事な気がします」と書いてあった。

1月4日(水)
がんは42.5℃で死滅するという。
とにかく体温を上げるべく、生姜を食べまくる。目指すは、朝体温を36.5度以上、ポカポカ子になる。
年末にオムロンのスマホ連動の体温計を買った。朝晩、入浴、運動毎にチェックする。布団を湯たんぽいっぱいにして、靴下やレギンスを重ねばきして眠る。ある夜は靴下を脱いで寝てみる。
温め戦略で、大きな湯たんぽを足元に置き、小さい湯たんぽを二つ、ひとつは股に挟んで、もうひとつは仙骨にあてて眠る。それだけで、夜中に汗びっしょり。(「がんは温めない方がいい」と言っている方もいるが、何ごとも両極の意見がある)

お風呂は、HSP入浴法がいいのか半身浴か。これにはこう書いてあるけれど、私の場合は温度や入浴時間を伸ばした方がいいのか。この健康法は私の体に合うのか、意味ないのか、毎日実験。私がいいオーケストラを鳴らすには。結局のところ、運動量がすべて! と思っても、一万歩歩いた翌朝の温度が36.1度。「昨夜、バナナ食べたからかなぁ」(南国の食べ物は体を冷やすから控えた方がよいのです)実験結果は、白紙に返る。

色々やって思うのは、他人さまの真似ごとをして良くなる、お手軽な方法などない、ということ。自分で、突き詰めてくしかない。体と心と霊体も、人それぞれなんだから。身体だって何かを表現してくれている。それが何かは、自分で理解するしかない。

1月5日(木)
仕事はじめ。今の生活が出来ているのは、今の会社のおかげだ。でも私が頑張りそうになった瞬間、「頑張らない、頑張らない」と言う。
「私すごい」「私、何もしなくてもさいこう!」と言う。

1月8日(日)
愛媛に住むおじおばに「紅まどんなに感動した!」と言うと、『デザイナーズフーズピラミッド』の上から順に、野菜と果物をどっさり届けてくれた。御礼の電話で15年ぶりに聞くおじおばの声。愛媛弁が安心感を与えてくれるのか何なのか、涙が出た。

カレーが食べたくなる。
しかし今は砂糖、小麦粉、化学調味料を控えていて、ルーを使うような料理はしばらく食べられないなぁと、思っていた。 当たり前だけどそんなことはなく、 玄米甘酒と味噌とトマトでデミグラスソースを作れると、実身美さんの本で知る。 赤ワインは入れず、味付けはにんにく、しょうが、クローブ、シナモン。ブロッコリーは別で茹でること。

1月11日(金)
時折、無神経だな、と思うことがある。
「私の知人がね」と、亡くなったケースの話をしてくる人。「どんどん体重が痩せていくんだよね」と言うと「よかったね」と言う人。「いい病院がある」とものすごく高額な病院へのリンク。
その後、私は目ざとくなる。電車で席をゆずらない男、産婦人科の待合室で音を出してゲームする男。私が腹をたてればたてるほど、怒りの中枢神経がぶるぶると刺激され、ダルマ式にむかつくことが起こる。いかんいかん、私いかんモードに合わせてしまっている。こんな思いに馴染んではいけない。

1月12日(土)
スーパーまで歩き、気持ちが上る鮮やかな色のボールペンを買う。ユニボールワンの日向夏、インクがじゅわっと出るタイプ。モレスキンのライトグリーンのスケジュール帖によく似合う。ネットで買ったらサイズ感ミスったけれど、さいわい書くことはいっぱいある。

1月13日(日)
私の眉毛が「いっぽん、にほん......」数えられるくらいになりつつある。そこでメイクに詳しい平和モモコさんにお尋ね。外で検証して、コスパも鑑みてくれて、エクセルのリキッドと眉ペンシルを教えてもらう。知らなかった、現代日本、眉ティントなるものまである。

1月17日(火)
笑顔でいなさいよ。
ドラえもんは「にこにこしてるんだよ、いつも楽しそうに。そしたら、ほんとにしあわせになれる」と言った。
木村秋則 さんは(著書『地球に生まれたあなたな今すぐしなくてはならないこと』 )で、「ニコニコ笑っているだけでいい!人生のツライことは、ニコニコ笑って耐えるしかない。悲しいことも、ニコニコ笑って耐えるしかない。何があっても、ニコニコ笑って自分で乗り越えるしかない」と書いていた。
私の腫瘍は、口角の下がったスマイルマークみたいな形。私はこれをスマイルに変えるんや。

1月18日(水)
「あ、私の病気は治った!」と思いながら目が覚める。
時々そう思いながら起きる、朝がある。シューレディンガーの猫みたい、と思う。
今日はちょろちょろと落武者状態になっていた、髪の毛を全て剃った。決してセンチメンタルにはならずに!ツンツルテン頭もよく似合う。できるだけ笑顔でいこう、と思う。

1月19日(木)
父の友人で、私と同時期に癌になられた方がいる。私の両親とは大学の同じワンダーフォーゲル部で、今は広島に住んでいる。昨年末から、がんに関する本のコピーを渡し合ったり、直接お手紙をいただくようになった。この方は、父が心の病気になった際「(父の名前)君が可哀想や!」と言って泣いてくれたらしい。一方、父は誰に対しても無関心。
夜、私はいただいたポストカードの広島焼き構造マップを見て、小麦粉を抜き、山芋と豆腐で、お好み焼き風を作る。失敗したけど。

谷川俊太郎 『さようなら』をAudibleの加瀬亮朗読で聞く。
「ぼくもういかなきゃないんない」
矢野顕子さんの曲として聴いていた時は、両親が離婚する詩だと解釈していた。だけど、これ「ぼく」が死んでしまう詩なんだ、と20年越しに理解した。私も(どうしてなのかわからないけれど)、お父さんごめんなさい、と思う。お母さんにやさしくしてあげて、と思う。でも我が父には伝わらない。

吉本ばななさんの吹上奇譚第四話(完結編)を読む。「あらゆる地獄を生み出すくせに、あらゆる解決法を人は考え続ける。その土台は家族だ」と書いてある。
いい加減、やめなければいけないことがある。「なんで、うちの家ばっかり......」と思うことが多々あるが、家の周波数を私が変えたる、くらいの勢いで。これは愛と感謝の周波数に変えるラッキーチャンスなんだよ。

1月20日(金)
今日は、化石博物館まで歩く。
健康で車を持っていた時は、歩いて来るなんて信じられなかった距離。言っても往復で8,888歩。今の方がよっぽど健康的だと思う。

1年前、私がまだがんだと知らなかった頃、タイムウェーバーを受けた。「第一チャクラが潰れている」とか「良いオリーブオイルを摂りなさい」と、予兆のようなことを言われた。(それよりはっきり「がんの可能性があるから検査に行くといい」とか言って欲しいものだけど、そういうものではないらしい)あと、よく分からないけれど「68」という数字が出てきた。その後も数字は謎のままだったのだけれども、今では「私は68才まで生きる」と思っている。私はこの経験を乗りこえる。どうやって治したか人に伝える。私は、例えたったひとりでも、この生命を生きるのだ。68才、まだまだ。

1月21日(土)
電車に乗って可児まで、テルミー施術へ行く。
施術者の方はがん寛解を経験されていて、入院以降は私の家まで出張にまで来てくれていた。しかもお庭で獲れた野菜をいっぱい持って。今日は施術後、30キロ先の私の家まで車で送っていただいた。無農薬の、白菜、キャベツ、大根までいただいた。病気になると、涙もろくなったり、人の言葉や態度にひどくセンシティブになったりする。夕飯に、ほろほろの白菜煮をぎゅっと噛む。

1月22日(日)
Audibleで『猫を抱いて象と泳ぐ』(小川洋子=著)を聞きながら、いつもは歩かない道を歩いた。すると昨日、テルミー中に話に出てきたお店が目の前にドンと現れた。シンクロが多い時、「この道で大丈夫」と言われているような、気がする。白菜畑を抜けると、人っ子一人いないお花見スポットを見つける。「桜が咲いたらここでお花見しよう」と思う。あと何回桜が見られるのかしらなんて、ベタベタベッタに思う。今までどれだけ美しさを取り逃してきたんだろう、とか。それから一日中、リトル・アリョーヒンのことばかり考える。

小学一年生だった頃、架空のイマジナリーフレンドと一緒に学校を帰っていたことがある。ガチで私は、何か喋りながら、歌いながら、一緒に帰っていたのである。
同級生にその姿を見られ、「誰と喋ってたの?」とからかわれてからはやめた。後に、父とその妹の間に、幼くして亡くなった子がいたことを知ったが、その瞬間私は「あのコだ!」と思った。
『猫を抱いて象と泳ぐ』(小川洋子)には、ミイラという名の壁に挟まれた少女が出てくる。すっかり忘れていたそんなこと、思い出した。

退院後、作りおきがあると、ずいぶん楽と知った。そこで、玉ねぎ酢、なめたけ、きくらげ煮、しいたけ煮、黒豆炒め、カブ酢漬け、かぼちゃ煮、余った白菜は切って冷凍する。明日の朝食べる分は、タッパーに詰めておく。

1月23日(月)〜1月27日(金)入院
抗がん剤治療5回目。
入院中ってなぜか料理本が読みたくなる。
誰も助けてくれない。それは当たり前のこと。

インスタグラムを更新する。
Aマッソ加納さんが「SNSってタダ働き感すごいな!」と言っていたことを思い出す。
私も、我々はSNSをやらされている、と思うことがある。インターネット空間のフィードを埋めるために。たかだかSNSという名のゲームでも、たった一言だって、表現するってこわいもの。自分の声など誰も求めていないと思い知る、それがこわい。それが、いつの時代もテンプレみたいな反応が生まれ続ける理由だろうか。皆、演技させられている、と思う時がある。

私は、何を思ってもいいんだよ
感じてもいいんだよ
当たり前やん
と思いながら、飯の写真をシェアする。

1月27日(金)
退院日。この日、人生でいちばん孤独な日だったかもしれない。母も雪で来れず、私も靴下を濡らしながら帰宅。番茶を沸かしてポッドに淹れた瞬間、猛烈にほっとした。「大丈夫、もう温かい」
それから乾燥よもぎを煮たたせて、お風呂に入る。

1月28日(土)
退院後2日目。しんどい。しんどくて、背中を丸めながら洗い物をする。お母さんよりおばあちゃんになった気分。電波塔にでもなった気分で、とてもじゃないけど歩ける気がしない。鏡を見る。眉毛もなくて紫色の口びるに「私、病人みたい」と思う。病人だよ。

助けてほしい、本当は。
今日は、南瓜と油揚げのお味噌汁が食べたいからスーパーへ車を出して欲しい。入院中に資源ごみを出せなかったから、処分場へ行きたい。溜まりに溜まった洗濯物は、夜になる前に取り込めるように。それから、夜ご飯と片付け。病人の大半はおそらくそう思っているのに、「大丈夫だよー」とか言って、作ってしまう始末。私はどこか、デクノボーである自分が情けない、こんなことになって恥ずかしいって思っている節がある。寝て起きたら、体調も少しはましになっているはず。

1月29日(日)
手ぬぐいで帽子を手縫いする。それぞれ異なる作り方で、どんどん可愛くなるように。これに前髪だけのウィッグも付けると、ヒトヒトピッチャンって感じで間抜けなのだけど、外見は案外かわいい。

1月30日(月)
今回の副作用はえらく長引いている。
それでも仕事をした。えらいな!
2、30代の仕事の仕方に、反省。私はずっと、締め切りギリギリまで息を詰めて、夜中まで働いていた。それが「お役に立ってますゥ」って感じがして、中毒的に好きだった。

「交感神経優位」な状態が続くとがんが生まれる、という話を聞いた。ある本には、交感神経と副交感神経の振り幅が広くなりすぎると、とも書いてあった。働き方も関係していたと思う。いつも安心して息ができていないと、こうなる。そもそも体温が人よりも低い、世界、そんなとこに居ないでくれ、と言いたい。一生をかけて体質改善をしていく。運動を癖にしなくちゃ。「本気でそうして!」と身体が叫ぶ。

1月31日(火)
駐車場で鳥が死んでいた。
見つけたのは他でもない私で、私がすべきことなのだろう、お墓にして埋めた。そういえば前に住んでいた家でも同じことがあった。巣から落ちて死んでしまった鳥の姿を今でも覚えている。

2023年2月

2月1日(水)
親戚からみかんや野菜が届く。御礼の葉書に、
「りっぱなはっさくをいっぱい、ありがとうございます。果物を摂るには『朝が金」と、ある本に書いてありました。毎朝、いただいて元氣を取り戻しますね」と書く。
私「りっぱなはっさくをいっぱい」で韻を踏めたと思ったが、よくよく考えてみたら、はっさくではなく伊予柑だった。

古い友人からもメールが届く。
「気持ちで乗り越えたなら、後から体もついてくるよ。 だから大丈夫。」
「ありがとう。そういう言葉が今何よりもカになります。岐阜もいつか案内したい。それまで養生、がんばります。」
昔の私はこんなメールを書けなかった。「メール打つの、めんどくさ」っていう、あかん人やった。ありがとう・うれしい、が嘘でもいいから伝わるように伝える。これができるようになったのは、あの会社に行ったおかげだと思う。

2月2日(木)
いやー、玄米おにぎりって、なんて美味しいのだろうか。
具材は梅干し、ゴマを煎ってワカメと混ぜる。かぼちゃの炊いたんは、蒸したブロッコリーと和えてクミンで味つけ。

公園でスクワットしていたら、鬼ごっこをしていた小学生がしんと静まり返った。振り返ると、10名くらい並んで真似されていて、思わず笑った。子ども達も「バレた」という感じで笑った。味をしめた私は、また別の公園でスクワットを始めた。しんとして、しめしめと振り返ると、誰もいなくなっていた。こういうのは狙うと外す。

2月3日(金)節分
厄除けにいわしを焼いて、豆を払って食べた。
玄米ごはんの恵方巻きはボロボロくずれてしまった。沖縄に住む夢を見た。その後、ひさしぶりにプリミ恥部さんの宇宙マッサージを受けた。30分くらい経って「そのままつづけていきますので宇宙タイミングにまかせてすごしていただければとおもいます」とメールが来て、私は「私の中に愛があふれますように」とつぶやき、熟睡。

2月4日(土)立春
快晴。今日は2時半までに鍼灸院まで行かなければならない。洗濯機を2回まわして、干し竿にそのままタオルや靴下を掛けるいい加減さで「あとは太陽さんよろしく!」と言って家を出た。

「お顔、ピカピカですね」と言って、鍼灸師のみわさんは出迎えてくれた。「良いものだけは食べてますから」と、私は答えた。施術もマッサージも夢ごこち。施術をしていても「体の力みがずいぶん抜けた」とのこと。この方、病気に向きあってくれる感じが、いつもする。「先日も、抗がん剤治療を終えた方が来られたんですけど、今度はツルツルのすっごくきれいな髪が生えてきますよ」と教えてくれた。がんにいいとされるハーブティー、フィーバーヒューも分けてくれた。帰りには車の送迎まで申し出てくれた。私はウォーキングをしたいからとお礼を言って、うれしい気持ちで道の駅まで1万歩歩いた。

2月8日(水)
毎日の食事のメニューが大体同じになってきた。玄米、スープ、もずくサラダ。時々、噴火したように「パスタとかパンとか食べたいいい!」が訪れる。そこで自然食品店で、玄米ホットケーキ、玄米ビーフン、モロヘイヤ玄米パスタなるものを発見、買って帰る。だけど慣れないことはするものではない。一日中、胃が、体全体が、重たーい事態に陥ってしまった。

2月11日(土)
メタトロンというセラピーを受けた。本来からズレた周波数を元に戻してくれるという。ガンなど病気は悪いものとして出ないらしく、周波数的にはとても良い状態なんだとか。
アンバーの石を持つように勧められた(おりしも私の甥の名前は「こはく」という)。しかし購入後、腹巻のポケットに入れたら、一夜にして真っぷたつに折れた。

2月13日(月)〜17日(金)入院
抗がん剤治療6回目。
眉毛がみるみる抜けて、数本単位に。MRI検査アリ。
アンディ・シャーフの曲を聴きながら、待合室の隅でスクワットする。「Was all my love, wasted on you?」わかるよ、わかる、まったく、私以外の誰かを信じていたなんてさ。コロナ以降、マジカルラブリーからウエストランドーの流れは、確かに私にもあった。表面上はおだやかに、怒りはいけないって顔で、抑圧に蓋をして、いずれ爆発するという流れ。水の中の息止め選手権みたいな期間、やっぱりやばかった、と思う。

病室の隣ベッドの会話。
看護師さん「一週間、ちょっと長いですけど、ゆっっくりしていってくださいねー」
言葉選びを間違えたことに、自虐気味に笑う。
お隣さんも「くくく!」と笑う。
ゆっくりなんてしたくはないけど、長くなる現実を苦笑気味に。

病室でnoteを書く。書きすぎる。
言わなくてもいいことまで言っちゃったような気になる。でもやっぱり心の奥で思い詰めて蓋をして、重石まで置いちゃう方がやっかいなんだよな。
書ききったあと、思いの力は別のことに使おう、と思う。私は病人であることを、そろそろやめたい。

2月16日(木)
本日のMRI結果。
病院の先生に「腫瘍が劇的に小さくなっています。こんだけ効果のある人、今までいなかったから私もビックリです」と言われる。昨年10月からの子宮の画像を見比べると、曇天みたいにもやがかっていた7cmの腫瘍が、ほとんど消えかかっている。まだ油断はできないけれど、希望が見えた。


2月28日(火)
1回目の入院以降から治療のたび、数名の方から靈氣を遠隔で送ってもらっている。中には「修行です」と言って、毎朝毎晩送ってくださる方もいる。人知れず「実はこっそり送ってます」という方も。ご近所づきあい感覚で、「お醤油借りたから返します」みたいなノリで。毎日の貴重な時間に、誰かの為に力を使ってくれるって、ありがたいことだ。
誰かが、少しでも氣にかけてくれているだけで、混乱する気持ちが救われる。私も入院中、治療が爆睡のまま終えられて、副作用が通常よりうんと少ないのは、このおかげかもしれない。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
(中略)
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
(中略)
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

宮澤賢治も〔願望〕で終わっているわけだけど、私も「病氣が治ったら」じゃなく、今スグやれば、と思いたち直傳靈氣を習った。そうして、私も病人役を降りて、受ける側から与える側へ、ひゅっとシフトチェンジできれば、という企みもある。

2023年3月

自分がもうすぐ「死ぬかもしれない」ってなった時、「え、私、まだ全然表現していないんですけど」と思った。
それなのに、あれから絵なんて一枚も描いていない。ほんとうにやりたければ、放っておいたら人はやるものだろう。私にとっての絵ってそれくらいのものだったと思い知る。思い上がっていた。木版画も時間がかかるので、もう辞めようと思う。残り時間は思っていたよりも少ない。この足この地面。

集中力がない。軽薄なエンタメばかり、観たくて観ている。鬼越トマホークとかバチェラーとかハロプロとか。
どうして残りの生命をエンターテイメント、縛られることに費やしてしまうのだろうと我ながら思うけれど、そうやって体の痛みや日々のしんどさをごまかしている。
私はがんばらないことで、愛を取りもどす。
誰のための人生だ。自分のためやろがい!

<病気が治ったら食べに行こうリスト>
蓬莱軒のうなぎ
鼎泰豐の小籠包
スパイスカレー

3月7日(火) 検診
MRI検査の画像だと腫瘍はほぼ消えていたのに、CT検査だと腫瘍はまだ3cmくらい残っていた。ただ、秋から比べると7cm→3cmだから、よろこんでもいいと思う。もう一息といったところ。それで「もう入院はやらない」と言っていたけれど、来週からまた入院することになった。これがラスト、と自分に言い聞かせる。

これまでは、キイトルーダ、アバスチン、パクリタキセル、シスプラチンという4剤の抗がん剤だったが、4月以降はキイトルーダとアバスチンの2剤になる。そこまで強くないため、入院をしなくても日帰りで帰れる。これを3週間に1回のペースで治療を受ける。
でも、先生からはこの治療を終えても「腫瘍は残るだろう」って言われている。それでもガンが体から消えるって奇跡を信じたい。私のがんは消えてなくなる、 と毎日唱えている。

3月13日(月) 忘れものがパラノイヤする
最後の入院、7回目の抗がん剤治療。
電車に乗って3駅が過ぎて、ふと「こたつの電気、消してきたっけ?」と思う。体が認知を超える時。一度このように思うと、もうだめである。今朝の映像を巻き戻しケーブルを引っこ抜く映像が思い浮かべるも、それが今朝の絵なのか、昨日の絵なのか自信が持てない。 Amazonの商品説明を検索する。自動電源オフの機能がないか調べるも表記はない。
それでも「きっと消したよ」と、やや希望的観測気味に不安をかき消して、図書館で借りてきた穂村弘の本を手に取る。
電車が5駅過ぎた頃、ようやく家に引き返すことにする。自宅に戻ると、コンセントはちゃんと抜いてある。すると今度は、図書館の本を、電車に置き忘れたことに気づく。病院に電話したら、入院は午後からに変更してくれる。JRに電話すると、本は着払いで、退院日に日付指定で届けてくれるという。

昼過ぎに、ようやく病院のある駅に降り立つ。自分の計画性のなさに呆れると同時に、7年前のひとりでヨーロッパ旅行した時のことを思い出す。行き先も決めず、朝起きた時に「今日はどこに行こうか」と、ダーツの旅みたいに決める。
今じゃ考えられない、重いバックパック担いで、ふらっと電車に揺られる。宿もその日に決める。大概はドミトリーで男性と同室でも気にしなかった(さいわい、危ない目にも遭ったことはない)。
何が楽しかったって、風景だ何だより、ただ計画性もなく動けたってことが、人間としての最大の喜びだったように思う。海外旅行は、それなりにいやなこともあるけれど(ひとりぼっちの食事は変な目で見られる、とか?)日本に帰って日常に戻れば、その色の濃い部分だけ際立って、光って見えるものだ。時が経てば経つほど、特に病気になって体が思い通りに動かなくなると余計、その光が強く見える。
また、ふらっと電車に乗れる日が来ますように。

3月24日(金)
夜、散歩していたら、ワイヤレスイヤホンの片方を落としてしまった。スマホの懐中電灯をかざしても見当たらない。側溝に落ちたかなとソワソワしたまま、朝を迎えて再度、這いつくばるように探してみたら、人の家の庭先にころんと落ちていた。
最近はこれで聴くApple Musicの「空間オーディオ」がたのしい。デ・ラ・ソウルとか、ビートルズのデミックス盤とか昔のアルバムをまた違う色彩感覚で聴ける。知らなかった曲もまだまだ溢れるほどにある。私は世界の美しさをまだ半分も味わえていない。人生ってほんと短いけれど、私はまだまだもっと、味わいたい。

3月29日(水) 検診
今日の診察で目視で、腫瘍が5ミリまで小さくなっていることが分かった。先生に「これだけ効果が出た人はじめて」と言われる。「一時は、こんなでっかい腫瘍どうなるかって思ったけれど」と先生は言った。
抗がん剤治療を7回も受けて、元気でいられる人も少ないらしい。「身体が強いんですね」と言われたのは、きっとニンジンジュースとウォーキングと重曹のおかげ。私の身体は、治ろう治ろうと、がんばってくれている。でも一喜一憂はできない。前回だって「腫瘍はほぼ消えかかっている」と言われたのに、いざCTを撮ったら残っていたではないか。それに今後行われる維持療法で、完全に腫瘍がなくなる可能性は一割くらいと言われている。私は先生に「私は、その一割になります!」と言う。先生は、不用意なことを言わないよう軽く頷くだけで反応はしない。

思い返せば昨年の9月、患部が痛くて椅子に座るのもままならなかった。婦人科の診察台で、痛くて泣き叫んでいた。今回は、痛みひとつなく診療を終えた。生理が戻ってくる可能性だってあるらしい。私、がんばったな!と思う。いまはまだ自転車操業で体を動かしている感覚だけど、安心して生きている感覚へ、スーッと移行したいと願う。

川岸が語る 三月の水
絶望の終わり 心の喜び
この足 この地面
枝 石ころ これは予感 これは希望

3月の水/ジョアン・ジルベルト

2023年4月

日曜の夕方に、「もっと早起きして洗濯しておけば良かった」と思う。豆をきらして「こないだの店で、コーヒー豆買っておけばよかった」と思う。
「あの時、ああしておけば良かった」「もっといい大学に行っときゃ良かった」「もっと努力すれば良かった」「もっと友だちと仲よくやれば良かった」言われみれば、私は「たられば」ばかり考えている。全ての選択を間違えてきたように思う。どうすればがんにならなかったか、とか。(それはもっともがん患者が考えがちな、後悔のループ)

なんだか、ずっと後悔しながら過ごしていたように思えてくる。なんと私は、過去を反すうばかりして「今」を生きていなかったことか。自分のいる場所にいなかったことか。<自分にやさしく>と、プラカードを立てながら、そうそうには変われない自分を責め続けてきたことか。そういうこと言ってまた、責めているんだな。
仕舞いには、「後悔なんてせずに生きてこればよかった」と後悔している。こういうのって何かが静かに削がれてる、自己反省の泥沼ってカンジ。

どうしてこんなに後悔ばかりするのだろう。
それはあまりに打算的だから。あまりにもセコいから後悔しているんだろな。人生でいちばん無駄な時間は英語を勉強していた期間だったと思うけれど(私にとって「それならその時間、近くの公園の木の下でのんびり過ごせば良かった」と思う)、努力したぶんと同等の見返りを求めたら、そりゃアンタ、人生ってそういうもんじゃないだろう。

4月4日(火)日帰り抗がん剤治療
前回の検診の検査結果、顕微鏡で見てもがん細胞が出てこなかった。
やった!
でも続きの話を聞いて、ショックを受ける。後に母にLINEを送った。
「私、癌がなくなったら、全ておしまい、ゴールって思ってたけど、そうじゃないらしい(お母さんは知ってた? 私、ちゃんと分かってなかったヨ......)先生曰く「これで抗がん剤治療やめたら、また癌が大きくなってくるだろう」って。だからこの日帰り治療も長くて2年、3週間スパンで副作用で動けなくなるまで続けなきゃいけない、って。なんかそれ、本当? 大丈夫かな?って思えてきた。これ、いつまで続くんやろう。結局私が死ぬまで続くんやな......って思ったら、「がん、ほぼ消えました」って言われたって、全然よろこべんやんってなった」

母からは励ましのメールが届く。
「玄米送ろうか?まだある?」
「四国のやつ? だったら欲しいなぁ。」
日帰り治療の請求額は、44,400円。人生の短さに今さら気づく。母は言う、
「だましだまし、生きていこうね!」
一日一日、たのしんで生きないと。身体がだるい。下痢が続いている。

毛はすごい。
柔らかくて、なでると気持ちのいい髪が生え始めてきた。この半年間、抗がん剤治療で全身つるつるの状態だったが、いま使用しているのはそこまで強くないため毛も復活し始めたのだ。腕毛もすね毛も、元々あった同じ場所に同じ通りに、禿げていたところは禿げたまま、生えすぎ毛根もそのままに。人体のふしぎに信頼をよせる。

4月24日(月)
母とある友人から「西加奈子さんの新刊『くもをさがす』読んだ? すごく良かったよ!」と言われる。みんな、何で、私にこの本を勧めてくるんだろう。病状がちがう、状況がちがう。「西さんは、手術ができてよかったね」と思う私は、とんでもなく性格が悪いのでしょうか。
何なのだろう、不用意におすすめする不躾な感じ。デリカシーがないと感じてしまう私の気持ち。相手の直線的な発想に「一緒くたにしないで」と叫びたくなる。今はそんなの読みたい気分じゃないよ。想像したらわかんないかな、と。それは「もっと私のこと慮ってよ!」という、私のエゴが元にある。

西加奈子は好きな作家だ。雑誌の自宅訪問なる特集を見て、西さんが使っていたハニカム模様の照明を、真似して買ったりもした。トニ・モリスンもこの方がきっかけで読むようになった。
でもがん闘病日記は、読む側にある程度の余裕がないと読み進めるのはむずかしい。しんどい時は、そのゾーンにハマりたくないし、自分の病状と比較してしまったりもするから。山本文緒さんの『無人島のふたり』も、健康なうちに読んでおけばよかった。

でも実際、読んでみたら「よかった」ってこともあるからなぁ。母が切り抜いてくれた婦人画報の秋野暢子さんの記事や、青木さやかさんの本とか、芸能人ゆえのタフさもあるけれど、元気づけられた。女優の高橋メアリージュンさんも、私と同じ潰瘍性大腸炎と子宮頚がんに罹った、と聞く。

そういえば、この本をおすすめをしてくれた友人からは「もう、抗がん剤治療やめよう!もう、じゅうぶんがんばったよ!」と肩を組まれたこともあった。その時、体じゅうが強張りぞっとした。私には到底手の出ない高額医療をオススメされたこともあった。相手は、相手の中の「正しさ」から「良かれ」と思って言っているのだが。

結局、私も『くもをさがす』を読んだ。そういえば昨年の入院中、私もたまたまジョーン・ソンダースを読んでいたし、カネコアヤノの『燦々』もよく聴いていた、と記憶を重ねる。「キャンサー・シスターフッド」っていい言葉だな、と思う。
抗がん剤の副作用でしんどい時は、私も西さんみたいに友だちに「ご飯作って!」と言えばよかった、と思う。(「来てくれたお礼に」とか言って、体をおして私が作ってあげることもしばしあった)

私の友人は、何も知らないのだと思う。私もマジでしんどいんですけど、とちゃんと伝えられていなかった。私だって、がんになるまで何ひとつ知らなかったし。病気の人に何と言葉をかけていいのかさえ、分からなかったかもしれない。
だから私が「もっと、私のこと慮ってよ!」と思うのは、とんだお門違いなのだ。人は同じ経験をしていないのだから、分かり合えないのは当前のこと。それを忘れるから、変になる。何度もこの失敗をしている。

闘病中は、人の言葉にものすごくセンシティブになる。だけど、相手の言葉から揚げ足を取り続けていたら、私が沼っていくだけだ。私は残りの人生それを選びたくない。

最近ネガティヴ・ケイパビリティという言葉をよく耳にする。先行きが分からなくても、じっと辛抱する。どんなに深刻でも笑って、未来に期待する。
果たして、そんな能力が、私にあるかな?

2023年5月

以前、働いていた会社の社長夫婦から喫茶店に呼び出され
「今のアナタとはこれ以上一緒に働けない。リトリートがあるから行ってこい」と言われた。「あなたの為にスペシャルプログラムを考えたから」意気揚々と、その人は言った。「アナタのためを思って」。それはあなたの人生を高める大変価値のあるものですから、と。

費用は一ヶ月で40万円。恥ずかしながら、私は貯金なくなく一括で支払ってしまった。
たとえば、どんな病気も癒してしまうという薬があったとして、それが見合った金額か考えるのは支払う側にある。あれはほんとうに、私に価値のあるものだったのか。冷静に考えればわかるだろう。人のことをナメた価格設定である。私はわざわざ、私の判断で大金を支払って、自分におそろしい傷をつけたと思う。

決して、うらんではいけない。私が甘チャンなばかりに、間違えた。
リトリートの後は、町のスーパーへ行くに会社を避けるように、息を潜めて生活を続けた。あの日々を思い出すと、いまだ胸がぎゅっとしぼむ。「あなたのためを思って」そんな言葉のうわばみも掬えなかったのか。どうしてそんなことができるのか、できたのか。面接をして人を呼び寄せ、移住させ、わけのわからない支払いをすすめ、突き放し、除外し、悪口をふれ回り、町には居られないようにした。離れたら離れたで「いつでも戻っておいで」と笑顔で言った。(きっと私の思い込みかもね、でも村八分ってこんな感じかもね)そして、こういう想いを抱いている方が、その世界では不浄な「悪」なのであった。

ネガティヴなことは言ってはいけない世界は、人を蝕む。だって、それは嘘だから。安心できる風の安心できない世界。まぁ、私は自分を守ることもできなくて、相手からしてみれば無意識的にカモにしやすかったのだろう。私が、間違えたのだ。すべては私の胆力のなさ、体力努力思慮不足。恥や罪悪感が難病をうむ。絶望の言語化はからだを壊す。

ある音楽編集者の方が自身のラジオで、「人の入れ替わりが無いと会社には求心力が生まれない(だからクビ等も時には厭わないみたいなこと)」と言っていた。そうだそうだ、雑誌も広告もエンタメも、じわじわとした雰囲気いいね!の上に、狂った熱狂がいて、そのファンダムがないと成り立たない。私も表層のいい面だけに惹かれ、都合のいいよう信じ、乗っかった。

しかし何度「ゆるす」と決めても、夜中に怒りの煙が胸に立ち込める。もう怒りたくない。体が蝕まれてもなお、怒りの芽を育て、私は同じことにこだわり続けているのかと思うと、心底ゾッとする。私は、人生の残り時間をこんな風に使いたくない。

私は、ゴールデンウィークに鶏団子をつくる。今はがんばる時じゃないかもしれないけれど、がんばる。ラジオからやけに仰々しい低い声の、がん保険の広告が流れてくる。思えば私はこれまで、ご都合主義的な、耳障りのいい情報だけをかい摘んできた。不吉なものから避けるように、がん、老い、将来起こりうる情報でも、恐怖を感じて目を瞑る。お金がない時も、希望観測的に自分には見合わない買い物をした。情けなき!情けなき!

鶏団子は形も味も全然だめでも、必要な作業だったように思う。こうして文にするのも、自分の声は誰にも届かないと思っても、私の味方が私であることを自分に示すって、とてつもなく大切なことだった。おかげで「この水でがんが治ります」と言われても絶対に買うことはない。

2023年6月

引っ越しのため、断捨離祭り。バイクでごみセンターへ何度も往復。家具はジモティで譲る。大量の器、あまり使うことのなかったウィッグも捨てた。17万円で買ったバイクは3万円で売れた。

6月23日(金)
岐阜から名古屋へ引っ越す。
ダンボールも3日間のうちに、すべて片付ける。無印のシェルフにスライドレーンを取り付けて、我が家のシステムキッチンと呼ぶ。電動ドライバーを片手に、備え付けの照明と格闘する。机の上に事務椅子を上げているから足元がおぼつかない。しかし、マンションの照明はどうあがいても外せない仕様だった。くっ、これじゃ西加奈子と同じハニカム模様の照明が取り付けられないではないか。諦めて洗濯物を干すため外へ出ると、ベランダに蜂の巣ができている。その日のうちに、自分で駆除する。奇しくも、あたらしい夏布団の柄もハチ、鍵につけるキーホルダーも、La Cuoieriaのミツバチはっち。

あたらしい部屋を見渡す。
私は、自活して、自分ひとりの部屋を得て、ベランダに椅子を置き、コーヒーを飲んでいる。そんな人に私はなりたかった。考えてみたまえよ、私の夢は、これでも叶っているのだ。

6月26日(月)
会社勤め再開する。数十名の方が静かな拍手で迎えてくれる。いま私が在籍している会社は、病気のサポートもしてくれて、負担のない業務を回してくれるいい会社だ。なんて、今まで在籍した会社がひどかったみたいに書いたけれど、きっと今までだっていい会社だったのだろう。
若い頃の私と比べるといまの若者たちは、ちゃんとしているように見える。定時には必ず帰る。でもその「ちゃんとさ」は、生また時からSNS時代に身につけた感もある。「ばかみたいな失敗は絶対できまい」というような? 私が、ばかみたいな失敗しかしてこなかったので、新鮮に思う。

2023年7月

お腹がゆるくて、一日に何度もトイレに駆け込む。
切羽詰まっていると、会社の個室トイレがいっぱいだったりした時に「しょうもないサボり方をするな!もっと病人のことを考えろよ!」と怒り散らしたくなる。でも先の人だって、腸疾患を抱えているのかもしれない。
しんどいとつい自分中心に、「何でここ階段しかないの?」とか「この社会のココがおかしい」とか、よそに批判の目が行きがち。用を足してすっきりした後、私だけが大変なわけではないという事実に行き当たり、カッと恥ずかしくなる。がん特有の周波数があるとしたら、きっと「自分だけが辛い」と思っている時の周波数かもしれない。

7月8日(土)
新しい冷蔵庫が来た。ものすごい使いやすい。前の冷蔵庫は設置早々水漏れしたから、泣くほどにうれしい。

2023年8月

昔、作品を上げておく為に使っていたTumblrを、パスワードを何とか思い出して復活させた。久しぶりに見た自分の作品が発している音は「ミテミテミテ!ワタシの天才性を認めて!」という浅はかさ。残念ながら、私は天才ではなかった。
自称「作品」を作ってはいたけれど、私に足りなかったのは、気概、勇気、最後まで考え抜く力みたいなもの。だから人から「何のためにやってるの?」と聞かれたら答えられなかった。考えは足りないし、ツメも甘いし、こんなのでパブリッシュしちゃうなんて世の中なめてるよ! お前の作品には愛がない!と言われたってしょうがない。まったく、おっしゃる通りなのかもしれない。

でもこれでも、何かを表現をしようとこねくり回して行き着いた先だったことは確か。お叱りの声は今も聞こえてきそうだけど、「私はわたしの作品を愛している。かっこつけないでいこうよ」と言いたい。私が生きている限り、何か、何でもいい、この手で表現していこうと思った。

8月11日(金)
今日から夏休み。
母から両口屋是清の、すいか紋様の長方形がかわいい『ささらがた』のお土産リクエストをもらっていたので買いに行く。
まだ寛解はしていないけれど、鼎泰豐にひとりで入った。小籠包と愛玉子ってなんて素敵な食べものなんだろう。

8月12日(土)
名古屋から実家の金沢へ帰る。
前日には、おみやげに蜜蝋クリームを手作りした。3種類の香りに分けて、母に選んでもらおうと思った。しかし母は「何が入っているか、紙に書いて」と言う。精油は生活の木のものだし、蜜蝋もホホバオイルも天然100%のものだ。母は、病院で渡されるステロイドたっぷりのクリームの成分表なんて見向きもしないのに、「何が入っているか分からないって気持ちわるい」と言う。こういう価値観って信仰だ。お互いの考えが覆ることはなかなかむずかしい。

ふらふらする、熱が出る。
行きの電車で、コロナにかかってしまったらしい。3日間の滞在予定がだったが、休暇の6日間をまるまる実家で過ごすはめになる。母は帰省が重なった長姉のため、牛肉ステーキを焼き、お寿司をテーブルに広げる。私は子どもみたいに、母に当たってしまう。母ももう歳で、私が何を食べてはいけないのか、忘れてしまうのだという。

母に甘えられるのも、これで最後かもしれないと思う。さらに私は甘えに甘え、子ども返りなことばかりして、ついに母を怒らせてしまう。
母は「家族って、遠慮がなくなるのよ」と言い、溜め息をつく。
母のへパーデン結節の歪んだ指を見る。ごめん!と思う。
私がさんざんぞんざいに母を扱い、メールを返信しなかったり、平気で無視をしたり。そういった過去のふるまいを、恥ずかしく思う。私は、自分ばかりが傷つけられた存在でいて、ちっとも家族に優しくしてこなかった。

台風一過のため、帰りの電車は名古屋まで5時間のトロトロ運転。ストッパをお守りのように握りしめる。車窓から大きな虹を見る。帰宅。

8月19日(土)
やまだ鍼灸、自宅まで来てくれる。
一年ぶりのやまださんの施術、前回までと全然違う施術方法になっていて少し驚く。オステオパシーを導入したのだという。やまださんは日々アップデートしている。大戸屋でいっしょにご飯を食べる。一緒に働いてい頃は色々あったが(人と人が長時間一緒にいると起こりうるゴタゴタ)、今はプロフェッショナルだし、フラットな状態に自分を整えて来てくれているのが分かって、それがとてもありがたい。これからも2週に一度のペースで往診してくれることに。

潰瘍性大腸炎がぶり返している。私は管だ、と思う。コーヒー、いいかげんにしなくては。

8月20日(日)
家の近くにマックスバリューがある。お好み焼き、サーティワン、お団子屋が並ぶ。小麦、砂糖、小麦、砂糖のオンパレード。
世の中って健康で丈夫な人中心に作られているんだな、と思う。私もかつて、りっぱな小麦と砂糖の中毒者だった。社会の闇組織が、人間の身体を不調に追い込もうとしているのではないかなんて、陰謀論者みたいなことを思う。

私も、好きな時に、好きなだけ、好きなものだけ食べていた。何ひとつ悪びれることなく。健康な時は、自分の体に対してとことん傲慢になれる。それは、家族に対して「ここまで言って大丈夫」という境界線を超える時と、似ていると思う。

8月26日(土)
東山動物園近くのよもぎ蒸し屋へ行く。ついでにOn Readingに寄る。僕のマリの本と、ハン・ジョンウンの『詩と散策』を買う。だけど先に、紀州のドン・ファン怪死事件の家政婦が書いた本、『家政婦は見た! 紀州のドン・ファンと妻と7人のパパ活女子』を読む。

8月27日(日)
茹だるような暑さの中、ずっと行きたかった「玄米食の店のら」へ行くも、お店は夏季休業中。仕方がないので、ベトナム料理でフォーを食べる。ベトナム人店主の子どもが隣のテーブルで遊んでいる。久々の麺でうれしくなるも、後で調べてみたら、米粉はヘルシーと言われているけれど糖質は小麦粉よりも多いんだとか。コメダで、『私のアルバイト放浪記』(鶴崎いづみ著)を読む。美大卒業後のどうしようもない日々のことを思い出す。

タオルを畳むだけのバイト、美大出て何やってるんだろうって思ったなとか、プラスチック製品に埃がついていないかチェックするバイトでは正社員に誘われたな、とか。その未来線もあったのか。
他にも色々アルバイトをした。巫女バイトの時は、衣装を着る時に毎回、左前右前か分からなくなっていた(左前、右前という表現は、ユニバーサルデザインではないと思う)。スガキヤでのバイトでは、アイスクリーム作りを失敗しまくって、お客に作り直しを命じられた。大晦日にしめ縄を店頭で作りながら売るバイト、あれはなかなか楽しかった。友人と選挙の開票バイトをした夜は、その日のうちにカラオケに行って使いきってしまった。その後、見よう見まねでPhotoshopとIllustratorを身につけた。今日は私の祖父母が当時23才だった頃の仲良く並んで座っている白黒写真を、Photoshopでカラーに色付けして、写真屋でプリントした。私は祖父とは会ったことがなく、祖母は今や私の名前も忘れてしまっている。こういう写真のプレゼントって、本人に喜んでもらえるものなのだろうか。

8月28日(月)
ファンデーションブラシをCelbokeの「ええやつ」にしてみる。硬めホワホワ感。これにしただけで毎朝おっくうだったメイクが何となく楽しい。「そんなことで?」と言われそうだが、そんなことで毎日は変わるのである。毎日おしゃれして出かけたい、と思う。

8月29日(火)
インスタグラムで、ごはん日記をストーリーズにアップしている。いま一番頑張っていること(頑張らないといけないこと)は、身体にいいごはんを作ることなのでその証に、というかごはん作りをサボらない為でもある。誰かに見てもらえなければ宿題ができない、頑張れない、私って子ども時分からそんな奴だなぁ、と思う。

最近はあまり食欲が沸かなくて、夏の間に10キロも痩せてしまった。
鶏の手羽先で作るキムチスープ。このワードを聞いただけで、よだれがじわっと出てくる。でも発酵食品とはいえキムチは塩分過多で、胃腸に良くないんだろうな。舌がしょっぱいものを求める時は、ミネラル不足、辛いものを求める時は亜鉛不足らしい。
この夏は、白崎裕子特集オレンジページに載っていたプリン各種もよく作って食べた。砂糖や小麦粉を使わないで作れる、この3ページがどんなにありがたかったことか。

2023年9月

9月2日(土)
先週行ったよもぎ蒸しがなかなか気持ち良かったので、自宅でもよもぎ蒸しを始めた。道具はすべて2万円以内で揃えられた。いまは銭湯を控えているので、ちょうどよかったかもしれない。続けられるのか不安なままだけど、毎週土日、体はやりたくなるしやっている。よもぎ蒸し後は、やけにボーッとするが、夜になっても体温は37℃が持続する。
問題は、火照りすぎて夜寝付けなること。よもぎで蒸されながら読んだ『いつまでも、鰐』という絵本が、すごい本だった。

テルミーという温熱療法も続けている。
テルミーは戦前から続く知る人ぞ知る民間療法で、熱と煙を当ててじわじわと体を温める。これは、がんになる前に鍼灸師の友人から教えてもらって続けている。最近びわの葉を敷いたらどうだろうと思いつく。いつもは熱すぎて置きっぱには出来ないが、これだと数十秒間テルミーを背中に置きっぱにできるのである。でも火を使うから気をつけないといけない。実際、火の粉が飛び散りお気にのシーツに私はいくつも穴を開けてしまった。

くるりの新曲がいい。ふつう、タイトルなら『California Coconuts』と書くけれど、『California coconuts』と小文字なのは何か理由はあるのですか?と公式に聞いてみたが返答はなし。すごいくだらないことを聞いてしまったのかもしれない。

9月4日(水)
明日は十年ぶりの内視鏡検査。夜、2リットルの下剤を飲む。一口目、味が改善されている?と思ったが、いやはや全く勘違い。最後の一杯がどうしても飲めなかった。今回は、眠り薬で眠っている間にすべて終わらせてくれるらしい。カエルの肛門にストローを挿し息を吹き込んでお腹を膨らませるような、一連のことを。私の身体は100%健康な状態に向かっています、と呟いて寝た。

9月5日(水)病院
婦人科の待合室、子抱く母と産めない私がならぶ。
お腹を撫でる。

9月11日(月)診察
やはり潰瘍性大腸炎が再発していた。
午後過ぎ、古くからの友人Iが、業務用バンで京都から来てくれた。コメダ珈琲でお茶をする。会えてよかった。

日記や詩を書いていると、知らず知らずのうちに「私 私 私」の世界、内内の内の内の内へ入っていく。
きっとこれって、からだにわるいことなのかもしれない。

9月17日(日)
あー、あー、あー、
宇宙のはじまりの音を出す。
いのちの波紋は聴こえていますでしょうか 。
noteで書いている日記を200円で販売する。ゆるくつながっている友人達へ向けて、インスタのストーリーズで告知もする。しかし誰ひとり、買ってくれなかった。誰ひとり、私がどんな一日を過ごして、何を考えているか、興味がないのだ。そんなものか。そりゃそうか、と無料に戻す。私にはいま、その力はないのだ。現実を見よう。

9月20日(水)日帰り抗がん剤治療
私が受けている抗がん剤は、キイトルーダとアバスチン。化学療法室へコンビニコーヒーを持参するのは私くらいである。いやな気分は少しでも、という気持ち。椅子に座って治療を待っていると、主治医が駆けてやってくる。潰瘍性大腸炎が再燃しているいま、アバスチンは腸に穴をあける可能性があるから今日はやっぱりやめましょう、ということに。キイトルーダだけ受けて帰る。今日は、同じ治療室に3才くらいの小さな男の子がいた。

9月23日(土)
金沢から母が来る。待ち合わせて早々、山本屋総本家へ味噌煮込みうどんを食べに行く。母は「岐阜の方が、天ぷらもついておトクだった」との感想。
それから自宅で一週間ぶんの洗濯して、お抹茶をたてて飲み、葛ごまプリンを作り、母を見送るためふたたび駅へ。
私も元気な状態で、ふたりでゆっくりできることもなかなかないため、夕方また同じビルの、今度は鼎泰豊へ。旅行しているみたいな気分。母は小籠包をはじめて食べるという。普段、私は糖質を避けているが、今日だけは特別、ということにした。

9月24日(日)
夜、映画『ウーマントーキング』を観る。衝撃。サラポーリー、こんな風に形にするとはすごい。
がん患者に「この水を飲めば100%がんは治る」と触れ込み、ネットワークビジネスをしていた会社の社長が起訴された記事を読む。そしてそのマルチの言うことを信じて、命を落とした方の記事を読む。
ほんとに、何という世界。

9月30日(土)
初めて薪能へ行く。
名古屋城にも初めて入った。今日は満月の名古屋城をバックに、野外での幻想的な公演なのだ。しかし、開演直前で雨が降りだし、お客さんも演者もスタッフもぞろぞろと、能楽堂へ大移動。誰ひとり文句を言ったりしない。むしろ「パイプ椅子じゃないからいいわね」と言ったところ。おしゃれなおばあさんが沢山いて、私は昭和時代から大切に着られているんだろうワンピースの柄をじろじろと見てしまう。能の所作も音楽隊も最高にクールだけど、正直能に興味があったわけではない。何かたのしいこと、を常に求める。

2023年10月

10月1日(日)
吹上の整体へ行く。住所の末字が「柿のなる木」となっている。最近寝つきが悪いけれど、その晩もなかなか入眠できず。翌日起きたら昼の3時であった。それでも寝足りず、体は疲れていたんだなぁ、とその時になって思い知る。寝ていただけなのにダメージがでかい。自分の体が重くのそのそ、近くのイオンへ行く。大戸屋で唐揚げ定食を食べ、カフェドクリエでコーヒーを飲んだ。隣の席で鼻くそを思いっきりほじっている若者がいた。気にしない人は気にしない。ATM画面のボタンの角丸がやけに横に伸びていることも。数十年間、放置されているんだけど、行政の人は誰も直しましょうって言わないみたい。朝、貼った絆創膏が、思いっきり傷口から外れて貼られている。ぼうっとしている。

10月4日(水)
短歌を考える。絞り出すように。
だけど釣り糸垂らしても言葉は寄ってきてはくれないものだ。
特質した日本語能力の人が目立つけれど、(大喜利とか、日本語ラップとか、ホントすごいと思うケド)天才じゃなくても、楽しみたいものは楽しみたいもの。その結果

10月7日(土)
3連休が雨なんて、ああ。
いじわるなことを言うかもしれないけれど、薬膳、漢方、マクロビ、サプリ、分子栄養学とか色々、ほんまかな、と思ってしまう。それで本当にこれで体調が良くなるんかいな。健康な時は惹きつけられてきた、チャクラを整えるとアロマを揃えたり、フラワーレメディやホメオパシーとか飲んでいたこともある。波動を入れるとか、花の力とか、そういうこともあるんだろうなぁと思うものの、いったん病気になれば、私のからだはそれらを拒否している。これらを学ぼうとする人たちは、何か焚き付けられただけじゃないのかな。結局それでどうなった? 

10月16日(月)
なぜかな、なぜだろう、寝るのが23時過ぎになってしまう。
YouTube ばっか観ているからか。Tverで『いちばんすきな花』とか観てるからか。病の身でありながらこれじゃ睡眠時間が足りていない。本には、「癌患者は圧倒的に睡眠時間が足りていない、9時間は取れ」と書いてあった。【宣言】今日から毎日、21時にはベッドに入ろうと思う。

19時 帰宅
19時半までに夕飯準備
20時までに食事
20時20分までに洗い物
20時50分までに風呂

これは「夜9時代には寝るゲーム」いけるか、な、、、

10月23日(月)
今の職場では朝礼があり、週替わりの順で司会役と小話をする風習がある。
今朝は私が担当で「LGBTQ+」の話をすることにした。用語説明は控えて、昔はレインボーフラッグもぱきっと分かれていたけれど、今はグラデーションなっているよね。大切なことは、ラベリングじゃないよね、と。相手が異性愛者前提で話をしないようにしないとね、ということ。あたかも自分がマジョリティの立場みたいに語らないように。アウティングをしないこと、などを話した。
会社でこういう話をすると、アレルギー反応起きがちで空気感がギューっと縮こまる。「うんうん」と聞いてくれる方もいれば、「うるせえな」という空気も伝わる。
私も小さい頃に「とんねるず」を観て育った世代。まだまだアップデートできていない部分あるが、今まで知らず知らず人を傷つけていた可能性が大いにあり、反省もある。フェミニズムもそうだけど、人が抑圧されていないってのは最低限の人が生きる権利で、誰もが息がしやすい社会・会社を、みんなでつくっていきたいですね、と話をまとめた。

加えて、昔からこう会社とかで、デザインの要望を出される時に「女性らしいデザインで」って要望があるんだけれど、あれってどうなんやろって話もしたかったけど無理だった。「男性らしいデザインで」とは言われないんだよね。みんなで共通の認識は持ちやすいけれど、なんだかな……。 ひょっとして今後はそういう言葉は使わなくなるのか、それはそれで不自然なことなのか。話してみてよかった、と思ったけれど、会社に貸し出したはずの本が、翌朝には机に置かれていた。

10月28日(土)
円頓寺商店街のブックマーケットへ。
最近夜中に目が覚め、一時間ほどお灸をする。

10月29日(日)
朝起きて、こたつをつけて、台湾風の昼ご飯を作る。
エアコンのフィルター掃除。今日こそずっと切れっぱなしだった蛍光灯を取り替えよう。
パソコンデスクを引きずって部屋の中央へ、カバーを外しメジャーで計り、エディオンまで自転車を走らせ、ふたつ輪を取り付ける。

友人の食生活を聞くと「朝はトースト、外食と、作るとしても炒めものばかり」と言う。私が、がんになっても、彼女が食生活を見直すことはないようだ。「自分は大丈夫」「病気になったらその時はその時」だと思っていて、暇じゃないし働いて帰ってから自炊する元気もないのだ。
わかる。私もそんなだったけれど、病気になってからだが思うように動かなくなってしまっては。でも、どんなに私が自分の後悔を語っても、『正しさ』は健康な人たちに届かない。人間ってどこまでも自分に都合よく、自分の欲には甘く、見てみぬふりをしたい、そんなものである。
生きるってとことん自分を傷めつけることだったの、と思う時がある。

それでいいとも思う。
私の母も、病気になって私が何度つついても、調味料を見直したりしない。安いほうを選ぶ。病気になって、はじめてわかることなのだ。

私もよく40歳まで、皆と同じように同じものを食べて生きてこられたなってなもんだ。今だって無性に食べたくなる。自家製濃厚クリームをふんだんに包んだクリームドーナツとか、チーズ明太子のたこ焼きとか。カリカリのカレーパン、味噌だれのトンカツ、ぎゃー。
『︎ ︎食品名(スペース)癌』で検索して、食べたい気持ちを抑える。
ある日突然、食べたいものが食べられなく日が来るなんてね。
私は未熟児だったし、生まれついてこういう体なんだわ、とあきらめる。

10月30日(月)
病院の日。
病院では、名前と誕生日連呼のゲシュタルト崩壊が起こる。バーミュキュラとバリュミューダ、マネとモネ。あれ、この名この文字、この数字って何なんだっけ。
採血、尿検査、コンビニのコーヒー、婦人科の診察、 1時間半の待ち時間。かわいいニットが欲しくて、メルカリをポチポチやる。体温計を計りに来た看護師さんに、
「変わったことや気になることはございませんか」と聞かれ、毎日が、変わったことや気になることでいっぱいです、と思いながら「大丈夫です」と答える。もはや私には「健康であること」が「変わったこと」になりつつあるんですよね、と思う。
やめられないコーヒーを啜り、待合室の隅の方でスクワット。「変な人って思われても、もういいや」というメンタリティで、自転車に乗りながらも私は大声で歌えます。電車の隣のお姉さんに「使っている香水なんですか?」と聞こうとしたことはあるが、キモいと思われないよう、それはやらなかった。

内科の診察では先生が
「お腹にいいおうどんやお粥を食べてくださいね」と言う。
私は「でもうどんは糖質だから、がんには良くないんですよね」と思う。
お昼にCT検査。
昨年、初めてCTでは造影剤が入ったさい、お酒を飲んだ時みたいに体が急に熱くなり、びっくりしてその場で泣いてしまった。看護師もびっくりしていたが、今日は雑談をしながら受けた。早く帰りたいあまり、お昼ごはんを抜いて抗がん剤治療。化学療法室の待合室、看護師さんが
「お待たせしてすみませんね。お薬(抗がん剤)は、これくらいの高さまで積み上げて準備しておりますからね」と手を高く広げる。倉庫に積み上げられた抗がん剤を想像する。(それを患者に言うとは)ほんとうに皆、自分のことしか考えていないんだなぁ、と思ってしまう。維持療法は8回目。帰りに潰瘍性大腸炎の処方箋をもらいに行く。

物とは

むかし、MacのiTunes (今は『ミュージック』)に入っている曲名をすべて小文字にする男と付き合っていたことがある。例えば『Drive My Car』なら『drive my car』と、手持ちのCDやmp3を読みこんでは、表示される楽曲名をいちいち手打ちで直すのである。ご苦労なこと。
ある日、iTunesのアップデートか何かで、彼の何万曲とある大切に大切にしてきた内職データが、元の大文字に書き換わったことがあった。その時の半狂乱っぷりときたら!一体あの頃何に固執していたのやら。
その後、Apple Musicのサブスクの時代がきたけれど、彼はちゃんと時代にシフトチェンジできたのかしら。

私もその頃、とても大きな本棚を持っていた。「読んだ本はすべて手元に置いておきたい」と思っていた。インスタでは物自慢、で脳が肥満していた感じ。お気に入りはずっとお気に入りとして一生、持っているものと思っていた。物に心を占領されていた。洗脳されていた。
一度手放せば「なぁんだ」ってなもんである。
最近は雑誌を読むように、本を読んでは処分する。物は物、ただの物。手放して後悔している本もあるけれどさ。要は、お金と時間と情熱の執着だったのかしら。消費社会に翻弄されることが、「安心」だったのかしら。

音楽の聴き方も変わった。アルバムを通して聴くことなどまずなくなってしまった。アーティストのこと、アルバムのストーリーをまず知らない。Pinterest的、旧Twitter的なと言っていい、短文ぱらぱらスクラップが乱雑に目の前に並び、上っ面な部分だけを掻い摘んでいる。自分が浦島太郎というわけではなく、設計の経緯も見てきたはずなのに、たった一日でおばさんになったような気になる。

少ない稼ぎでもこれだけはエンタメに費やしたいと、日々やりくり。病気になっても、いくつになってもそれは続く。延々エンタメ、現実逃避。料理も文章表現もお洋服が欲しくなるのも、今の私には全部が現実逃避。
最新映画をチェックして、音楽のプレイリストを更新して、自分なりにではあるけれど毎日おしゃれして、週一で無印に行き、便利グッズが思ったほど便利ではなくて、喫茶店に行ってインスタに投稿して、つまらない、あーつまらないなんて知りながら。だけど「人生って何のために?」って、それこそが人生だったりするんだな。

2023年11月

11月4日
行きたかった喫茶店に行ったら営業時間外、その帰り道に仕事で絡んだクライアントの店舗前をたまたま通るという偶然が、3日3連続で起こっている。
狙って行くと外す、でも呼ばれている感もあり。だからといって何か起きるわけでもない。そんな大したことではないけれど、何かあるんだろう。場所との縁みたいなもの。

今日は陽気なお天気でノリタケ公園へ。薄いダウンを広げて、芝生に寝転んで『HHhH』を読んでいたら、警備員におこられた。館内じゃなくてイオンの横の方。座って読むぶんにはいいらしい。日本ってこれだから。

この小説の良き点は、ナチスの歴史を小説にした際に起こり得てきた創作や、誇張した表現に心底うんざりしている作者(とその彼女)が軸となって話が動いていくところ。
以前、友人に「ヒトラー関連の映画をけっこう私は観ている」ことを話すとドン引きされたことがある。彼女は自らの波動を下げたくないがために、そういう映画は一切観ないのだという。きっと戦争のニュースも観ていない。
私も「なぜ」という気持ちから観たり読んだりするわけだけど、やっぱりなぜあの熱狂が起こったのか、理解できないことを理解するばかり。『HHhH』は、2014年の本屋大賞翻訳小説部門。読み応えがすごかった。

私も昨今ニュースをほとんど観ていない。戦争のこともちゃんと分かっていない。恥ずかしいことだ。スピルバーグの『ミュンヘン』を観る。

Netflixに再入会し『トークサバイバー2』を観る。
「もうひとりの自分に言いたいこと」というお題が出る。
私「おーい、10年前の自分!英語勉強したってそれ何にもなんねーぞ!その時間で、もっと人と会ってもっと日本語を話せ」と言いたい。

11月5日(日)
東山動物園に行って、かえるだけ撮って帰る。
初めて入ったワと思ったら、エスカレーターの何てことない窓やタイルの風景で、小学生の時、金沢から来たことを思い出した。思いもよらぬものが「点」になってる、ってことばかりだ。

11月11日(土)
会社の上司に無視されている気がする。目には見えない棘で刺してくる。
あることに腹がたってカッとなってしまった。怒りながら思う、きっとこれが私の本質だ、私の性質だ。怒りっぽくてイライラしい。なんで?なんでこんなになっちゃうの!モー!
常に人をジャッジしているからだ。人をバカにしているからだ。人を許せないからだ。人のせいにしているからだ。だから人にジャッジされる、だから人にバカにされる、だから友だちがいない。傲慢だからだ。愛がないからだ。ガツンとショックを受けることがあって、やっと自分を顧みて落ち込むなんてこと、いまだにやっているんだ。そういうモードになっていかんと思いたち、近所の神社へお祓いに行く。七五三シーズンで、おひとり様は私だけ。恥ずかしかった。

11月19日(日)夜ご飯
最近、料理に熱が入る。今夜は、
里芋トマトのスープ/鯖のみぞれ味噌煮/焼き豆腐の葛なめこのせ/白菜ステーキ/めかぶのピーマン和え
餃子は別に包まなくてもよかったんだね、とか
味噌汁も別に出汁を取らなくてもいいんだね、とか知っていったことで、やっと料理が好きになれたような気がする。(料理上手になるには、逆なような気もする)
それで食べもののことばかり考えている。「あさましいとか、食べ過ぎだ」とか言ってくる悪魔は誰なのでしょうね。「食べたり飲んだりしているほうを本業と思え。働いているほうは本業じゃない」って、みうらじゅんも言っていたよ。

11月21日(火)病院の日
昨夜、何度も夜中にトイレに駆けこむ。病院で体重を測るとついに40キロ代を切って引いた。おかしい、昨日まで43キロあったのに。「きっと、病院の体重計壊れているのだ」と、待合室のすみでスクワットする。不審がられない程度に。
酒徒さんの『あたらしい家中華』を熟読する。座りながらの足の上下運動。足裏マッサージ。これが大病院、待合時間のタイムマネジメント。

CT結果も血液検査の数値も良い感じ。
だけど大腸は炎症を起こして腫れ上がっている。このまま抗がん剤を受けると腸に穴をあけるリスクがある。
私が「癌の調子がよいなら抗がん剤治療をしなくてもいいのでは?」と言うと「そっち〜?」と先生に言われた。おかしなこと言っただろうか。「とにかく、今日は治療を休みたい。昨夜のけんで身体がだるいから......」と伝えて、今日の治療はお休みすることに。自己責任で自分が判断して、こっちから「休む、やめる」と言わないと、3週間おきに、ばんばん予約を入れられてしまう。今後の予約も取り直してもらうため、ちょっと罪悪感を抱き先生に「すみません」と言うが、私が「すみません」と言うのはおかしいな、と思い直す。
先生曰く、こうやってだらだら治療を続けていく方が、スパンと治療を辞めてしまったりするより、そして万が一腫瘍が膨らんだ場合、また一から4剤の治療を行うよりいい。腫瘍がおさまっている期間が長いから」という。

病院の帰り、シャバに出ると思う。みんなが大丈夫なことが大丈夫ではない。壊れているのは私なのだ、ということ。鶴舞公園のプロントは、3時くらいに行くと静かで、日当たりもよくて居心地良い。(そういえばむかし、プロントのメニューをつくる仕事していたことがあるな、と思いながら)
そろそろ帰るか、今夜は中華。

お腹が弱弱なのは......と写真をさぐると不溶性食物繊維(豆、ブロッコリー、きのこ、かぼちゃ、蓮根、ごぼう、りんご、玄米、芋)ばかり食べている。

家づくり、リノベーション。
にこにこ笑って、私は耐える。できるだけ。
不幸自慢は、ばかばかしい
みんな地獄を生きている。
絶望をコンテンツ化にしないように。
今までのことごめんなさい。
一日、一日の、しあわせを生きないと。
残り時間がわずかなら絶望しているひまなどないのだ。
人生で学んだことは、打算的だから後悔するということ。
トイレットペーパーは高くてもロール数の多い方を買え、ということ。

これでも、毎日、毎日、私はがんばっている。頑張らなくていいいのに頑張っている。
ずっと、グッド・バイブレーションでいるには?
バッド・バイブレーションになる時、私が被害者意識ムンムンで「病気でかわいそうな奴」でいる時、傲慢になっている時だ。
そういう時は、情報を遮断しなきゃ。

11月12日(日)
金沢から母、大阪から叔母が訪ねて来てくれて、鰻を食べる。
箱買いした柿が熟しかけていたので一気に作る。

⚪︎柿のグリル焼き(シナモンとオリーブオイル)
⚪︎柿プリン(柿と豆乳2:1でミキサー、冷蔵庫へ)
⚪︎柿のポタージュ(豆乳とコンソメ)
⚪︎柿とバジルのサラダ
(オリーブオイルとにんにく和えて、にんにくは後でトル)
私ったら今まで、柿のポテンシャルを、全然活かせていなかった。
どれもほんと美味しい。

塩麹つくるぞ熱は、半年に一日だけふっと沸く。
塩麹、玉ねぎ麹、甘酒、同時に作りたかったので、それぞれジップロックに入れて、炊飯器へ入れる。「これでいいのかしらん」と思いながら、寝てる間の8時間放ったらかし。夜ごはんには、手作りの鯖寿司をつくる。私、がんばりすぎ。こんなにがんばらんでいい。

11月26日(日)
起きたら11時。だらだらの日曜日。掃除だけしてたらあっという間に夕方。

2023年12月

12月3日(日)
中華料理ブッダボウルつくる。きくらげと香菜をにんにく黒酢醤油で和える。パクチー好きにはたまらない味。
映画『アフターサン』昨日配信で観て、ずっと引きずっている。人に勧めるのはむずかしい映画だけどこういうのこそ映画館で観たいんだ。何も起こらない中でも何かがえぐられていく。何この感覚、まじ名前ついてない。Blurの『Tender』という曲がかかるんだけど、胸がつまる。

私が癌になっても周囲の人たちは、運動を習慣にしたり、食べ物を見直したり、生活習慣を変えることはしなかった。
私もそうだったけれど、「自分は大丈夫」と信じたくて、「病気になったらなった時でしょ」と甘く見ていて、ぎりぎりのところを歩いても「大丈夫な人」のふり。
がん保険なんて、貯金なんて、と都合のいいように、妖精さんを追い求めた。私は、人生を直視できていなかった、と思う。

私は不調な時ほど饒舌になる。病院の日の私は、SNS発信しまくり。大病院は待合時間が長すぎる、という事情もあるけれど、病院の日は受信モードより発信モードになりがち。写真を投稿しながら
「たすけてたすけて、ムリムリムリ」ビームを、知らず知らずに出してはいないだろうか。
病院の付き添いって、だから、必要なのかもしれない。思えばコロナもあってお見舞いもだめで、入院日も退院日もずっとひとりで過ごしてきた。心からさみしいのだろうと思います。

帰りの電車に乗っている。
「うつになりやすい人の傾向として自分のことばかりに目を向けている」という。私のことだ、とギクっとしたけれど、見渡すと皆スマホに齧りついている。皆それぞれ、うちうちのうちの世界に入り込む。だって別に、そういうもんでしょって。周りを見渡したり他人を気遣ったり「身体の不自由な人」のことも見て見ぬふり。「不親切に振る舞っても大丈夫」な人が増えているような気がする。ゲームをしている人たちが、自分の人生のことなど何にも考えていないように見える。でもそれは私がうちうちのうちの世界に入り込んだ先に感じる偏見だ。誰だって同等に、病気になったり、ある日うつになる可能性があって、同等に死ぬんだ、と思う。自分だけが大変だ、なんて思わないように。できるだけ、やさしく生きたい、と思う。

12月10日(日)
近所の公園まで歩いて行って、コーヒーを飲む。ちょうど1万歩。これ習慣にしたい。柚木麻子さんの小説を数冊読む。(『Butter』『らんたん』『ついでにジェントルメン』)柚木さんとは同い年。ラジオの空回りなテンションも私はどうにも好きで、「もしお友達だったら」というキモい目線で読み進める。私からするとものすごく優等生なお嬢様なんよ。

私は長年Webデザイナーの仕事をしているが、全く違う仕事をしていた一年間がある。独り身の中年で、いつ仕事にあぶれるやも分からない。ここ数年は、履歴書を送っても年齢ではねられる。それならいつどうなっても大丈夫なように、いっそのこと覚悟を決めて、別業種で働いてみようと考えた。あっさりと個人事業廃業届を出し、求人で見つけた地方の陶器業界に飛び込んだ。
その陶器会社には田舎の元ヤン、地元を出たことないような人がたくさん働いていた。なぜか常に「ナメられてたまるか」と虚勢を張っている人たちばかりだった。四十、五十を超えても、部活のような上下関係を同じメンバーで続けていて、よそから来る者には少々、いやかなり風当たりが強かった。これまで経験したことのない昭和ガラパゴス化した職場環境。そこで働いていた一年間に、私の腫瘍はみるみる膨らんだ。

仕事にあぶれても仕事は見つかるし、「労働」も「受給」も案外やってしまえばどんな職種でもできてしまう、とは分かったけれど、我慢と諦めの代償はあまりにでかい。どこにも逃げられない状況を作ってしまったのは、自分だったから、あまりに情けない。これまで私は、仕事にも人にもすごく恵まれていたんだと思い知った。
それにしても、今でもたまに連絡をとる職人の方がいるのだが、私にいやがらせをしてきた人は、現在抗がん剤治療を受けているという話を聞いた。何の因果か。

2024年1月

そして私の細胞のすべてが、沈黙の中へと引き寄せられる。
自分の体が思う通りに動かなくなることを経験して初めて、私は内なる存在とつながり、反省し、没頭し、回復する。休息へ向かうまで、暗闇がいつ来ても大丈夫なように、長い準備運動をしている。

基礎体温を上げるんだ日記、
もうちょっと詳細に自分の体のことを見ていこうと思う。

2024.1.1(月)
金沢へ帰省中。年末の会社の忘年会でインフルエンザをもらい、帰省した金沢で発熱。昨日は金沢の病院で救急外来にかかる。免疫が落ちているからだろう、お盆の帰省の時もコロナで病院に罹った。
元旦は家族と『笑点』を見はじめたところで能登半島地震発生。地震が静まった合間に夕飯をつくる。地震が来る、の繰り返し。翌朝、早朝ドンガラガッシャンっと母の悲鳴。戸棚を開けたところ、つんのめった花瓶が落ちてきたという。5年間にドイツのドミトリーホテルでLINE交換した台湾の方から「Is everything alright?」と連絡がきて驚いた。私が石川県出身とか、よく覚えていてくれていたものだ。

朝ご飯:おせち、お雑煮
夜ご飯:八丁味噌の白菜鍋/あおさと大根おろしの梅和え/蓮根もち/かぼちゃの甘酒レンジ煮
1393歩 0.95km

2024.1.2(火)
実家の家族とご飯。父や甥の皿に取り分ける姉を見て「かんべんしてよ〜」と思う。姉はいつも道化師役でおどける。関係が近ければ近いほど、なんとなくヤな点は目につくしツッコミも激しくなる。だけど前回の帰省で母に怒られたんだった。私が不躾に口にしてしまうことについて。母曰く、「兄弟とは仲がわるいもの。礼儀がなくなる、遠慮がなくなるから」と。
家族のイヤな部分は私自身の鏡っていうのは、ほんとうだろう。自分の見たくない部分だろう。おどける半面、ちゃんとしてます感で何かを誤魔化す所。
年末、会社の大掃除の時に会社の先輩から「松本さんって、男をダメにするタイプでしょう」と揶揄われた。先回りして人知れず色々なところを掃除してしまう私の姿を見て「そう思った」とのこと。ぐきりっとする。こっそり袖で草鞋を暖めて、特にアピールもせずやってます感を出す。仕事でも「先回りしないで」「ヘラヘラすんな」と怒られたこともある。

世は「人は思ったより人のことを見ていない」と言うけれど、思ったより人は人のことを見ている。それでいて無関心、その言い訳のように思う。
ぶっちゃけて人と話がしたいけどうまくいかないなぁ。私に話術があればなぁ。お喋りがつまらなかったら、私がお喋りを楽しく繰り出せるようになればよかったのに、その努力はちっともしなかったなぁ。ありゃ、今日5歩しか歩いていないや。体温:36.3℃

2024.01.3
ソウル・ミュージックばかり聴いている。知らず知らず、底から沸き上がるような元氣を欲しているのだろう。だからといって70年代のモータウンとかは、ピンとこない。常に今は「いま」を求めている。Brainstoryというバンドを見つける。Apple Musicの機能で「Brainstoryのステーション」を聴いていたら間違いなくいい曲を次から次へと流してくれる。そこから新たな出合いがあり、自分のプレイリストに宝物を詰めていく作業。最近そんな軽薄な音楽の聴き方しかしていない。映画でも音楽でも「宿題」が溜まると、一気に何も聴きたくなくなる。
流行っているも曲もチェックしてみるけれど、昔からその殆どを好きになれない。人の心を動かしてくる、戦略的なものを観たり聴いたりすると「凄い」とは思うけれど、同時に「怖い」という感情が沸きあがる。
私ってあまりに無知で、軽薄だ、と思うことばかりだ。でも無知で軽薄で恥ずかしくてもいいんだ。いちばんに大切なのは、それぞれ己の生活なのだ。
夕方名古屋に戻る。
2963歩 2km

2024.01.4
病院の日、健診のみ
朝ご飯:中華粥/じゃこ茶碗蒸し/ラディッシュサラダ/酢納豆お粥には小えび、きくらげ、塩漬けにしたかぶ。おじゃこの茶碗蒸しは、酒徒さんメニュー。塩だけで味つける、ほんと楽ちん。
36.2℃
6969歩 4.7km

2024.01.5
潰瘍性大腸炎が治らないため、今日から新しい大腸の坐薬。
ただでさえ「うううッ」な毎日なのに坐薬は精神的にくる。ハンドパン音楽をかけて、気を紛らわす。坐薬を終えたら腰にみそ灸をやる。そうしなさい、と言われたわけではないけれど、壁に足を置いて逆さまになり薬を行き渡らせる。
8827歩 6km

2024年1月6日(祝・土)
10時起床、朝から気管支ゼーゼー。
雑貨屋コネッタで黒豆茶ラテを飲む。さりげなく湯たんぽ出してくれてうれしい。梅と大葉のすりおろし湯をつくろうとスーパー行ったけれど買い忘れる。家に帰ってよもぎ蒸し、フードをドーム状にして口から吸いこむ。夕飯はあじのつみれ煮、NHKの『大奥』を一気見。家光が、可愛い。
2517歩 1.7km
36.7℃

2024.1.7(日)
朝、発酵あんこを炊飯器にぶっ込み、目をつけていた喫茶店リトルトリーへ行く。近くの複合施設にも行き、たまたまエリックサウスを見つけ逡巡するも「一度きりの人生!食べたい時に食べたいものを食べたいよねぇ」と言い、ついつい入る。はちみつバターチキントマトカレーて。
いや、何ひとつ言い訳せずに食べ歩きしたいものだよ。今になって分かるけど、それが出来てた毎日ってマジでしあわせなことだったよ。今まで複合施設なんてひとりで行くと、いかにもふしあわせモードになっていたけれど。生きているのに腐るとは、なんと勿体ない日々。
家に帰ってよもぎ蒸し、夕飯は七草粥ならぬルッコラ粥、キャベツとセロリのビネガー鍋をつくる。10時間経った発酵あんこの次は甘酒づくり。明日のために平焼きパンもこねる。パンは地粉に水切り木綿豆腐も混ぜてみる。一晩寝かせてフライパンで焼く。毎日好きなだけ料理して過ごせて、しあわせ。
朝の体温:36.1℃
8527歩 5.8km

2024.01.8(月・祝)
遅まきながら神社へ初詣。犬が神様が祀ってある。
銭湯へ歩いて行こうとするも、お腹がぐるるっと来たため家へ引き返す。Podcast 『味な副音声』を聴く。私が食べられないものの話でも、全力で感動している人の話はなぜか心地よいものだ。私のMVFは白崎裕子さんのかぼちゃプリン。インフルエンザあとの咳もやっと収まる。明日からまた仕事。出して入れて、自分のからだを換気したような正月休みだった。花屋でピンクのチューリップを買って帰る。

朝ご飯:あじのつみれ粥/トマト卵/大葉もずく/クミンコールスロー/セロリジュース/手作り甘酒/かぼちゃプリン
昼ご飯:りんごのせいろ蒸し(味つけは、はちみつ、カルダモン、シナモン)/アッサムティー
夜ご飯:カリフラワーと牡蠣のクリームスープ/いとこ煮/ほうれん草ジュース
6506歩 4.4km
体温:36.4℃

2024.01.9(火)
朝ご飯:平焼きパンに発酵あんこをのせて/甘酒/セロリとキャベツのスープ/サラダ/かぼちゃプリン
ジム6km
体温:36.6℃
夢:パリの混雑する駅、実在しないリフトのような電車に急いで乗り込む。この夢たまに見るなぁ。

2024.1.10(水)
朝から納豆鍋をする。馬田草織さんがインスタでよくアップされているレシピ。ランチョンマットをひいてみる。ランチョンマットって、今まで何のためにあるのか分からなかったけれど、いざ使ってみるとテーブルに境界線が出来ていいんだ、と思いました。鍋が余ったぶんは、納豆臭くなっちゃうけどスープジャーに入れて会社に持って行く。かぼちゃプリンもジップロックコンテナミニに入れちゃえば、ランチに持って行けるなぁ。

朝ご飯:納豆鍋/小エビジャン粥/甘酒/かぼちゃプリン
昼ご飯:納豆鍋/発酵あんこパン
夜ご飯:しいたけサムゲタン/ブロッコリーの芯のにんにく炒め/もずく酢/ニンジンジュース
ジム3km歩
体温: 36.4℃
夢の話:野暮ったいと思いこんでいた姉が、ハイエースでカーチェイスを繰り広げていた。

2024.1.11(木)
「呼吸のお茶」を飲んで寝たら咳が治まった。今朝の気温は名古屋5℃、体温35.9℃だった、やめて。
会社帰りに、隔週で家に来てくれている鍼灸師の友人と待ち合わせて、映画『ファーストカウ』を観にいく。思えば誰かと一緒に映画を観ることなんて超久しぶり。映画館ってひとりでサクッと行く方が、待ち合わせの手間もないし、合理的に「鑑賞」できてしまうけど、なんかそんな人生ってどうなん……って思った。「隣の人は何を思っているのかな」と、ちょっとしたソワソワを味わうのも、また一興。寝てたけどな。
私は、そういう人と人とのやり取りを面倒くさがって、色々端折ってきたように思う。兎にも角にも、ケリー・ライカートの森林浴映画は、映画館で観られてホントよかった。草むらをギュウギュウと踏みつける音、気の抜けたCookie's Themeも好き!

朝ご飯:サムゲタン雑炊/コールスロー/もずく酢
昼ご飯:おにぎり/サムゲタンスープ
夜ご飯:サムゲタンスープ/いわしの梅味噌巻き/ピーマングリル焼き
ジム3km歩 今日はとても元気
体温: 36.1℃

2024.1.12(金)
遅刻しそうな日は自転車で駅まで行くのだが、今朝は自転車置き場で、おじさんが慌ててリュックの物が飛び散った。まず財布、拾いに行った先で、ペットボトル、次は新聞紙、次から次へ落としていく。愉快な人で「あれ!あれ」と声を出し、私と目が合って「わはは」と笑い合う。私ももう遅刻してもいいや、と思う。充電器を拾って渡してあげる。改札へ降りると、私も定期券やお茶を入れた水筒を家に忘れてきたと気づく。電車を降りる時に手袋を落とし、車内にいた人が慌てて渡してくれた。

ラジオ『ジャズ・トゥナイト』の菊地成孔さん回を聴く。菊地さん、壊死性リンパ結節炎なんだ。菊地さんみたく、暗さを保ちながらもいつも陽気でいないといけない。

朝ご飯:おろし蕎麦/なめたけと野菜のスープ/鰯の梅味噌巻き/ピーマングリル焼き蕎麦の出汁は茶節をヒントに、大根おろしと鰹節ママと麦味噌を入れた。ホントの茶節は、湯呑みに鰹節と麦味噌を入れお茶を注いで飲む。疲労回復や二日酔いによい鹿児島の郷土料理だそう。
昼ご飯:Soup Stock Tokyoで無花果チャツネのキーマカレーとオマールスープ
夜ご飯:小エビジャン鍋/ニンジンジュース
6612歩 4.5km
朝の体温:36.5℃
夜の体温:36.6℃

2024.1.13(土)
今さらながらパレスチナとイスラエルのニュースを、3ヶ月前の動画やラジオから掘っていく。ニュースを読むには、やはり筋トレがいる。文章が、頭に入ってこない、シナプスが繋がらない。恥ずかしい。
一日、こたつで食っちゃ寝、過ごす。映画『オスロ』を観る。なぜ!と全世界の人が考えている。

朝ご飯:生姜炊き込みご飯、休日で余裕あり土鍋で炊く/空豆とキヌアの豆乳スープ/玉ねぎステーキなめ茸ソース/小松菜ジュースと紅まどんな
食後のおやつ:魚グリルで焼くオートミールあずきサンド
夜ご飯:生姜炊き込みご飯/きのこの蓮根すり流しスープ/ぶり大根/白菜甘酒漬け/ニンジンジュース
食後のおやつ:豆腐もちの甘酒ぜんざい、生姜紅茶
36.9℃、風呂入ったら、36.4℃に下がった。
1km

2024.1.14(日)
なかなか予約の取れない美容室へ、2ヶ月前に予約していた私。ショートからさらにショートへ。
「痩せましたね」と言うので、この一年間の事情を話す。「一度、坊主になってみて分かったけれど、髪というものは均等には伸びないのですね」と話すと、「髪を切るというのはライヴなんです」と言う。美容っていうのは、いかにそれぞれのクセを回避するか。マニュアル通りにやっていても全然うまくいかない。いくらデッサンが上手くてもライヴペインティングができなければいけないのだ、仕事というのは。
一方私の仕事は「バズらせてなんぼ」みたいな時代は終わって、マニュアル側の仕事の方。PDFは容量が軽くなるよう、ビジネスメール通りに、枠をはみ出さないような仕事が求められている(と思う)。ライブペインティングは求められていない。
新しい髪型はパリジェンヌ風の前髪ななめ切り、テンションがブワッとあがる。花びらのイヤリングを見つけて心がときめく。
できるだけ毎日、綺麗にしていたい。だけど抗がん剤治療でボロボロになった状態の姿を、写真に収める人の気持ちも分からなくもない。それはその時だけの姿だから。
帰りに星屑珈琲へ行く。前からインスタで拝見していた木版画家の平岡瞳さん絵が飾られており、焙煎豆のパッケージから何からを手掛けられていた。あっという間に一日が過ぎた。

朝ご飯:きのこと蓮根すり流しスープ/あじの南蛮漬け/豆腐ぜんざい/紅まどんな/ニンジンジュース
夜ご飯:いろいろきのこの白味噌クリームモロヘイヤパスタ/あじの南蛮漬け/白菜漬/ニンジンジュース
6588歩 4.5km
36.6℃

2024.1.15(月)
朝の体温、36.1℃、だめよダメダメ。
負け惜しみかもしれないけれど、がんと分かってから私はいきいきとしている。大嫌いだった家事を愛せるようになっている。時間は、音もなく少なくなっていく。そのことをよく忘れている(たぶん、それは、いいこと)。風がつよいと子宮筋腫がきいんと痛むなぁ。寒い。

朝ご飯:カリフラワーの生姜カレー煮/ほうれん草のオムレツ/ぶり大根/かぶ菜/蓮根すり流しスープ/小エビジャン粥/紅まどんな
夜ご飯:炊き込みご飯/キャベツとジャガ芋のスープ/南蛮漬け/蒸したさつま芋とカリフラワー/ニンジンジュース
◎ジム7km
36.6℃

2024.1.16(火)
年賀状を送った方から、5年ぶりに連絡が来た。
仕事関係の方と言うより音楽友だちという方が色濃い方。そして今夜は、その方が大阪からわざわざ名古屋に来てくれた。このフットワークの軽さがこの方の人徳なんだろう。壮大なビジネスの話を聞いて、山奥の山小屋を営む自分を夢見る。残念ながらそれは遠くの惑星外の話。
串焼きと素敵なワインバーへ行き(私は緑茶)、たぶん何度もしているラジオ話。不吉なものへの恐怖からか連絡を断つ人もいる中、グイグイと来てくださる方の方が私はうれしい。体調も悪いとこうも言ってはいられないだろうけど。
普段、いつもひとりのため「私って友だちいないよなぁ」と思うことが多い。一月のある日、年賀状を送っていない方からも、地震のこともあって、同日に「元気?」と連絡が届いたのも不思議だった。人との扉が開く日ってある。私は、自分の中に言葉を溜め込み、本当ではない言葉を表現してしまうから体がおかしくなってしまうのだと信じていた。しかしnoteとかで自分のことばを「表現」しても、体はさらにおかしくなっていった。「私の言葉が悪文だから? うまく表現ができていないんじゃ?」正直すぎる言語化も体にわるいのかも、と思った。ちがうちがう、そうじゃ、そうじゃない。友だちとフツーに話をしたり、通気口に風を通していないと、人はいけないんだ、と思った。

朝ご飯:お粥/キャベツとジャガ芋のスープ/蒸しりんご
夜ご飯:久しぶりの外食、名古屋コーチン
6.9km
◎ジム36.6℃

2024.1.17(水)
昨夜遅かったため、体がぐったり。お酒飲んでいないのに二日酔いみたいな感じ。通勤電車で、ハービー・ハンコック、Speak Like a Childを聴く。

朝ご飯:お粥/キャベツとジャガ芋のスープ/蒸しさつま芋/トマトとほうれん草の卵焼き/豆乳グルト/紅まどんな
昼:コメダの和喫茶で抹茶
夜ご飯:トマトと卵の雑炊/野菜スープ/胡麻の豆腐焼き/蒸しかぼちゃとブロッコリー/蒸しりんご
5.3km
36.8℃

2024.1.18(木)
ぐっすり寝てしんどさも取れる。朝からかぼちゃの蒸しパンをつくった。鈴木愛さんのレシピで、米粉でフライパンで蒸す。おいしい。会社は遅刻した。
めずらしく残業をして帰りが遅くなったけど、どうしてもタッカンマリが食べてたくなりイオンに寄った。丸鶏なんて売ってないから、もも肉で皿に盛ってからキムチや塩で味つける(正式には、それはタッカンマリでもサムゲタンでもないようだ)。この食べ方は、麻生要一郎さんの本に書いてあった。Audibleで湊かなえの『未来』を聴く。のんちゃんの朗読、演じ分けがとっても上手。

朝ご飯:焼き長芋のみそお粥/ごぼうと白菜のスープ/ほうれん草のごま和え/かぼちゃの蒸しパン
夜ご飯:お粥/タッカンマリ/ほうれん草のごま和え/紅まどんな
◎ジム6km

2024.1.19(金)
打ち合わせで「この赤は譲れません」とふるふる震えていた27歳のデザイナーが会社を辞めていった。

朝ご飯:サバ粥/ごぼうスープ/ほうれん草のごま和え/蒸しかぼちゃパン/紅まどんなごま和え、胡麻ちゃんと炒ってすってある。人は風味で満たされる。たった5分の手間なんだよな。断捨離でごま炒り器を手放したことを後悔する。でもあれ焦がすんだ。
昼:エールカフェで珈琲
夜ご飯:もも肉と山芋の薬膳鍋
6352歩 4.3km

2024.1.20(土)
朝起きたら湯たんぽの水が、布団ビッシャビシャにこぼれていた。しかし外は雨。テーブルにお布団を広げ今日は一日中こたつで過ごす。
トマトのポタージュなんてはじめて作って食べたわ。玉ねぎにんにくにバジルも混ぜる。おやつにせいろでりんごを蒸す。蒸しりんご、あまりに楽ちんなので最近こればかり。上にかける「そばはちみつ」は香りがクセ強だけど合う。
サバは安い時に買って、ふりかけ状に焼いて置いとけば、のちにルーロー飯風にも、ドライカレーにも、きのことサバ汁にしてもできていいね。

朝ご飯:サバとあおのりのルーロー飯/トマトのポタージュ/紅まどんな
サバのドライカレー/トマトのポタージュ/さつまいもとりんごのマリネ/塩キャベツ/ごまと切り干し大根ヨーグルト/ブロッコリーのスムージー
昼ご飯:せいろで蒸しりんご
夜ご飯:サバと大豆のドライカレー/トマトのポタージュ/塩キャベツ/切り干し大根ごまグルト//さつまいもとりんごのマリネ
148歩、ひどい
よもぎ蒸しして、平均体温37℃へアゲ

2024.1.21(日)
ハワイには行ったことないけど、葉っぱの器に作りおきを盛るとそれっぽくなる。葉っぱの器は多治見で100円だった。サバは安い時に買ってふりかけ状に焼いて置いとけば、のちにルーロー飯風にもドライカレーにもできる。たっぷりきのことサバ汁にしても美味しそう。15時から洗濯して、公園歩き。椿の木の下で歌を作った。
「つばきつばきつばきのき、三月の宝石椿、つばきつばき綺麗な木、花びらが泣いてるみたい」名曲が誕生した。

朝ご飯:ハワイアン風な朝ご飯 サバのドライカレー/トマトのポタージュ/甘酒卵焼き/さつまいもとりんごのマリネ/塩漬キャベツ/甘酒大根/キャロットラペ/切り干し大根ごまグルト/甘酒
夜ご飯:作りおきご飯
あずきご飯 / なめことわかめの味噌汁 / じゃがいもの青のり炒め/レンズ豆のサブジ/大豆サラダ / キャロットラペ/さつまいもとりんごのマリネ/塩キャベツ / 切り干し大根ごまグルト/もずく納豆
公園歩き 9770歩 6.6km
36.7℃

2024.1.22(月)
『無人島のふたり』(山本文緒さん)を読んだ。本の中で山本さんは、大豆田とわ子を「しあわせじゃん!」と書いてあった。私も山本さんに対して「この方はパートナーがいていいじゃん」という思いがあり、ずっと読めなかったのだが読み始めたらするりと読めた。私も死ぬまで、ドラマの感想を言ったり、新しい服が欲しくなったり、買えばいいのに節約とかしながら生きていくのだろう。
会社帰り、スーパーPantryで、後ろから「ござそうろう!」と叫ばれた。「江戸ことば?」と振り返ると「ここにあったんだよ!御座候!」と髪もつやんとセットされたスーツ姿のおじさんが怒っていた。御座候は、デパ地下によく入っている大判焼き屋だ。おいしいよね、御座候。

朝ご飯:小豆粥/なめことわかめの味噌汁/大根ステーキ/ブロッコリーのサブジ/塩キャベツ/さつまいもとりんごのマリネ
昼ご飯:お弁当
夜ご飯:玄米飯/海南式・牡蠣の卵焼き/ねぎと大根の味噌汁/ベビリーフサラダ/じゃがいもの青のり炒め/もずく納豆
◎ジム6km

1.23(火)
今日は病院の日。
しかし、どこをどう探してもお財布がない。昨夜行ったPantryに電話すると、預かってくれていた。御座候おじさんにびっくりしちゃったのかもしれない。会社近くのスーパーへ寄ってから病院へ。CTの造影剤の影響か、最高血圧が100以下に下がる。病院に行った日は鞄の中がぐちゃぐちゃになるから、すぐに片付ける。映画『チェルノブイリ』を一気見する。
5.7km歩
36.3℃

1.24(水)
食べすぎているのは、今飲んでいる薬プレドニンのせいです。雪が降って寒すぎて、ジム休む。

朝ご飯:海南式・牡蠣の卵焼き/ねぎと大根の味噌汁/ベビリーフサラダ/もずく納豆/ニンジンご飯/はと麦茶
夜ご飯:茄子と十割蕎麦/きくらげ鍋/りんご
4km歩
36.0℃

1.25(木)
鍼灸師やまださんが施術前に映画「枯れ葉」を誘ってくれたけど行けなかった。今日の施術テーマは「右」だった。一緒に特濃豆乳で入れたチャイとりんご蒸しを食べた。Podcast『Y2K新書』を全部聴いた。「笑いって知性なんですよ!」と熱く語る柚木麻子さん、大好きになる。本も数冊読む。しかし私がハマる頃にはいつも終わっているんだ、番組も、Twitterも。

朝ご飯:土鍋でさつまいもご飯/白菜と豆腐と生姜スープ/もちなしぜんざい/甘酒大根とにんにくともずく/紅まどんな
夜ご飯:さつまいもご飯/スープ/りんご
◎ジム5.7km
36.1℃

1.26(金)
今週は毎朝、土鍋でご飯を炊いている。やってみたら意外と簡単なことだったけれど、今朝は土鍋でご飯を炊いたまま二度寝をしてしまいお米を焦がしてしまった。あーこれは俗にゆう「最悪」だわね。夕飯は、セロリとキャベツの鍋をしたいんだ。お酢を最後にひゅっとかけるやつ。会社帰り、花束を抱えるように、Pantryでセロリを買って帰る。

昼ご飯:タイ料理屋でパッガパォガイ
夜ご飯:鶏つくねセロリとキャベツのサフランビネガー鍋/ほうれん草のごま和え/ニンジンジュース
体温:36.2℃
3km歩

1.27(土)
ドラマ版の『紙の月』を一気見。
体温:朝36.1℃
夕方よもぎ蒸し前36.7℃、よもぎ蒸し後36.5℃
なぜ下がる

朝ご飯:昨夜の鶏だんごとセロリのビネガー鍋に、きんちゃくごはんと紫キャベツを入れる。関係がすでに出来上がった会社に、中途採用者がおそるおそる空気読んでいる感のある味。
夜ご飯:ブロッコリー鍋
1km歩
36.6℃

1.28(日)
朝ニンジンドレッシングを作った。玉ねぎとミキサーしてすっぱうま。昨夜から『ナイルパーチの女子会』を一気見。こちらすっぱい女性たちの執着が見せる物語。山田真歩さんが生むグルーヴ。水川あさみさんがポテチを美味しそうに食べる。感想箱には「闇が深い」という言葉ばかりが並ぶ。そうかな、と思ってしまった。

『余命一年、男を買う』という本を読んでいる。スパスパ合理的にものを考えている方が賢い人生の生き方なのか、問てくる作品。
昼前に家を出て、会社の後輩が展示している覚王山アパートへ行く。SMの女王様みたいな作風だった。それから紅茶専門店えいこく屋の店内のいい香りにテンション爆上がり紅茶を買いこむ。アッサムタイガー、ルフナ、セイロンティー、フレーバーティーを選んだ。なちゅらるこーとでは、いつもなら絶対買わないポテトチップスを買った。ドラマで人が食べているのを見ただけで「まぁちょっとくらい、いっか」と剥がれる私のこだわりとやら。
夕方には家に帰って、甘酒まんじゅうを作る。レシピの分量をよく見ずに、きび砂糖を蜂蜜に変えたら餡がベタベタ包めず、別の何かが蒸しあがりました。出来立ての味は美味しかった。
血虚には黒いものと聞き、夜はわかめ鍋をしてみました。わかめを黒ごまたれに絡めて食べるンです!初めて作ったけれど、ウンまい。

朝ご飯:さつまいも雑炊/大根の甘酒味噌汁/ニンジンドレッシングのサラダ/エリンギグリル蒸し/ほうれん草のごま和え/りんご土鍋蒸し
昼ご飯:甘酒まんじゅう
夜ご飯:黒ごまたれのきのことわかめの鍋/ニンジンドレッシングのサラダ/ピーマンご飯
37℃ 低血圧
6684歩 4.5km

1.29(月)
今日一日、水切りラックのことばかり考えていた。引っ越しの時に誤って棄ててしまい、以来衣料用の金網ラックで凌いできが、もう限界。
有本葉子さんモデルは6,600円、無印良品なら2,490円。つきまとうのは「私はあと何年生きられるか」という打算。結局、500円の簡易的なラックを取り付けたら、載せるなりたわみからドンガラガッシャンコッと器やお箸ぜんぶ落ちてしまった。
しんどい時は、気分がアガるお買い物より、生活がラクになるお買い物をしなくちゃだ。

朝ご飯:生姜ご飯/ごぼうとわかめのスープ/蒸しピーマン/ニンジンドレッシングのサラダ/エリンギの黒酢グリル蒸し/甘酒まんじゅう/りんご
昼ご飯:お弁当
夜ご飯:鳥の唐揚げ梅酢風味/茄子の煮浸し/ニンジンドレッシングのサラダ
体温:36.5℃ 低血圧
◎ジム4km歩

夢の話:東京ビッグサイトみたいな場所で、同級生の家や親戚の家など、見覚えのある家々が、ブースとしてぽつんぽつんと建っている。ジェットコースター、プール、お寺もあり私はおみくじを引く。うすい紙の間から小エビのような龍が出てきて、住職に「それを食べなさい」と言われる。夢の中で「白崎裕子さんレシピの小エビジャン、あれがあった一週間は良かった。あれは使えるな〜って思っているからこういう夢を見てるんだ」と、うすうす認識している。

1.30(火)
「最後の親孝行」とか言って、正月にInstagramで相互フォローしてつながってしまった。それからというもの、私が料理の写真をアップするたび母から「いっぱい作ったね、えらいね」とかDMがくるのが、心の底からこっぱずかしい。
癌になってから、頻繁に母と連絡を取るようになった。それまで実家に帰らない年もあり、平気で既読無視とかしてたのに。
私が中学生だった頃、母は林真理子を読んでいて、私はよしもとばななを読んでいた。ずっと趣味が交わることなどないと決めつけていたけれど、年末に『向田邦子ベストエッセイ』を読んでいたら、母も愛読していた。以前も「帰りの電車で何か読みたい」と言うので武田砂鉄さんの本をあげたら「面白かった」と言っていた。意外と、趣味が合うのかもしれない。
しかし昨夜、唐揚げの写真をInstagramにあげたところ「じょうずに焼けたね」と言うので「母から貰ったアマニ油で揚げた」と書くと、即座にDM「アマニ油なんて送った?」「うちにあるアマニ油は生食向けだからサラダにかけてるけどアマニ油で揚げるなんて聞いたことない!」「生食向けって書いてない?」「え、、ダメなん?」「加熱用のアマニ油もあるけど、アマニ油は繊細な油で熱に弱いのよ、熱で性質が変わるのよ!」「アマニ油、 送ったっけ?」「アマニ油、 検索してみて」とDMがドバババッと連投されてて、私は女子中学生のように「うるさい、うわーん」ってなった。でも大人だから何も言わない。

朝ご飯:鯖の鯖粕漬/カツオイラズと大根のスープ/切り干し大根/茄子の煮浸し/サラダ/酢納豆/生姜粥/セロリとリンゴのジュース
昼ご飯:麻生要一郎さんのお弁当Cover(鳥の唐揚げ梅酢風味/鯖粕漬/卵焼き/小松菜煮浸し/切り干し大根/みょうが甘酢漬け)
夜ご飯:お粥/唐揚げ/サラダ/茄子の煮浸し
体温:36.6℃ 低血圧
◎ジム5km歩

1.31(水)
美容室の垢抜け変身もののショート動画が好きすぎて、観ているうちに夜中になっている。

朝ご飯:お粥/小松菜煮浸し/りんご
昼ご飯:玄粋で蕎麦ランチ、ドトールコーヒー
夜ご飯:鯖粕漬/紅菜苔と豆腐焼き/切り干し大根/ほうれん草のにんにく生姜和え/みょうが甘酢漬け/大根と大葉の塩昆布ポン酢漬け/茄子の煮浸し/サラダ/ニンジンジュース
36.7℃ 低血圧
2.8km

⚪︎1月の体調まとめ
体調:よっこらしょ感あるけど良好
薬(プレドニンと坐薬)が効いて潰瘍性大腸炎も治まる、脾臓のあたりが何か気になる
食べ過ぎ、寝るのが遅い、スマホ中毒
月の平均体温:36.5℃
月の平均血圧:110/73

努力、未来、ビューティフルスター!

2024年2月

倒れる

2.1(木)
会社の昼休みにヘッドスパへ行った。
「この施術者さん素人だけど大丈夫かなぁ」ってところをホットペッパー予約してしまったけれど、たまに誰か誰でもいいから体を触ってもらうことはいいことだ。しかし金曜日の夜に予約を入れるべきだった。終日うとうとする。

2.2(金)
会社の節分飲み会だった。玉入れゲームで優勝しAmazonギフトカードを引き当てた。まぐれもまぐれ運を使っちゃった。
その後の食事会がサイゼリア。若者は全員欠席、参加者全員40代以上。上司は「元が取れないから」という理由から水を飲み続けていて、私はその意味がよく分からないまま日東紅茶のアソートを全種類飲んで、少し辛くなった。

綿谷りささんの小説『老は害で若も輩』をオーディブルで聴いた。各所でメールバトルが至る所で行われているのかもしれん。「変な磁場が発生している」綿谷さんの剣の鋭さに痺れる。

2.3(土)
昼起き。ホラまたお酒飲んでないのに、体が酔っぱらった感じになる。何だろうなこれ。これまで経験した二日酔いの8割、ただの雰囲気酔いだったのかもしれないっ。
古本屋でヘレン・シャルフベックの絵に一目惚れし画集を買って、映画『魂のまなざし』も観た。映画序盤で、赤い布をかけたテーブルを中央に配置し、右の窓の外を眺めるヘレンの構図の画がまじでまじで美しい。 

色についての雑談も印象的。
「ベージュが足を引っ張ることもある」
私の所持する冬服ニットは、呆れるほどにベージュだらけ。

昼ご飯:自家製マヨかけ、豆腐と山芋と紫キャベツのオートミールお好み焼き
夜ご飯:酒徒さんのレシピ本で、カキと海苔のうまみがしみわたる中国福建省のスープ、紫菜牡蠣湯(しさいぼれいとう)を作った。海苔や乾燥あおさのストックがあるとお粥ライフが充実。

2.4(日)
立春。ココアの蒸しパンを作る。
米粉 100g、ココアパウダー 15g、ベーパウ小さじ1、塩ひとつまみ、泡立て器で混ぜる。 別のボウルに豆乳100ml、オリーブオイル15g、はちみつ20gをよく混ぜる。それからふたつのボウルを混ぜ合わせる。 クッキングシートを敷いたプリンカップに流し入れて15分蒸す。せいろにプリンカップが入り切らず、茶碗蒸しみたいに、鍋に無印の網を敷いて使っている。
2つともすぐに食べてしまう。自分の自制心を信じないように。昼過ぎにいつもの散歩道、庄内公園からアルバートコーヒーまで歩く。今度ピクニックに蒸しパン作って持って行くとかいいかも。めんどくさがらず自分から誘ってみること。
家に帰ったらちくちく私のヒドいダーニング。家庭の授業でナップサックやぬいぐるみを作らされたけど、人生に必要なのはダーニング力だよな。

先週、麻生要一郎さんのお弁当の本を読んで、鯖は安いうちに買って酒粕に漬けておけばいいことを学んだ。しょっぱ美味い。そして余った酒粕は味噌汁に使えばいいことも。
映画やドラマばかり観ているけど、重厚な芸術的作品より、私自身がたのしい気分になるものを。
靴下に穴が空いても買い足すことをやめた。洗濯の負担が今は大きいこと、私の体温は上がることはないと知った。

朝ご飯:鶏ささみの梅粥/酒粕味噌汁/マヨネーズサラダ/酢納豆/甘酒ヨーグルト
昼ご飯:ココア蒸しパン
夜ご飯:春菊と油揚げの鍋/鶏ささみの梅粥/蒸しさつま芋
◎公園1万歩
よもぎ蒸し

2.5(月)
名古屋は6℃、雨降って寒い。
しんどくて会社の会議室で2時間眠らせてもらう。同僚のみんながクッションやストールなどを掻き集めて来てくれる。やさしい。

それでも体調わるく早退。家に帰って「絶対、低・低・低・低血圧や」と計ったら、高血圧かつ微熱かつ嘔吐。きっと食中毒。お昼に食べた酒粕スープが原因だ。thread遡ると一週間前にも同じもの食べてやがる。昨日「あのレシピは使える」と書いていたのがかっこわるい。自分でテルミーしてお灸して、吐き気と頭痛に遠隔。
この時は、連日続く頭痛と吐き気の原因は漬けすぎた鯖のせいだと思い込んでいた。(一週間のちに分かることだが癌が転移していた)
翌日も会社のトイレでゲーゲー吐きながら心配の声を寄せていただいた先輩に「腐りかけの魚を食べて気持ち悪いのだ」と話すと『壊れかけのラジオ』のメロディで「腐りかけの〜」とその方は歌った。
36.9℃
血圧:120/78

2.6(火)
朝ご飯:りんご2個/生姜粥/アッサムティー
昼ご飯:ひとり外食soup stock Tokyoでスープのセット
1週間の平均体温:36.5℃

2.7(水)
昨日から何も食べておらず、同僚が配ってまわっていたお土産の『麻布かりんと』に口をつけた。
久々に食べる砂糖菓子だ(私は元来スーパーで売ってる蜂蜜かりんとうが大好き!)
濃縮された甘みがじゅわっと舌に広がる。味の驚きに感動し、「私体が食べたいものをちゃんと食べていないのかも」と思う。家に帰って2日ぶりに湯船に入ったら自然と「フォーー!」って声が出た。私こんなんじゃ2年ぶりにミスドに行ったら私「ウォーー!」って叫ぶかもしれない。

なんでこんな食べ物に囚われてるのだ。それは潰瘍性大腸炎のお薬プレドニンの副作用で、口の中が常に苦く不味いから、何か味を口に入れていたい。だけど気をつけないとまたお腹を壊してしまうリスクあり。

仕事終わりに『ストップメイキングセンス4Kレストア版』を観にセンチュリーシネマへ行った。映画館でノリノリで観たかったため、後列席にしたけど、最後尾に私よりもっと踊り狂ったのがいて最高だった映画館体験。トムトムクラブの歌詞の中にあるけど「No one can sing like David Byerne」誰も彼みたいには歌えない。タイトルのStop making sense もそうだけど何てお洒落な英語。 iMaxだともっとやばそう。明日会社の似た趣味の上司に話そう。

2.10(土)
朝ご飯:重湯粥/豆腐となめこのスープ/ふかし芋のさつま芋ダレのせ(芋ダレはマヨネーズ、カレー粉、)/愛媛の伊予柑、ブロッコリーとリンゴのジュース

2.10
歩くためにイオンへ。Double Tall Cafe BEANSへ行って洒落た名古屋コーヒー飲む。隣は台湾飯屋で華やかな豆花が美味しそう。先週は麻生要一郎さんレシピづけ、梅酢漬けにした鶏の唐揚げがでらうめかったので、今日は9月に漬けてたにんにくの酢漬けの酢に鶏肉を一晩漬けてみた。夜ご飯はそうして蒸し鶏ジーロー飯に(酢漬けにした鶏は、卵と片栗粉でカリカリに唐揚げにしたほうが合うのかも)
「ノンアルコールビールに、発がん物質で損傷したDNAの修復を促す効果が見つかった」らしいけど、ホンマかいなと言いながら、一缶飲んだ。
夜ご飯:ジーロー飯/打ち豆とわかめの中華スープ

2.11(日)
朝ご飯:ジーロー飯/打ち豆とわかめの中華スープ/みかん

2.16(金)
今週はずっと吐き気と頭痛が止まらず、会社近くの内科へ行って吐き気止めの注射を打ってもらった。その際、看護師さんが誤って私の腕と自分の腕にも針を刺してしまったらしく、婦長さん登場「今までB型肝炎とかC型肝炎とかの感染症かかったことないですか?」と聞かれ、ないと答えるも、念のため感染症検査の注射も追加で打たれる。
看護師さんてすごい職業選択だ、偉いなぁ。(でも誰しも「偉いね」と言われるために職業選択をしているわけではないから偉いねとか、こんなこと言うのは失礼ですね)

そこから帰宅する駅でチャージをしていたらフラフラして、一度しゃがむと立てなくなってしまい、駅員さんに救急車を呼んでもらう。そのままかかりつけの大学病院へ搬送、救急入院となる。
今週の平均体温:36.8℃
今週の平均血圧:低め113/79

2.17
夕方頃、田舎から母が病院に来てくれる。電車に乗り慣れていないのに、駅に置きっぱなしの荷物を、栄の忘れ物センターまで取りに行ってくれて、リクエストした冷凍のお粥とオイコスりんご味を買って来てくれた。
オイコスは、入院中のオアシスの味。いつもだったらブルーベリー派。何なら豆乳グルト派ではあるけれど。
今回の入院は、ひとりでぷらぷら出歩けないため、看護師の助手さんにコンビニで豚汁を買って来てもらった。食べ終わったケースにお粥を入れてチンしたらあったかく食べられて非常に満足。キャンプのような夕食。梅干しの準備があれば最高だった。
調子に乗って「ドトール行っちゃだめですか?」って聞いたら「だめです」って。夕食まが待ち遠しい。こんなことに慣れたくはないがすっかり、入院生活に慣れてきてしまっている。

先週から続く頭痛と吐き気、足を引き摺って歩く、仕事の凡ミスの原因は薬の副作用だと思いこんでいたけど、原因はMRIの検査、がんが脳に転移してるかもしれない。恐怖を煽る読影画像や恐ろしい話も聞いた。入院中血圧は、大体100を切って、だいぶ低め。

2.17(土)
入院中の環境音はドレミ音階の点滴ピロリ音。遠くで誰かが叫んでいる。病院食がメリーさんの羊のメロディで食事が運ばれる。
「ゴーハンがキタヨキタヨキタヨ♪ 今日はなんだろ」と心の中でシンガソングしているのはきっと私だけではないはず。これが今回、幻聴になって耳元に纏わりつくようになって厄介。

今日だけで「入院になりすみませんがご予約また振替させていただけたらうれしいです」という予約キャンセル連絡を既に3件送った。前からうすうす気づいていたけれど、私はもう二度と 、JRや施術などの事前予約をしない方がいい。どうも事前に予定を決めてしまうのは性に合わない。私はアーユルヴェーダでいうとヴァータで風のように生きたい性質。だからいつも予定通りにはうまくいくことがない。相手に迷惑をかけてしまう。
実際は自分がどうしようもなくだらしがないだけでいつも突然予定を変えがち、迷惑かけまくりなことを星やヴァータのせいにしてはいけないが、やっぱりでもこの週に施術予約を入れまくっていたってことは、先週から体調がしんどくなる予見は自分でできていたのかも。それくらいは自分で管理せんといかん君。
脳の影響か、脳裏になぞの残像の画が見えるようにもなった(悪趣味なマーブル模様の幻覚)に高音電子ピアノのメリーさんの羊(幻聴)こんなの気がおかしくなる。
他にも「春からNSCに入学したら」って妄想が始まると妄想物語が卒業まで止まらなくなった。脳裏にデデデデッドラクションの書体で何か文字が書いてある。世のアニメーターとかはこういう幻影が幼少頃から見えていて(?)何かしら形にせんといかんと日々奮闘しているのかもしれない。頭の中に浮かび続ける何か、イマジネーションが過ぎる人々。静岡市美術館の高畑勲展に行きたい。

そういえば私は人生でコロッケ作ったことがないため作ってみたい。何か動物を飼って何かを愛しながら暮らしたい。絵を描きたい。多分これが人生でいちばん楽しい時間だったから。私は後悔している。私は自分の人生でもっと絵を描けばよかった。油絵やればよかった。生きねば。まだまだやりたいことがあります。

2.19(月)
入院4日目。
病院食が激ウマすぎてヒャッハー!
ふわふわのお粥、白菜とニンジンの胡麻のおひたしが美味しくて絶叫!ウッソだぁ!
入院中暇なので、漫画『ゴールデンカムイ』を読もうと思います。生中線というワード、本日二度目です。こういうのを何かのメッセージとして捉えるクセが相変わらずあります。

病気になってからというもの、私はスピリチュアルが大きらいになった。特に「病気はアナタが望んでいるから起こったのよ」としたり顔で言ってくる人。「身体からのメッセージを読みとこう」とか「チャクラが終わっているから病気になるんだよ」とか。治せないうえに、聞き齧りの上から目線なのである。そして「我々に出来るのはヒーリングではなくトリートメントだ」と言う。そうなんだけど。

中には噂話レベルの知識で抗がん剤治療を全否定してくる人もいる。病院の治療をやめたことで、命を落とす可能性を知らない。決めるのは本人だ。先日その方は、ネット業者から騙されたという。騙されやすいのかな、と思ってしまう。取得したヒーリン講座は騙されたと一度でも考えないのかな。

30代、私はありとあらゆるもの施術セラピー健康法や代替療法に手を出した。「これをすれば心身の不調改善」なんて言葉は大体コロッと信じた。でも私の不調は何ひとつも改善しなかったし基礎体温も上がらなかった。よくもまあって、思わなくもない。荻上直子さんの『波紋』を観た。弱ると人は誰かを信じたい。弱ると人は考える余裕すらもなくなるから。癌が治るという水を売りつける輩が、昨年ニュースになっていました(ウィンメディックス事件)

2.20
今日だけで4回も差し入れを頂いた。友人には、我慢しきれずイヤホンを買ってきてもらった。
B子ちゃんと行き違いがあり素直にアイムソーリー。
「ぜんぜん大丈夫、とりあえず、必要なものが手もとにあるならよかった」と言ってくれたけど、めちゃくちゃ彼女いい人なんだけど、こういう展開お互いに唾をごくんとのみこんだ音がする。きっとお互い似たような性分で「いい顔しちゃう」ことでストレスを貯め合ってしまう。よくない。

2.21
睡眠剤飲んで5日ぶりにやっと寝れた。
朝から点滴、落語家みたいな医師の肺呼吸検査、CT検査、理学療法3件と大忙し。
今日の担当看護師さんは非常に太々しい態度、桃井かおりと伊藤沙莉をミックスしたような気だるい発声をされる。その渋い声と名古屋弁でこっぴどく叱られた。公園に行くと子どもにばかり目が行くように、面白医師とか看護師さんとか、そういうのばかり注目し心が動く。
令和の看護師さんが太々しい。
「ベッド上げちゃダメって言っとるで」
「ひとりで出歩かんでって言ったでしょ」
「そうだっけ」
「もう何べんも言っとるよ」
「血管耐えられるかな、がんばれ血管」
ぶっきらぼうに淡々と、ポツポツと冷めたことばを落としていく感じが令和っ子。
私が昭和なだけで思うことだが、この「ナメた態度」を取られることが、私は案外好きなことに気づいた。カッケェというか頼もしいというか。一方で、自分の業務の都合しか話さない看護師さんもいる。
「電池切れてたんで変えときますね」は流石に
「それは知らん(それはやっといて)」と思ったが、歳下に嫌われたくない心理が働き、ついまたニコっとしてしまう。
CT午前なら「お昼ごはん食べて来てくださいね〜」くらい助言してくれてもよかったのに、と思いながら。毎日多くの看護師さんを見ていると、機転が利く利かないというのは、あまり若手とかベテランとか関係がないことのように思う。私の方だって、看護師さん側は「すべて察してくれているもの」と期待してしまっているけれど、それもひどい自立的ではない態度で甘えている。

そして今日だけで注射5回失敗となった。血管がイヤイヤ期。うまく点滴が入らない、私の血管の位置は変わっているらしい。血管から点滴が漏れるとひどく痛く、看護師さんは図画工作し絶妙な傾斜をつけて針を固定してくれる。昨日から私も氣の流れがうまく巡っていない感じもする。
穴だらけの右腕の注射針を眺めながら、私の血管の位置が他人と違うってことは、氣の流れも普通じゃないってことなのか。だから私だけ病気しやすいのか。それって普通に受け取れるものも受け取れないってことじゃなのか、考えなくてもいいことばかり考える。
私の脳は今、いつもより変なのだ。バイカラーの紙袋を、別々のバッグと認識した。これからもうお仕事は続けられないのか。ちゃんと私は、私のやるべき仕事をしてきたか、力を使い果たせたか(そうは自分で思えない)

医療従事者の方がやたらクールに見えるのは、人間の話し方やことばの使い方、全て細胞ミクロのからだの反応だと心得ているからかもしれない。
Kさんが最近のイケてるJazzプレイリストを送ってきてくれた。ゴーゴーペンギン、かっこいい。


2.22
理学療法運動言語記憶力テスト。言葉のテストは満点。私は言葉より図形を読む力の方が強いと思い上がってきたから、図形テスト50点はショック。どうも図形の中央付近を捉える脳の認知能力が弱っているようだ。でもそれを自分で認識できたのはよかったかも。

今日の私の仕事は『ゴールデンカムイ』を全巻読むこと。退院したらそれっぽい鍋を作って食べて「ヒンナヒンナ」言うんだ。
午後のリハビリ予定もすっかり忘れてしまい、コンビニのコーヒー飲んで、ドトールで紅茶飲んで過ごす。そういうお手軽な、快楽で満たされる自分がいる。
昨年は、入院してもヤクルトもお菓子も絶対食べていなかったのに、もっとストイックにやってたのに、今回から何か自分の中の蛇口がダラっとしちゃってる。コンビニ、エンタメ、マンガ消費。何も考えないフツーのやり方で、インスタントによろこびを享受してる。まるで仕事帰りのOLリカちゃんみたい。

「残りの人生、食べたいものを食べさせてあげたい」って言葉があるけれど、いよいよいよいよ私も死んじゃうのかなって感じる。

2.23
一旦とりあえず一時退院。
東京に住む姉が来てくれた。別にひとりでタクシーで帰ればいいのだけれど、甘えられるうちに甘えちゃおうと、退院の付き添いをお願いしてみた。
にんにくや生姜をチューブでしか買ったことのないきらきら星の姉。
帰って紅茶を淹れてくれたけれど、出涸らしでの味のしないお茶で悲しくなってしまった。
私はこういうケチケチしたものが大きらい。お茶くらい美味しいものが飲みたい。何もジョージ・オーエルの『一杯のおいしい紅茶』通りに淹れて欲しいわけではない。さっきはセイロンティーだったから、次はほうじ茶にしようくらいでいい。
姉よ、これくらいチャチャチャ、サササッとやってほしい。少し先回りして、スープを作ってくれたり、洗濯機回したりしてくれたなら、ちょっとカッコいいのに...なんて、せっかく来てくれたのに、身内だからこそつい、思ってしまう。

私が癌になっても、私の周囲の人の健康意識は一切変わらなかった。
白砂糖じゃなくてはちみつ買ってるから大丈夫と、でもそれは中国産だし、油もサラダ油だし。パッケージに「無添加、健康」と書いてあれば言葉そのまま信じているし。フッ素、甘味料、ソルビトール、ショートニングとマーガリンと書いてある裏面も見ないし。
貧しさとは、お金がないってことじゃなくて、自分のからだをいじめることじゃなかろうか。適当な食事で、推しとか、話題になっている何かとか、お花畑的なもので心を上下させているだけのように、ハタからだと見えてしまう。私もそうだろうけど。

とは言え、本を読め、野菜を摂れ、このYouTubeを観ろ、なんて言われるとウザいだろう。一度でいいから自然食品スーパーという所に行ってみて欲しい。映画『ダークウォーター』観てほしい。

2.24(土)
朝ごはん食べ終わった頃、ピアニストのコンサートに行く前の母が家に寄ってくれた。
一週間ぶりにお風呂にゆっくり浸かる。魚とかぶが食べたくなってスーパーへ行く。大豆、海藻、ビタミン、タンパク質、「今体に足りていない」と感じる栄養素を埋めなくちゃと思い、鱈とわかめ、きのこ類、野菜を買う。
夜ご飯:帆立とかぶのシチュー鍋/玄米ご飯/ニンジンジュース

体が思い通りに動かない。「ヨイショ!」とわざわざ声に出さないと足腰が浮かない。
歩いていると膝がカクッと中折れする。ハンドルを右に切っても、違う方向に体は突き進む感じだ。
健康でいられたとしても、私も老いておばあちゃんになったらいつしかこういう状態に一人ぼっちなっていた。でもそうなる現実をちゃんと想定したことなかった。
「がんばったらいけるっしょ。そうなったらその時はその時さ。きっと誰か助けてくれるでしょ」なんて思ってはいなかったか。街でガラガラのショッピングバッグをひくおばあちゃんを見て「私もがんばったらスーパーくらいひとりで行けるだろう」って、自分にひどい宿題を課していた。がんばれないのだ。ずっと風邪でへたばって動けないような状態が続いて力絞っても何も出なくなっちゃうことがあるのだ。人間って。

友人達が「心配しています」と言ってくれる。
「困ったら車出すから言ってね」と言ってくれる。私も「助けてほしい」と素直に甘えれば、駆けつけて来てくれる友人がいることが鼻高く自慢したい気持ち。彼女は「甘えっぱなしでいいのだよ」なんて言ってくれる。

退院明けはエネルギー低め。0.1って感じ。
パイル地の布団シーツに吸い込まれそう。こういう時は背中に手を当ててくれるだけで十分なんだけど、すでにわがままも言いまくっている。私は彼女たちが困った場合には何かしてあげられるだろうか。
あこがれやモノに翻弄された人生だった
地に足をつけていない人生だった
自分の人生をちゃんと考えていなかった
不甲斐なし、後悔多し、恥の多い人生だった
エンタメやら「これを買えば気分アガる〜」とかそんなんで気分の浮き沈みで買い物ばかりしていた。

私が見てきた美しい世界を並べて、私の人生は間違いではなかった、と思いたいものだよ。


2.28
苦い水に、はちみつを継ぎ足し誤魔化し、希釈して飲んでいるような毎日だ。

2.27(火)
鍼灸師の友人が、はりきゅうに来てくれた。心の底から助かる。今はエネルギーが枯れっ枯れで、誰か誰でも、背中に手をあててくれるだけで十分なんだけど、この友人にはすでにわがまま言いまくっているしこの先お返しができそうもないけれど、素直にことば通りに彼女の善意を受け取ろうと思う。
いや、米粉パンケーキくらい焼こうッ。来る時間に合わせて、かぼちゃとココアの米粉パンケーキ、鈴木愛さんの本に載っていたやつを蒸した。それから冷蔵庫をすっきりさせたく、夕飯も食べて行って欲しいとお願いをして、坂本美雨さんの歌に出てくる麻生要一郎さんの唐揚げ、キムチ鍋も作った。
彼女はラジオを配信していて「人生とは何であるか?」の問いに、「人生とは買い物である」と相方さんが答えていた。私はそれに深く同意する。物に支配された人生だった、私。人生って何なのでしょう?人生とは、友だちにお菓子を準備することである。

2.28(水)私の入院ライフハック
再入院。忘れものしませんように。
人生で10回目の入院をする私の入院ライフハック。こんな時も私ったら物に支配されているが、入院って、サバイバルキャンプに行くようなものだから、こういった準備は何気に意外と大事。

入院であったら便利な物は
⚪︎S字フック
⚪︎無印の歯ブラシ置き
今回でかしたと自分で思ったのは、三島のゆかり(梅入り)ふりかけ
癒しで必要になってくるは
⚪︎有線イヤホン
⚪︎歯磨き粉(病院支給はフッ素入り)
⚪︎触り心地のいいタオル(私は泉州タオルのインナーパイルタイル)
⚪︎何かいい香りのするもの

今回はサンラマリアノッヴェラのポプリを、サシェがないから、靴下に詰めて持参した。病院食「ビタミンとタンパク質足りへん!」となりがちなのでみかん、ゆで卵4つ、納豆、手作り蒸しパンも。ネイルケア道具も必須である。特に化学療法治療の時は、悲しいくらいに爪がボロボロになってくるから、頑丈にするポリッシュがあるとなお良い。メイク道具や充電ケーブル、お薬も忘れないようにしないと、いつも忘れる。観たい映画をWiFiあるうちにダウンロードしておく。要らんっちゃ要らんけど、要るっちゃ要る。

2.29(木)
MRI検査で子どもがギャン泣きしていた。泣いちゃうよ、造影剤とか、あのグイングインって音とか何度も入っている私でも怖い。夕方、会社の社長がドトールまで来てくれた。ほんとに、仕事とか、お金とかどうするんだ、これから私。

2024年3月


手術前

3/2(土)脳外科手術を控えて
手術が失敗する可能性や、その際に大切な神経を傷つけてしまう可能性だってない訳ではない。もし、そうなったらこわい。色々忘れてしまうのはこわい。後悔だって百も千も思い浮かぶし、ちゃんと謝っていない人もいるな。やるべき仕事も、人生のテーマも何ひとつ果たせていないような気もする。

時々「どうして後悔しないように生きてこなかったの?」とか言ってくるような人がいるけれど、まじで何なのだろう。
したり顔で自己啓発、とされた方が楽な人達。もう、カウンセリングとかヒーリングとか、「上から色々言いたいだけじゃん」ってなっているんだよ。

人は後悔しないように生きているわけでも、損しないようただ長生きするために生きている訳でもない。それにしても手術前に終活終わらせておかなきゃだ。自分の葬式想像しながら寝るなんて、それこそ『シックオブマイセルフ』だ。

まるで脳みその方が「こんな私に付き合っていられない」と言って、私の意識から離れたがっているんじゃないかと思うくらい、ここに来てから私が私でいる時間が短くなっています。自分が自分に、全部毎日取り返しのつかないようなことをしているような気がしています。

春のこわいもの/川上未映子著より

一体どういう生き方をすれば正しかったのでしょうか。「もっと失敗して馬鹿げたことをすれば良かった」「もっと節制をして健康的に生きれば良かった」とよく聞きますが。正しい行いをして、自分の正義を貫く、何も考えずただ愉しむ。人生のテーマの言語化なんて、生きているうちにできるはずがない。

3/3(日)明後日は、手術
点滴が、痛い。
何も言わずにブシュッって刺され、思い切り苦痛の表情で体現する。ただの病人の愚痴なんですけど、
私「ウゥッ!やる時は“3、2、1”って言って欲しかったヨ......」と泣きべそ、これまた血管痛。
新人看護師さんもぐすんぐすんと泣きそうになり
「一旦抜きますね」で抜いたり刺したり。
看護師さん自ら「フツウの人連れてきますね」と言って、先輩看護師さんを呼んでやって来る。フツウとは……?
私はつい、世代的に「アサクラ〜」「センパ〜イ」by『ナースのお仕事』のやり取りを思い浮かべる。
ベテランらしき先輩に、私「3度目の正直でお願いします……!」とお願いすると、先輩「私自身は(アナタに)打つの初めてなんですけどねー」と言われる。
「湯たんぽで腕あっためといたら良かったね」と言って、先輩ずっと「ごめんね」連発しながら、3連続また失敗。私の血管は細過ぎてさらに細い針をさすもんだから難しいらしい。
痛い。私は自宅から持ってきたタオルを噛んで耐える。それでもまた失敗。午前中に終わる筈だったのに、夕方過ぎ7回目でやっと成功。点滴中も痛みがないよう、ゆっくり時間をかけて点滴を入れてもらう。夜にまたやる。そういえば昔入院していた父は、こういった一連の辛さを経て、「今日も看護師の注射が下手で10回も打たれた」とグチっていたなと思う。

つい病院食の写真をSNSにアップしちゃう。私も健康だったら「こんな写真見せられても......」って思ってたかもしれない。「コッチの気分がサガるわ(アンフォロー)」って。冷たい熱帯魚。
昔は、父が毎日のように入院食を報告してきたり、入院のたび祖母の財布がゆるくなって“要らない”病院グッズを買い足していた意味が分からなかったけど、今ならわかる。「それしか楽しみがないんや」ということ。寂しいから、つい。

病院食もコーヒーもコンビニもヨーグルトもテレビや雑誌も、お手軽便利に摂取できる娯楽、至福のひととき。「それさえ揃えとけば売れるんや」って感じの病院コンビニの品揃え。
私も今や、おばあちゃん達と何ら変わらない。コンビニのコーヒーとドトールとエンタメ過剰消費がikigaiだ。健康だった時だって、目の前の毎日の辛さを紛らわしたい。気分が「アガる何か」をポチポチして、そうやってごまかしごまかししてきたんだと思う。『ゴールデン・カムイ』は全然読み終わらない。

私はがん宣告を受け、それがもう完治不能と聞いた瞬間に「逃げなくちゃ! あらゆる苦しみから逃げなくちゃ!」と正直思った。それが私にとっての緩和ケアなのかもしれない。しかし、こう思ったのと同時に、あらゆる苦しみから逃げるのは不可能である、ということも分かっていたように思う。

無人島のふたり/山本文緒著より

「たくましく生きなさいよ」と他者から強要されるのってしんどいし。

ドトールでかぼちゃのタルトとダージリンティーを注文。今まで頭では避けてきたメニューだ。でも「最後には好きなもの食べさせてあげたくてェ」というよくある台詞が、私の肩をトントン叩く。ええやん?もう、と。
それでも労働していないのにカフェに行くことに罪悪感を感じている。変でしょう。私は、家族や周りの人がお茶を出涸らしで淹れたりする部分を見るのが何だか悲しくなってしまって、すごくイヤなんだけど、それって自分の中の、豊かではない現実、貧乏性の部分を見るのが最もイヤだということなんだろう。その感情に名前をつけてつけ込んでくる人はもっときらい。

夕飯食べたら三日に一度の病院のシャワーの日。映画『ムーンライト・ライトシャドウ』を観たばかりなので、外に漏れないようにマイク・オールドフィールドの『ムーンライト・ライトシャドウ』を小声で歌う。

The last that ever she saw him
Carried away by a moonlight shadow
He passed on, worried and warning
Carried away by a moonlight shadow

「映画のエンディングで、かかるだろう」と思ったらかからず、でもインスパイアされていない訳はないマイク・オールドフィールドの曲。
(坂本慎太郎が声をやっていた映画『音楽』にも出てくる鉄パイプぐにゃ!のジャケットのやつ)
私は嶺川貴子さんの歌声で覚えていたこの曲。それから原作を読み原曲を聴いた順。
シャドウ(シャドウ)は二重で輪唱に歌い、「キャリだウェイ〜(低)♪」と妙に深刻になる所が好きだ。自分の中に「お守りになる曲」があるのというのはいいことだ。
〈ツラい時に救ってくれた曲〉プレイリストを作る。なんて、普遍的でいいテーマ。って音楽はすべて、〈ツラい時に救ってくれるもの〉だけど。『渡辺志保さんのヒップホップ茶話会』というポッドキャスト番組でも「ヒップホップを聴いているからといって、ワルやアウトローに惹かれている訳でもない。そこから滲み出る人間性や、人の生々しさに惹かれる。そういう最もパーソナルな部分が最も琴線に触れる」と言っていた。
プレイリスト作りはエモーショナルな素直さが大切。なんか知らんがすんごい好き、というストーリーが聞けたら、よく知らない方のプレイリストでも聴いてみたいと思う。

3.4(月)
忙しい中、会社の外注契約をしているKさんが「景気づけに」とドトールに来てくれた。Kさん、バセドゥ病なんだという。

結局、 AちゃんとBちゃんは手術前までに来ると言って来てくれなかった。「困った時はいつでも言ってね!何でも買って持っていくよ」と言ってくれていたのに。
Aちゃんからは、夜になって「体調が悪かった」と連絡が来た。仕方ないことだけど意外と案外ショックだった。こう感じるのは以前から彼女たちが、遅刻、ドタキャン、リスケを繰り返していたから。「だって自分の気持ちが乗らないと行っちゃダメ、それこそ愛がないもんネ」(だからイイでしょ)が透けて見えるから。
結局自分の気持ちだけを優先させて、人をナメている。そんなことをしてお客さんからの信頼が落ちないのだろうか。
誰も本音を言わないから、皆どこか逃げ続ける必要が出てきてしまう。ほんと私も、他人のシンパシーとエンパシーを測っちゃいけない。こういうのこそ重い、ごめん。

みんながSNS使い出して3日くらいで分かることを、私20年かけて分かった気がする。省略化された言に瞬発湯沸かし機的な賞賛が集まって、自分もその渦にいなくちゃって思わされて。自分の軽薄さに俄然とする。何もかもがつまらなくなる。
皆〈やさしい人〉のふりをしたいだけなんじゃないか。恨まれたくないし、やさしい人間でありたいし、そう見られたいし。その茶番に付き合わされているような。親切にしてもらっているのに、そんな風になるのは、やっぱり、おかしいな、私。

残された家族のため、夜中までにiPhone パスコードと、メモ帳に遺言を書いておく。ああ、小籠包が食べたいと『琥珀色の町、上海蟹の朝』を聴く。病院支給のパジャマ(CSセット)を着るたびに、JR西日本のキャラクター、イコちゃんのコトを思い出す。

3.5(火)
本日、脳外科手術。
今日と明日で脳が入れ替わっているなんて羊たちの沈黙もびっくりだ。脳のフタを開けて、ちょこちょこやって。脳は同じようなこと考えるのか、ちょっとだけ変わったりするのか、はたまた目が覚めた時に違う月の下にいるのか。自分でもわからない。
だからこうやって今しか思わないことを書いている。手術まで『風の谷のナウシカ』嶺川貴子ver. を聴く。

手術台まで徒歩で歩かされる。無機質な扉、心の中で『ヤーヤーヤー』歌うつもりが『古畑』のテーマを歌ってた。手術は昼12時から16時に終わる予定が、起きたら21時で、ICUに移されていた。ぼんやりちゃんと意識あり、縄文から令和まで確かめるために言う。電球の数を数える。

3.6
午前からCT問題なし。
昼に個室病棟に戻れる。昨日から来ていた母は田舎へ帰る。久しぶりに飲める、水がうめえ。ボタン式で注射される頭痛薬にびっくりする。再度CT、陽気なMRI(子ども用)に通される。尿管繋がれていて看護師さんに「おしっこし放題ってこと?」とばかな質問をする。若い男性看護師が「大丈夫ですか」とか「ごめんね」とかもなく点滴の詰まりを直し、自分の業務内容の話ばかりする。「ファイル戻しておきますね」的なこと。
ヘロヘロなこんな時でも『ゴールデンカムイ』手に取った自分に呆れる。どうでもいい思考がムクムク増える。

手術後

3.5(火)
手術終わりに母がいて、左手を伸ばしたのに、「バイ菌が……」と言って、手も握らず帰って行った。ひどくないですか。私がこんなんまるで『毎日ごまかすしかないモード』じゃないかと絶望してても、淡々としている。泣いたり嘆いたりもしない。「そうよ、そうやって生きていくしかないのよ」と諦め知っている人。父がいるのに、父はいない。それも私が選んだ家族だ。この先どうやって生きたくないかは思いつく。テレビ見てごまかして死ぬまで生きるのはいや。家賃税金不安感に苛まれて、死んだ魚の目で生きるのもいや。だからって、どうやって生きたいのなんて愚問。ごまかせ!ごまかせ!今はごまかせ!

3.6
現世、復活。
断飲食明けの病院食はとんかつ。生まれ変わった脳に池間由布子さんの歌『とんかつ』が流れた。
脳みそはパッチワーク状態。頭がぷちぷちと言うハジメテの感覚。ついさっきまで頭は血だらけだったのに、ベッドから起き上がれるしコンビニに行きたがっている。傷口をぎゅうと押していくと熟した水の音がする。頭にカチューシャ付いたような感覚のまま洗髪。ドライヤーが頭の中までスースー入ってくる。しゃがんでから起き上がるのがこんなにも大変なのか。病気にならないと知らないことばかり。こんなの経験できないからねぇ。

3.7(木)
病棟の患者さんには色々な人がいる。
サプリや漢方をわんさか持ち込んだり、朝6時半には集まってラジオ体操。対岸は煙草隠し持って怒られている。ある女性はウィダーインゼリーをチューチュー吸いながらパソコン持ち込んで仕事している。休めばいいのに…。
今いるのは脳神経外科で、何処からかともなく奇声が聞こえて来る。私もストレスから自分の音を確かめる気持ちで「あー」と声が出た。
『正欲』『市子』『怪物』を観る。

3.8(金)
脳が甘えん坊に幼児化しているような気がしています。 NHKドラマ『作りたい女と食べたい女』、『ユーミンストーリーズ』を一気見する。
きっとノーダメージであろう、無害そうなドラマや映画。でも無害コンテンツは、羊の皮を剥がせばただの資本主義の塊だってこと。だからなのか、あからさまなギラギラコンテンツに癒される時もある。クドカンのドラマもエネルギー高いわ…と思っていたら「いつか終わるドラマも人生も、だからそのギリギリ手前まで取っちらかってていいんじゃないかね!」なんて言う。時々いいこと言う。

人生の残り時間のSNS。ゲームみたいなものだと遊んではきたけれど、ゲームと言うにはあまりにも時間をかけてやっている。人気者でも何でもないが、嫌いでもないし寧ろ好きだから、これからどうやって遊んでいこう。
生きている時間は限られているし、無駄なく生きたいし、合理的に有益な情報を得たい。但し情報はタダで消費されるから、気をつけないと。承認欲求のいやらしさが、未だ私には渦巻いていて。感情をいちいち言語化しようとして、それ私やらなくてよいことだったように思う。そもそも「感動」したくてやってるやんな。
写真。恥ずかしげもなくジャージャー垂れ流す。ちょっとは何か、いいことあるのだろうか。世は、残さない文化だけど生きること(恥ずかしいこと)をやっていこうと思う。

『一流シェフのファミリーレストラン』(原題The Bear)は熊に襲われそうになるシーンからはじまる。『ゴールデンカムイ』読んでるせいもあるけど、また熊。YouTubeでは林真理子と成田悠輔が「今度、熊食べに行きましょう」と言っている。なんだこのBear Dayは。因みにもうすぐ3月23日は実際にBear Dayらしい。その夜、熊皮の獣匂に包まれレヴェナント状態で眠る悪夢を見た。

私が料理に興味が湧いて自炊し始めたのはここ1、2年の話。だから料理の基本のきを知らず、実用書を買った。実用書より小林カツ代さんの文に魅了された。イケてる料理家達をフォローした。私は、超超超軽薄で超超超超恥ずかしい。でもやっぱり、そもそも料理への関心が薄いのだろう。読めない。それでもまぁ、いっかって思える、思いたい。
demo、せっかく日本に住みながら料理が好きじゃないって、生きることそのものに関心がないに等しいように思える。

3.9(土)
土日は病院が休み。
ドトールでコーヒーを飲んでいたら、お友だちが「あれ?おるやん」ってなる奇跡、すご。ノーアポでお見舞いに来てくれた。相手は飄々と「何となく会えるような気がした」と。こんな私によく付き合ってくれているよ。頭に張り付いたホッチキス網を、かさぶた撫でるようにずっと撫でる。ハンドクリームひとつ買うのに30分も迷う。

3.10(日)
随分エンタメにご執心してきたけれど、エンタメが私の人生にもたらしたものって何なんだろう。人生の限られた時間をまざまざと感じながら、話題の映画を観ておかなきゃってなるのもおかしい。見逃している面白いものはないか、今のうちに観ておかなきゃ。鉄は熱いうちに逃したくない。感動カタルシスものを若干ばかにしながら、私だけの好きと嫌いを箱に入れて、心が豊かにした気になって。心は豊かだったのって自問する。それでほんとにたのしかった? 私の問題は、時間とお金のケチさにあるのではないか。

皆がイイと言うものにハマれなかったり、その逆もしかりだけど、それって自分が思い込んでいる自分好みより、体調や気分より、一時的なエネルギーレベルによる。エネルギーは、血や氣の流れによるものだから、受け取れる熱量(エンタメ)も変化する。だからほんと好き嫌いの話って意味ない。

友人が勧めてくれた『葬送のフリーレン』は一話目で断念。アニメや漫画は想像するだけで制作にかけられる熱量が凄すぎて、辛くなってきてしまう。だけど『ゴールデンカムイ』は読んでいる。血みどろ描写も多いけど生のために生きる人たちだから読めるのかもしれん。

U-NEXT、Netflix、Disney+、Audible、Spotify、Appleミュージック、ラジオ、kindle、YouTube、Tver、漫画アプリ 、stand.fmで聴いている一般の方の番組だってある。好きなことなので断捨離する気もないが、いつも囚われの身で「宿題」に焦ってアホかと思う。生きているうち、感じなければいけないことはあっても、どうしても絶対に観ておかないといけないものは、本当のところ砂のごく一部だ。集中力が続かないのは今に始まった症状ではない。明らかに自分が受け取れる量以上のものを「摂ろう摂ろう」とし過ぎだ。

3.11(月)
病棟の最上階まで上がると、陽の当たるひとりになれるスポットを見つけた。子どもの頃に観た『病院へいこう』ってもっと不良じゃなかったっけと記憶してて、外出届出して映画でも『瞳をとじて』ビクトル・エリセを行こうとしたけど、理学療法で歩いただけで体はへとへとに疲れ果ててしまった。一週間体を動かさないだけで、筋肉はシナチク並に衰えてしまった。三宅唱監督が好きなので『夜明けのすべて』も観に行きたいけど、これも行けなさそうなのでAudibleで原作を聴いた。

ずっと自分が思っていることを言語化したかった。文章を書くべくして書いている人、絵を描くべくして描いている人じゃなくても。自分がほんとうに、何をどう感じているかに注目していけば、ちゃんと「生きている」感じがした。
しかししかし。
観阿弥に「されば人、一日一夜を経(ふ)るにだに、八億四千の思いあり」(意味:人々は一日に八億八千の念慮を為す )という言葉がある。何とか言語化ですっきりしようとしても解像度は落ちるばかりだし、私がやるとブロックゲームみたいになるし、やっぱり書くってむずかしい。結局私は自分に対する言葉しか言えないけれど、それでもやるんだよ。

私は極めて軽薄だ。
絵や読書も、好きだと思い込んでいたけど、言うほど研究熱心でもない。ただ、プリテンダーしてたんじゃ。ただ、バカにはなりたくなかったんじゃとさえ。てっきりいつかできるようになれる気で(えー、40年間も?でもドーパミンは出るからさぁ)。談話室で絵を描いた。
「絵、お好きなんですか?」
「いえ、それを確かめているんです」
文房具が好きだっただけではないか。

ついにわかったが、遅! 絵も文章もインスタントなことしかできなかったのに、褒められもしなかったのに、自分で作ったものはやっぱり愛していて、諦めわるく、社会的な生存戦略のために「好きだ」と暗示をかけていた。好き風じゃなくて、好きなことをやるのが人生だろう。それは私が命をかけて、やる仕事ではなかった。

じゃ、結婚もせずその日暮らしで、アナタは人生において何がしたかったの?って言うと、
「自分にしか想わないことを想いたかった」に尽きる。自分にしか感じないことを感じたい。
(これ相対的に、あなたの考えていることは奇抜だとかフツーじゃ、とかいう話ではない)。つまらない人生かもしれないけれど、それをしたかった。

恥ずかしくて軽薄でいいのだ。
だから死んだあとで後悔しそうなこと、恥ずかしいこと、生きることしていこうと思った。血が通って、自分の呼吸がスーーーッと通るようなこと。

3.12(火)
朝から頭のホッチキスが取れた。あまりの激痛に泣く。あと少しで読み終えそうだったのに、指が滑って漫画アプリを間違えて削除してしまった。せっかく溜まったポイントが...と思ったが、思いの外、気持ちがすっきりした。
明後日から放射線治療がはじまる。今はその中休みって感じ。問題が起きてから、その場凌ぐように即席で対応してきた人生は、今に始まったことではなかった。ああ、こんなにも地に足が付いていない。だから足元すくわれたのかも。

綿谷りささんの『パッキパキ北京』を読んだ。自分とは全然違うタイプのキャラクターが主人公だけど、綿谷さん、最高におもしろい。北京に行きたいと思ったことがないからこその中国旅気分。
“「赤って200色あるねん」と言われれば「いや体感だともっと種類ある気がする」と答えたくなるほど中国には赤の種類が多い。”
綿谷さんは『 老は害で若も輩(『嫌いなら呼ぶなよ』収録)』も好き。夜はケリー・ライカートの『ショーイング・アップ』を観た。

実を言うと、転移が発覚した頃、私は
ゆるふわ養生ばかりに正直げんなりしていた。
ホリスティックな養生園、スクール、リトリート、本、健康雑誌、不調な時は⚪︎⚪︎をしたら良いですよーっていう全てがテキトーな口ぶりで、ウソで、バズって、自己実現、嘘つけ、嘘つけ、嘘つけ、となっていた。
何ひとつ効かなかった。
何ひとつ意味がなかった。
アナタの人生を変えますと謳う自己実現に付き合わされてしまった。この体じゃ追いつかない…。
書いてあることは一理あるにしても、私にとっては気休めでしかなくて、「健康組のお戯れか!」ってなってた。
不調改善、自分を整えるとか、それでそれで?
全然良くならないんですけどっ。

「これで不調がなくなる」とかいい加減なこと、
よく言えるよ(クサクサクサ)
そしてクサクサしながら漢方茶を調べる(イミない、イミない)

元来、私には西洋医療を鵜呑みにするのはよくないという信仰があった。そうした自分の考えを持つことで「大丈夫」だと思えている節さえあった。しかしその健康神話が崩れた時、今度は心の中で人々を「嘘つきヤロー」呼ばわりした。自分は分かっています感で、いとも簡単に、自分vs他者モードに陥ってしまった。

努力が台無しだとか言うけれど、実際私の勉強は足りてないし、軽薄だ。でもこれまで体にいいこと、自分の心を認識すること、何が私にとって有効だっただろうか。
もちろん行き過ぎた被害妄想だけど、
「お前はそんなだから病気になるんだ」「考えも行動も足りないんだよ」「何も考えず軽薄に生きてきたのがわるい」と言われているような気もしていた。いつもどこか誰かに揶揄されている気がしているって、おい。絶望。誰にも本音を話せないって。

一体何がわるかったか。
なんで私、再発しちゃったか。
血管が細く、虚弱で、気血で、低血圧だからか、腸が弱いからか。心臓の力がもっと強ければ。姿勢、歩き方、食べるもの、食べ方(30回噛んでいない!)、食べすぎ、食べる順番か。世の中的に「正しいこと」をしても、自分にとっては「いじめ」じゃなかったか。
牛肉は10年食べていないけれど、脾虚な私は牛肉を食べた方がよかったのか。呼吸の仕方、心の持ち方か。ジムにも通ったけど運動不足か。私の体質には半身浴は合わなかったし、体温もどうやったって安定しない。何が私の体にハマらなかったか。コーヒー、生姜、玄米。人の呼吸を笑うな!

体も不調もそれぞれなのに同じことしてゴールを目指してさ。何をやっても癌になる時はなる、死ぬ時は死ぬ。もう我慢しながら生きるのはやめよう、好きなもの食べて死のう、っていうベタな展開に。

それでも今でも「ととのう暮らし」系の本とかに飛びついてしまう。「体を好循環に変えるチャンスは貴方の中にあるのデス」とか言われると「そうかも!」と信じたい。
信じてたのに裏切られたーとか感じても、自己責任論でパァンとつき放たれたと感じても、自分がアホでしたと、でもそれもやりたかったんですと、ひとりで、人生の一部のこととして、納得してくしかない。

そりゃそうか。本は希望であり、でも結局は「知らんけど」だ。
医者だって、ゆるふわ養生家だって網羅できるわけないよ。私だけにオーダーメイドされた、私のためのスッペシャルな養生法、治療法、健康によりよく生きられる答えなど、そんなもの。
医者や、誰か他者が示してくれる、全人間同方向で良くなるものなど。全情報が、自分にとっての「真実」じゃない。それっ、自分で知るしかないじゃん。誰を頼りにも、だーれのせいにもできないじゃん。そもそもそれ当たり前じゃん。むっちゃ当たり前。

こんな調子だから、周囲の人と人の間にあらゆる齟齬が起こった。私が入院していて、相手は社会生活を送っている。相手がこちらが期待しているようなことをしてくれなかった、思ったような言葉をかけてもらえなかったって、よくある話。
(「ペットボトル暖かいお茶が良かったんだけどな…」ってレベルの病人のわがままも含め)

SNSに流れてきた、「がっかりしたという言葉はぜんぶお前が私の思い通りに動いてくれなくてムカつくという意味なので完全無視でいい」だって、ナゾの名言風にスマホの中で傷つきながら、暇だからいちいち反応しているのだろう。私だって体は健康でも、心が不健康な時、きっとやさしくなかったかもしれん。人間は何を感じてもいい、というやさしさが。

SNSは「感心領域」の情報しか入って来ないとはいえ、丁度のイイ時に丁度イイ温度の情報も入ってこないもの。やな気持ちになるのも、傷つくのも、笑うのも、いい気持ちも、人間として楽しんでるんだろう。言葉の齟齬も日常のゲーム。日常の極端に色の濃い部分だけが見えやすく、そこだけを見ている。
ショート動画がボディにインストールされてる証かもしれない、この感じ。人生でムダな時間を過ごしたくないというのは当然なことだけど、短い時間で、有益な情報を得たくて、その情報は「真実」だと信じたくて、根底にはただ「得」したい気持ちがあったからかもしれない。私ってほんと打算的ダネ。

関わってこようともしない“友だち”にも傷ついていた。だけど「傷つく傷つく」と嘆いているように思われたくない。同情乞いて被害者面で、そんな風に見られるのだけはいかん。こんなでも近くに居てくれる方もいて、優しい人たちもいて、それでもクサれば「もう知らんよ、勝手にやってください」って話だろうし。きっと「ステロイドで顔パンパーン」とか笑って写真を送れる友だちがいないと、こういう一人壁打ちみたいな現象が起こる。

私にもし付き添ってくれる家族がいたらどうなっていただろう。憩いの談話室で他の患者さんの電話の声が耳に入ってくる。
「屁ぇ出てしゃあないわ」
時に軽口が過ぎたり、口が少し悪くなったり、相手も「何でこんなやらなきゃいけないんだ」とか
「私だって休みたいよ」ともなるだろう。
辛くてなんだか世界から淘汰されたような気分で、神さまに「お役御免、次の方〜」と言われたようで、明日死ぬかもしれなくて、ウジウジいじけてしまう。もう諦めるしかない、仕方ない。それは達観のようでそうではない。
それでも病人には、誰かがきっと心配してくれている、誰かは大切に思ってくれている筈という感覚が「嘘でもいいから」必要だ。もう「嘘でいいって」言っちゃってるけど、私も。

知人からバカ高い病院のリンクが送られてきた。
「抗がん剤治療充分頑張った、もう辞めなよ」
「もう病院側のペースに乗っちゃったねぇ」
こう書くとそれを言った人や西洋医療が悪いみたいだけど、そうじゃない。私の親も病院から出される薬も何も考えず、冷凍食品もベーコンもバカすか食べちゃうタイプ。調べず疑わず、これなら安心と思うものが一致したことがない。兎に角、今は今をやり過ごすしかない。誰に何を言われようとも「そうするしかないねん」を私は選んでいる。

結局は私がどう感じるかってところ。
枇杷の葉こんにゃく湿布、直傳靈氣、鍼灸、温熱療法etc。「こんなんで癌が治るわけなんかないんですよ」って思いながらも、やる。これは「そう思ったらそうなりますよ」って信仰なんだけど。そう思うもんは思うんだもん。でもま、やってみるか、くらいで。
「この動作を無意識にやってはいけない」っていうのは、ほんとうだと思う。


私は軽薄に、美大行った。
軽薄に大風呂敷を広げて仕事して「こいつ使えないな」とはすぐバレた。私は軽薄だが、そもそも社会がそんな風にできていた。「皆さーん、正しくてイケてるコッチへ憧れなさいよー」って。
今の世の中「凄そうな人」が多すぎる。私も鵜呑みにして大風呂敷を広げないと社会的に生き抜いていけないと思い込んだ。気づいた頃には嫉妬でボロボロ、もうちょっと社会に怒って良かったんじゃないかと思う。こんな絶望を重ねてたら、ソリャこの世に居られなくもなるだろう。
私には、そこ「のんしゃらりー」とやる賢さはなかったのだ。ちゃんと考えてこなかった私もわるいけど、結局ぜんぶ、ばかがわるいのだという自己責任だ。

それで一体人生において何をしてきたの?!ってハナシ。何でそこ突き詰めなかったのってハナシ。自分の人生でほんとうに楽しいことやってきましたか。どう、納得して、命を使ったの。
納得は、した。でもそれで、私は世界にとってなにかいいことを一ミリでもしただろうか。今日一日人を楽しませただろうか。ユーモアが言えた? 何ひとつ、やってないんじゃない。

私がいまがやるべきことは、ひとつ。運動。
何をやっても巡りのわるい体を通常運転させること。そんで誰にも理解されない好きなことをやれや。
退院。

地に足つかない綱渡り人生を選んだのは私
そのくせ頭わるいんじゃお前はって責めて
バレないように格好だけつけて
身の丈合わないものを求めた
一目を置かれていないと 満たされていないと 
豊かでないと 素敵でないと 社会的に
まともと思われたい?変だと思われたい?
ほんで誰からも好かれなかったよね
人との関係性が結べず築けず、自分のことを問題児扱いしてたらさ。最後はもうだめ、私死ねって、私絶望していたんじゃん。ソリャ、絶望的な展開が訪れるよ。
そんな毎日そりゃしんどいわ
楽しくないわごめん
ほんとうにごめんなさい

3.13(水)
CTとMRIと放射線治療の為のお面作り。階段一階ぶん上がるのもやっと。
今日はずっと謝りたかった人に謝罪メールを送った。私のエゴなのでしょう、返信はなし。私は人間関係に問題がある。とんでもなく、気持ち悪いことに気がついたが、私、リアルでの人との関係をちゃんと築けず、交換をせず、大切な人々との関係を壊しながら、SNSに20年空虚に費やした。そしてSNSやればやるほど、さみしくなっていたのだと思う。私はあまりに自分本位でメンタリー。タチが悪いと思う。本の中でギャルの主人公は「今世の中鬱病とか自殺とか過労死とか多いじゃないですか。でもこんな華やかな時代に生まれて楽しめないのは、個人の責任です。バカですよバカ」と言い放つ。これくらい人生において「精神的勝利」を掴みたいもんだ。入院生活に、この真逆のエネルギーに触れられたのは本当に良かった。

心臓にノックする。
大丈夫ですか? ちゃんと息を吐けていますか?
骨の縫い目を指でヨチヨチたどる。
血は滞ってはいませんか?
ごはんを食べる時、息が詰まっている。注意、注意。お前は自分の顔しか見ていない。そんな風に雑に扱ったら、体を守ってくれている風も通り抜けていくってもんだ。べとべと体を触っていればいいってものじゃない。
免疫細胞よ、白血球よ、まともに動いて
癌腫瘍よ、すり抜けないで
体のことだけ考えて
体と心のご機嫌、血の巡り
残りの命、何に力を費したら納得できるだろ
私のことをいやな気持ちにさせた人のことは心から追い出せ。私の人生にとって、自分の命にとって、必要なことでした?
ぜーんぜんだった。

仕事はやらなくてはいけないことだ。
楽しくないことだって、やらなくていいことじゃなくて、ならなくていい気持ちにだけはなるなってことなんだ。
太陽、葉っぱ、おいしいご飯、
命、命、生きている
もう「楽しい」とか「楽しくない」とかでもない
体が「伸びる」か「伸びないか」とか
血が「巡っているか」か「どうか」だね
自分の体を運営していかないと。

3.14(木)
今日は何もやることがない。
アマーロ・フレイタスというブラジルのJAZZピアニストにはまる。まず『Mantra』という曲におや、と思った。Sankofaは、都市的な雰囲気と原始的な要素が混ざり合いとても色鮮やか。Y’Yは、アマゾン熱帯雨林瞑想やたらスピリチャル。そしてどことなく変人感が漂う...ココがもう、どうしようもなく好き。

アルバムを通してひとりのアーティストの曲を何度も聴く。最近こんな風に音楽を聞いていなかった。映画でも読書でもお菓子選びでも、自分の中の「良さそう!」という勘に忠実であれば何だって素敵、ってこともないし、こうぴったり周波数が合うような経験もなかなか無い。だから格別、うれしい。これも入院生活の為せる技なら、普段どれだけアセアセ、バタバタと「消費」しているんだろ。

アマーロを聴きながら、病棟13階からパラシュート作戦で9000歩歩く。人が居なくなったのを見計らいスペースでヨガをする。体がいちばん伸びるところを探す。それからアマーロも影響を受けたというチック・コリア。ゲイリー・バートン&チック・コリアの不穏な『チルドレンソングNo.6』カッコいい。

私の理想的な病院を夢想する。
各病棟に、ストレッチができるようなマットが敷いてある。歯医者がある。マッサージ屋がある。ネイルケアとか肌ケアとかしてくれる場所がある。コールドプレスジュース屋がある。コンビニは健康食品が揃っている。ファストケミカルスープ屋がある。見渡せば、お医者さんも看護師さんもカップ麺、コンビニ弁当しか選択肢がなくひどい食生活をしている。医療現場は窓もなく、陽の光も浴びれず乾燥していて、働くにも相当大変な環境だ。あと、お花!コロナとか花粉とじゃの問題でお花の持ち込みが禁止なのだが、ほんのひとつの花瓶でいいから、生花が飾ってあったらいいのにな。

3.15(金)
初めての放射線治療。
待合室のギリギリまでオスカー・ピターソン・トリオの『Easy Does It』を聴く。治療中も脳内に流れる。
「大丈夫じゃないけど、大丈夫。気楽じゃないけど、気楽に行こうぜ」とピアノが歌う。放射線の機械はディズニーのウォーリーみたいな見た目なので、寝転び固定されながら私は「ドントウォーリー」と名付けた。頼むよ。
治療後、田舎から誕生日の母が来てくれていて、待合室で30分ほどおしゃべり。家にある納豆と豆腐ゆで卵とみかんを持ってきてくれた。

天気が良くて風も暖かい。
理学療法を終えて、本日のご褒美、モンブランを食べる。なんじゃ、この砂糖の塊、小麦粉が為す芸術は。世の中にはケーキを食べても何ともない大丈夫な人と大丈夫じゃない人がいる。私はダメなんだろうけど目を閉じて味わった。「この世の歓び!この世の悦び!」もう二度と食べないゾ(きっとまた食べてしまうだろう)。こんなことして、せっかく母が持ってきてくれた納豆と豆腐とみかんが台無しになるだろうか。もうそういうことではないのよね。

『レナードの朝』を書いた医師オリヴァー・サックスの『妻を帽子とまちがえた男』をAudibleで聴いた。「我々、健康な者は心のどこかに騙されたい気持ちがあるために、見事に騙されてしまったのである。人間は騙そうと欲するがゆえに騙される」
「自分を失ったら、失った自分に気づけない」
いま脳神経外科に入院しているから興味深く聴けた。

『調理場という戦場』も読んだ。フレンチシェフは「権威ある料理人になるよりも、透明人間みたいになりたい」と語る。クリエイターとして透明でいる、そもそも人に喜ばれたいだけ、相手にされない時は目の前の花を大切にしてあげたいって考えられるものでしょう?....ってところ、なんて私忘れがちなんだろ。

3.16(土)
昨夜金縛りにあってよく眠れなかった。急に歩き過ぎたのだ。翌日になって、川上未映子さんの『深く、しっかり息をして』の、金縛りによって得られる快感テクニックを読んで、惜しい気になってしまった。まるでお喋りのようなエッセイ。ハイブランドのお洋服を買ったり、着物にはまることも私はないけれど、誰かが熱を上げて少しタガの外れた話をしてくれると、硬くなっていた思い込みがふわっとゆるめられる。「きれいにしていてね、病気でもメイク道具を買ったりお洋服を買っていいんだよ」と。
だるいので日中だらだらベッドで過ごす。

3.17(日)
眠剤を飲んだら、信じられないくらいぐっすり眠れた。顔を洗い30分かけて歯磨きをして靴下を洗い、院内ファミマの無印ホホバオイルに助けられている。『Down Dog』というヨガアプリをダウンロードする。こういうアプリ真面目に出来た試しがないけど、入れてみたら自分の範疇にはない動きをたっぷり教えてもらえた。何を今更だけど、ヨガってほんと体にいいな。

筋肉は動かさないとすぐ鈍るとは言うけれど、老年期に限った話ではなく、手術明け一週間動いてないだけで階段を一段も上がれなくなってしまった。今日はなんと階段を13階ぶん上がれた。そんなことが「驚くこと」になるなんて。なるんだね。

歩きながら『イラク水滸伝』(高野 秀行 著)をAudibleで聴いた。巨人を探す奇人先生、湿地帯の船造り、マーシュアラブ布の魅力。めちゃめちゃ面白い。イラクの人は船造りも刺繍も思いつくまま無計画に、高野さんは慎重に理論立てて冒険をする。水滸伝のことは知らないし、梁山泊も居酒屋の名前だと思っていたけれど、ハックルベリーフィン的な水辺ロマンにグッとする。

そういえば、病気が発覚した時に「この町はいつでもウェルカム」という葉書を貰ってしばらくモヤモヤとした。どうして町へ訪れたり、住むことに、その人の許可がいるのだろう。と、捉えてしまった。かつてその人達との関係から「もうこの町に居られない」と半ば追い出されたように感じながら引っ越をした。こちらの行き過ぎた思い込みであったとしても、少なくとも、私はそう感じた。だから相手は私を思って言ってくれたかもしれない言葉も、どこまで上から目線でご都合主義なんだろうと不信に思った。まぁ、何を今さら、それが社会のサイクルだよ、憧れ売るビジネスだよって話なんだろうけど。自分の人生に最も負担をかけた人のことを、どうしてこれからも愛することができようか。たとえ私が問題であったとしても、味方も友だちも失ってたったひとりでも。ふざけるな、やってられないって違和感は、口にして自分を守っていかなければいけなかったよ、ホント。やな気持ちにさせられたのだから。
これ、誰かがわるいとかではなく。私の中に不信や軽蔑、アンビバレンツな感情があって、だから体を病んだって話。自分と向き合うにしても、自分に矢印が向きすぎると人は病む。だから、もういい加減、自分の人生に負担をかけた人のことは心から追い出して、人のことを考えたりするのはやめようって話で。人は何処に住んでもいい、どこに行っても、何を思ってもいいのだ。
マッタク、いいことを言っている風の言葉は、巷に溢れているけれど、結局のところ人生をかけて、自分が納得できる言葉を自分の中から見つけるしかない。そんなことより、からだを伸ばしたりしていよう。

3.18(月)
いい気持ちでいられますように。
安心して眠れますように。
未だマスクの裏表がわからない。カメラどうやったって、黄色からピンクに溶ける朝の淡い色合いをそのままに収められたことがない。生きている一瞬一瞬、吸い込んでいよう。
「枝、石ころ、手の中の棘、つま先の傷...」人生の悲哀は『三月の水』に収められている。早く外に出て、歩いたりしたい。2回目の放射線治療。お友だちが教えてくれたアオとゲンの『クマと恐竜』、今日はこれで乗りきれそう。

3.19(火)
今日は3回目の放射線治療。頼むよ、ドントウォーリー。午後に婦人科の検診とCT。血液検査を見ても、CT結果を見ても、ざっと見た感じ何も問題ないらしい。それなのにって話だから、もう。
今日はじめて2月からの日記を読み返した。文章があまりに雑でひどい。でも「言っておかなきゃ残しておかなきゃ」で、えいってパブリッシュしちゃってた。悪足掻きして、撒き散らしたりして、ほんとすみません。でもずっとコレ、やってることなんだな。
ああ、帰ったら、4:6メソッドでコーヒー淹れてみよう。せいろで赤飯炊いてみよう。だる消しスープも作ってみよう。

3.20(水)
春分、退院。
朝起きて太陽が昇るのを眺め、
からだが動ける幸せを味わう。
生きよう!
ホント毎日を楽しまないと普通にソンだ。この世界の美しさを味わえるかどうかは、ホント自分次第なのだ。

それにしても一ヶ月以上に及ぶ今回の入院で、お腹の調子が元に戻った。からだが「いま腸どころじゃない」と言っているのかもしれないけれど、昨年の夏から続いた潰瘍性大腸炎がぴたりと止まったのである。入院食は、白米の全粥で、私には少なく感じた。どうやら私は普段食べすぎていたみたい。自炊の記録をインスタにアップとか、やってる場合じゃなかった。
「食べたり飲んだりしているほうを本業と思え。働いているほうは本業じゃない」とは、みうらじゅんさんも言ってたけれど、食べることに関心がない、雑というのは、人生を直視できていないに等しい(自分に言っています)。ひとり暮らしにおいて「一品一品の量は少なめに、あらゆる種類のものを」って結構な難題だけど、ホントゆっくり噛んで、味わって、空気を吸いながら食べていかないと。

できるだけノイズが少なく、
陽のあたるところにいてね。
お願いしますよ。

3.21(木)
退院明け一日目。
入院中に取れた詰め物を治しに歯医者へ。今月に入って二度目の「型取り」。一度目は放射線治療のお面。ほんと全国の大病院に歯医者があったらいいのに(入院中のヒマな時に行ける)。

夜は鍼灸師の友人が施術に来てくれて、楽しくおしゃべり。
「色々お手上げ、諦めたよ」と話すと、
「諦めるって、『明らかにする』ってことだから」
と言われ、なるへそと思う。そういや、名前のアナグラムから自己分析した時も私のテーマは『明らかにする』だった。

3.22(金)
布団を干す。区役所、図書館、諸々の手続きへ。夜、手術前と似た頭痛がする。7000歩しか歩いていないのにドッと疲れる体。これから料理して、洗い物をしないといけない。ピンチハンガーの洗濯ばさみ、数ヶ所が壊れている。いい服ほど穴があく。いいかげんなダーニング。生活って大変だ。
でも、健康であっても「こんなのカンタン」って思えたことがなかった生活。いやこれ、私の敗因だと思う。スーパーで買ってきたフリージアを活ける。『スローターハウス5』をオーディブルで聴く。ヴォネガット、ちゃんと本で読んでおけば良かった。

3.23(土)
雨。長い長い入院生活、私には病院食は食べ足りず、それでも腸の調子が戻り、私はずっと食べ過ぎであったと(身に染みて)分かった。
理想は、一日三食ちょっとずつ、あらゆるものを、ゆっくり食べる。野菜、きのこ、海藻、豆腐や卵のタンパク質、ヨーグルト等をまんべんなく。私は一回の食べる量が課題。

でもひとり暮らしで、少しずつ料理して、朝昼夜と別々の食事で、食材を使いきるって結構な難題である。結局、朝食は前夜の余り物で、昼食は朝食の余り物になってしまう問題が解けないでいる。食材は絶対に捨てたくないから食べすぎに。痩せていく体がこわいという心理もあるかもしれない。

でも、そうか。私の家にはレンジがないけれど、朝、昼、夜、別々のスープを作って、いくつも冷凍しておけばいいのか。冷凍したら栄養素が壊れるという拘りは、既に生活に支障が出ている。
そんなわけでこの一年ほどインスタに自炊写真をアップしていたけれど、急に恥ずかしくなってやめることにする。そんなことをしているばあいではない。

3.24(日)
3時間の映画観たのに面白くない。店頭に並んだネイル瓶に心奪われたのに綺麗に塗れない。キャニスターに入れたお茶が何だったか忘れてしまった。別にムダ遣いじゃないと自分に言い聞かせる。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、毎日はエブリデイ、課程そのものこそ人生。アイヌの歌を聴く。

低血圧なので朝と昼食後に、食後にコーヒー飲む。
粕谷さんの『図解コーヒ一年生』を読んで4:6メソッドでコーヒー淹れている。分量さえ守ったらちゃんと美味しい。時間や温度まで測ってないけど、「豆が落ちきってきってから淹れりゃいいんだ」くらいで淹れている。そして友人が発明した、いちじくの合間にナッツもしくはクルミを挟むおやつ。音感や色感覚と同じ様に、ちらほら「コレとコレ合わたら絶対美味い」って天性で分かる人がいる。

3.25(月)
救急車で運ばれた時、眼鏡をどこかに落としてしまったらしい。ダルビッシュも使っている所のやつだったのに...ショック!そんなわけで新しい眼鏡をZoffで作る。仕事用にだいぶ度数を落としてもらう。通常、レンズは遠くにも合わせて作られるためパソコン作業が多い人は目にめっちゃ負担がかかるとその時聞いた。フレームは迷うことなく一秒で、コレだと分かった。遠目からスチャダラのBoseだと思っていたヌートバー(の看板)。

3.27(水)
仕事復帰。
眼鏡、会社の机の上にあった。なんじゃそらって、私も思う。引き出しの中は紅茶だらけで自分でドン引く。出勤時間を短くしてもらう。
まだまだ体の節々が軋む。気づけば脾臓の辺りに手をあてている。脾臓は、古くなった赤血球や白血球を捕まえて壊す働きをしているらしい。私のからだ、頑張っている。

3.28(木)
横なぐりの大雨の中、傘もなく帰宅。小学生とすれ違った瞬間、その子の傘がバサっと裏返った。
「おかあさーん!コウモリ傘になっちゃった!」
その瞬間なんか、ぷって笑っちゃった。
これを見るために、傘を取りに行くのやめたのかもしれない。再発したってことはこの数ヶ月していたことが間違いだったってことなのかもしれない。

色々やめる。ジムを解約。一日一時間歩いただけで、運動した気になっていた。歩き疲れ果てるほど歩いてどうする。それよりこまめに頻繁に体を動かせ。歩けばイイってもんじゃない。食べればイイってもんじゃない。乳酸菌も毎日摂らないと。豆乳グルト私には向いてなかったかも。
もう考えるのをやめよう。自分の仕事ではないもの。文章書くこと(やめてないけど)SNSをやめよう(やめてないけど)。分かったような気になるなよな。
実は生活の負担になっていたこと。毎日お風呂に入るとか靴下とか重湯になるまでお粥を炊くとか。湯たんぽはいまは重くて運べない。それなら文明の機器、布団乾燥機!
たまにはスキップしていい、やめていい、お粥は炊飯器で炊けばいい。私の体にいい影響を与えていなかったんだなって思うようなこと。それやるより「早く寝ろ」っていうようなこと。

3.30(土)
掃除、洗濯、歯医者、お見舞い返のお菓子を郵送。
雑貨屋で大きな真鍮のSフックを買い、鍋の蓋置き場問題を解決。

3.31(日)
近所のマッサージ、リンパドルネージュへ行く。たどたどしさがなく安心して体を預けられる。なりたての方とかだと、変な間が空き体がサーっと冷めていく。たとえ手順通り覚えても手が慣れないと、と私の仕事でも思う。ポール・マッカトニーの音楽学校ではお金のこともちゃんと教えるらしい。大事だな。

ヨギボーが欲しくなっているけど、私がゆっくり、だらってする時間ってないんよなって思った瞬間、「こういうのがよくないんよ!」と思う。でもだって、しょうがないじゃない? 生活はいそがしい。私はだらっより、ヨガッをやらなくちゃ。
酢が上から落ちてくる。何か怒られてる、と思う。コメダ行こうとして階段で転び、行くのをやめる。ああ、ヨギボーが欲しい。毛布を丸めて、ガーゼのブランケットで包んで、ヨギボーもどきをつくった。(数日後に正規を購入した)

2024年4月

4月1日(月)
リモートワーク
毎日21時に寝れるようにがんばる。ヨガも毎日やる。
だる消しスープも常備する。だる消しスープはある料理教室の方がしょっちゅう作られていて、習わないといけないものと思ってたら、そういう本が出てるのね。潰す必要あるんだろうかと思って潰してないけど、こいつあ使える。

4月2日(火)
明日病院であることすっかり忘れて、仕事でムチャな予定を立てていた。こんなミスばかりしているのは私のADHDのせいだが、呆れられているのか、気を使われているのか、誰ももう怒ってこなくなった。

4月3日(水)
お弁当持参で病院へ。
昨日、コーヒーサーバーの蓋をしたままドリップして、どぼどぼ机に溢してしまったけれど、今日病院で先生がハンコの蓋っかわにハンコ押してて、なんか良かった。
今日は脳外科の診察。血液検査も良好、MRIで見ても腫瘍は見あたらない、もう薬も飲まなくていいとのこと。手術後よくあることらしいけど、まだ頭が痺れたようにジンジンする。帽子を被ると、窮屈に感じてキャシー塚本よろしく放り投げたくなる。落ち着いたら、髪をメッシュに染めよう。

食べ物も運動も心も、もっと気をつけていかないと。病院帰り、ヨギボーがどうしても欲しくて、でもダンボールのごみを出したくなくて、お店まで行きメガムーンピローをゲット。枕じゃなくクッションとして、腰回りを囲うようにも使えてこれは良い。ピスタチオ色も可愛い。大雨の中、抱えて帰る。

お見舞い返しは半額から3分の1が相場ということも知らず、会社の皆さんにはキューブ型のかわいい和菓子、親戚の皆さんに両口屋是清の和菓子とマナリのクリームを送った。叔母に「大したやつだよ、君は!」と言われ、うるっときてしまう。我ながら、本当にひとりでよくやっていると思う。
病気をしてから、二倍速で映画を観たり日本語の吹き替え版で観る人の気持ちがわかった。しんどいのである。皆も疲れすぎ。そこまでして観ないといけないものなんて、実は一個もないのに。だけど私も『三体』を観始めた。

おしゃれをしなくちゃ
この皮膚、この髪は、今の今だけ
みどり色が好きなのも、今の今だけ
このからだを堪能できるのは、
この人生だけなのだから

2024年6月

6.6(木)
今日は、日帰り抗がん剤治療予定だったけれど、白血球と好中球の数が多くて取りやめになった。言われてみれば、体がだるい。

未だ私は夢を見る。村の集団にハブられている。
みんなはわいわい楽しそうに相乗りのバスに乗っている。みんな私に気づいているのに、地面に這いつくばって動けないでいる私を見て見ぬふりをする。バスは通り去る。自分はあなたより「上」で、あなたは「下」だとでも言うように。私もそんなことばかり気にしている限り、私もそういう人間なのだろう。自分は大丈夫な側だって、安心したいのだろう。
大好きな本だって映画だって、誰々の演技が素晴らしいとか、この文章が天才的だとか手を叩くけども、結局は「下」が「上」を見上げている構図。一体何を見させらせているのだろう、とたまに思う。自分は大丈夫な側だって確信したいがために、流行りのものを吸収している節だってある。この世は「上」と「下」でできている。しかしそんな風にしか考えられないのは、人類の退化である。

2024年8月

毎月、整体に通うことにした。テラスルームにさんさんと陽の光が入る、いいところが見つかったので。
お腹をやさしく触れられるだけで泣きそうになる。重力により、もっとも負担がかかっている部位であるにも関わらず、誰からもやさしく触れられてこなかった領域。誰かに触れられてはじめて認識することがある。

2024年9月

人気のイラストレーターが毎日イラストをスレッズやらに投稿している。何なら作業風景を、画面キャプチャで分かりやすく、何のブラシを使っているのか、どのような工程を踏んで制作をしているのか露わにしている。無償で消費されていく合戦に、私は「それ、いいの?」と思っていた。そう思っている間に、完全に時代に淘汰されてしまった。

2024年10月

低血圧で会社を休む。なんでこんながんばっているのだろう、と思って。
最近、インスタで母親とつながってしまったことで、即座に「いいね!」してくるのが心から恥ずかしい。しかしもはや「いいね!」をくれるのは母親だけ。インスタグラムの仕様が変わったことで、「誰も私のことなど見ていない」と無駄に傷ついている人が結構いるのではないだろうか。

午後から元気が出てきたので本屋へ行く。ある編集者の闘病記を読み、国語力を味方にしてきた人は、病に伏した時もユーモアがあるなと思う。最近、古い映画ばかり見ている。今日はビリー・ワイルダーの『情婦』。チャールズ・ロートンがチャーミングで見惚れる。

ここしばらく、日記を書くことをやめていた。
人の日記(出版されたもの)を読んだりすると、私も日記を続けてみようかな、と思う。この際「誰が興味あんねん」という卑屈な態度には気をつけないといけない。それは決定的に現実的な事実であったとしても。私もインスタの仕様変更に伴う卑屈さに毒されているだろうか。私はちょっと信じてもいたのだ。私の経験が誰かの役に立つかもしれないと。
でももう人の役に立とうとするな。
私の人生において、日記を書くのはやらなくていいことだ。
人生の最優先事項は、公園に行ったり、深く呼吸するよう気をつけたり、運動、料理、食事が最も大事なことだと思うから。
だから日記をやめることにした。

いいなと思ったら応援しよう!