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目標は声に出してみる
私は、自分の目標を誰かに話すことが出来なかった。もし失敗したらどうしよう、似合わない、叶わないと思われないだろうか。いまなら、まわりの声は関係ないと自信を持って言えるけれど、これまでの私は、自分の弱さを認める勇気がなかった。
私は受験のとき、どうしても行きたい高校があった。自由でのびのびとした校風と、かわいらしい制服が魅力的だった。地元にも同じ偏差値ほどの高校があったけれど、どことなく真面目な雰囲気で、なにより同じ学校のひとが多く進学していた。せっかくなら、新しい環境で楽しみたい。そう思った私は、地元からすこし離れた、憧れの高校を志望することにした。
だけど私には、とても難しい目標だった。学校でのテストの成績は、いつも中の上ほど。順位は悪くないけれど、その高校を目指すのであれば、もっと点数が必要になる。
それから両親と先生との進路面談で、「いまの学力であれば、地元の高校だと合格出来ると思うよ」と先生から話があった。私はまったく興味がなかったため、話をさらりと流して聞いていた。あとから母に聞いた話だと、「合格出来なかったときのことも考えていてください」と先生に言われていたようだ。高校によって金銭面なども変わってくるから、と。私はそんな両親の覚悟を知ることもなく、ただまっすぐ目標に向かっていた。
両親はとても協力的で、塾にも通わせてくれた。学校だけでは足りない部分を補うために、いままでよりさらに机に向かう。それでも、学力はなかなか上がらない。地元の高校を目指す友達よりも成績が良くなく、塾のクラスも私のほうが下だった。
悔しい気持ちと同時に、「こんな成績で、この高校を目指していると知られたら恥ずかしい」「やっぱり無理なのかもしれない」と諦めたくなった。それでも、学校と塾の生活は続いた。
受験まで2か月を切ったころ、やっと数値に変化が表れた。わずかだけれど、合格率が上がったのである。それから受験まで2回テストがあり、徐々に合格率が上がっていく。まだまだ合格圏内ではなかったけれど、少しの変化は私にとって希望になった。これは、私が少しでも前に進んだ、軌跡だと思えた。あとは、本番やりきるのみ。もうこわいものはなかった。
受験当日は、本当に孤独だった。まわりが同じ学校の友達と話をするなか、私には仲間がいない。同じ高校を受験するひとがいなかったため、どんな感情も自分で受け止めるしかない。「あの答えで合ってたかな」「次はどんな問題が出るだろう」まわりの声を感じながらも、自分の声だけを頼りに、ひたすら問題に臨んだ。
これまで机に向かってきたことが、この日ですべて決まる。あっけない終わりに、私は出し切れたのだろうかと不安になる。それでも、無事終えたことに、とてもホッとしていた。
合格発表当日。「どういう結果であろうと後悔はない」そう思いながらも、やっぱりいい結果であってほしい。どきどきする心臓を感じながら、両親とともに高校にある掲示板へ向かった。そして自分の番号を唱えながら、数字を探す。それはすぐにわかった。私の番号があったのだ。いまでもその番号や景色を覚えている。すべてが報われたと思える瞬間だった。
このことは両親や私の人生で、大きな出来事になった。先生に合格の報告をしたときも、とにかく驚いていた。高い目標への挑戦だったからこそ、どこまで信じられるか、難しかったのだと思う。だけどいつからか、私だけの目標ではなく、まわりのひとの気持ちも重なっていた。そう思うと、私のひとつの合格がたくさんの夢を叶えてくれたような気がした。
目標を持つことは素敵なことだ。目標は叶えるもので、叶えなければ意味がないと思っていた。だけど、きっと叶わなくても、目標に向かって努力したことは無駄にならない。だからどんな未来が待っていようとも、恥ずかしく思うことはない。
それからの私は、日々小さな目標を持ちながら暮らしている。大人になると、憧れと現実がすぐ目の前に現れ、目標を持つことですら勇気が必要だ。それでも私は、目標を持ち続けたいと思った。誰の人生でもなく、自分の人生を歩むために。
いまの目標は、書く仕事をすること。まだ明確には決められていないけれど、言葉を届ける仕事がしたいと思っている。また、「自分には無理かもしれない」「似合わない、叶わない」そう思ったり思われたりすることはあるだろう。だけど、声にしていかなければ、チャンスさえも巡ってこない。
私はもう、臆病にはなりたくない。だから、声を大にして言いたい。これからの自分にも、ちゃんと聞こえるように。
「私は言葉を届けるために、書く仕事がしたい」