ヒロイズム。
医師という職業は、現代に残る唯一のヒロイズムであると、最近読んだ本にあった。
医師を志すにあたって、ヒロイズムとは何なのか考えてみたいと思う。
その前に、”ヒロイズム”という言葉を聞いてふと思い出したことがあった。
かつての親友と一緒に曲作りなんかをして遊んでいた頃、彼女の書いた歌詞だった。今となってはうろ覚えだが、
普通に憧れた僕と、ヒーローに憧れた君
というフレーズが妙に頭に残っている。
そうだった。
僕と彼女の抱えた悩みは、決して似ているとは言いがたかったが、しかし、ふたりとも「『普通』であることを世界にゆるされなかった」存在だった。
そして彼女は「普通になりたかった、こんな悪目立ちしたくなかった」と言い、
僕は「普通じゃないからこそできることがあるはずだ、自分らしく格好良く生きたい」と言った。
それが僕らの決定的な違いで、決別の根本的な要因だったようにすら思う。
彼女が、手の届かない「普通」に焦がれ続けた思いは、今となっては、いや、かつて共にいた日でさえ、僕には到底理解できないものだった。
でも、よく考えれば、僕が何故、なんのために「ヒーロー」でありたいと願ったのかも僕はわかっていなかった。
その事に気づいたのは本当にごく最近のことだ。
また、僕は、こう言うのも何だが、人助けをすることが多い。
おばあさんが困っていれば助ける。今までも2回、登下校中に知らない人のお手伝いをしたことがある。
なんで声をかけるのか。
理由なんてなく、ただ、そうしたかったからそうしたのだ。
誰に見られているわけでもなかった。他の誰でもなく、自分の中のヒロイズムが、そうしろと僕に命じた。
多分僕は、なるべく多くの人に幸せであってほしいんだと思う。少なくとも自分の手の届く範囲は、僕が幸せにしたい。
守りたい。頼りがいがある僕で在りたい。
そういう気持ちが僕のヒロイズムの根幹にある気がしている。
姉さんは、一番守りたい人だ。
一番大事にしたい人だ。
しかし、一番遠くにいる人だった。
本当に伝えたい人には、「好き」や「大切」が伝わらない。守りたくても手が届かない。だからこそ僕のヒロイズムは不特定多数に向く。
僕が、僕を納得させるために、誰かに手を差し伸べるのだ。
それが僕にとってのヒロイズムで、医師という職なのだと思う。
綺麗な物語ではない。誰かの役に立ちたいなんて、純粋な気持ちでそう言える人が羨ましくすらあるほどに、ぐちゃぐちゃの泥の中から掬い上げた何かだ。
それでも、人を守りたい、笑顔にしたいという想いは偽りなんかではない。
だから、大丈夫。胸を張っていこう、と思った。