テレビ
大学2年、休学中に書いた文章、出てきたので載せます
或る大学生の話
一人暮らしをはじめてから、初めてわかったことがある。それは無音の家に居ることがとても苦痛であるということ。
おかえりと言ってくれる人のいない家。ただいまと言っても返事が返ってくることはない。ただ虚しくなるだけだ。
実家にいた頃はテレビなんて全然見なかったのに、無音の家に耐えられなくなった自分はテレビを見るようになった。いや、見る、というよりは惰性で流している、の方が適切かもしれない。テレビの音があるだけで、虚しさが少なくなる。一人ではないと錯覚することが出来るのだ。
最近ふと、こんなはずでは無かったと思う事がある。大学生になったら、都会で一人暮らしをして、キラキラした生活をおくるのだと漠然と考えていたから。でも実際はどうだ。代わり映えのない毎日を流れるように過ごしているだけ。
大学に行くと周りの人間はキラキラ眩しく見えて。白黒の世界に居るのは自分だけのように思えて。1人だけ時代遅れのテレビ。それが自分。
惰性で見てたテレビ消すみたいに生きることを時々辞めたくなる。
好きな歌手の曲のフレーズに、思わず共感してしまう自分がいた。
......そうだ、死のう。そう思いはじめたのは何故だったのか、今となっては思い出せない。死にたい理由なんて、ない。色んなことを我慢しすぎて。理不尽に怒られすぎて。容姿を貶されすぎて。死にたい理由なんて沢山ありすぎて、分からない。きっと他人は、贅沢だというのだろう。この世には生きたくても生きられない人がいるのにと。自ら死を選ぶなんて贅沢で失礼なことなのだと。
それでもむしろ自分は褒められるべきだと思っているだなんて口が裂けても言えなかった。だが、ここまで生きてきただけで、偉いと思うのだ。21年もの長い間。生きたい訳でも無いのに、必死に死なない為の努力をしてきた自分は、褒められて然るべきだ。
どうしたって自分は幸せになれない。流れてきたバラエティー番組で笑っている芸能人を見ながらそう思った。その瞬間、何かが壊れる音がした。
テレビが白黒になった。
あぁ、壊れてしまったんだな。そう思いながら、気づけばベランダから飛び降りていた。
......部屋に残ったテレビはいつの間にか消えていた。