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レモン、れもん、檸檬

字書きの遺伝子を持って生まれたものだから、140字じゃあ足りない文章だって書きたくなる訳で。物語だって書きたいし短歌も詠みたい。文字に起こすことで自己分析をしたい時もある。全部違うジャンルの文章だけど全部ここで一緒くたに投稿しても許されるの、最高だなって感じ。

さて、何からみんなに知ってもらおうか。何をみんなに知って欲しいだろうか。

まずは名前。檸檬と名乗らせてもらうことにした。これはね、とても思い入れのある名前。インターネット時代、ハンドルネームをゲームやサイト、SNSのアカウントによって使い分けるなんてざらにあるし、僕の名前も何個もある。捨てたものもあるしまだ使ってるものもあるし思い出したように時折呼ばれるものもある。その中で今一等愛おしくて大切で、呼ばれる時の温度が暖かかった名前がれもん。コンカフェでキャストとして1年名乗ったこの名前を捨てたくなかったので漢字名義にして使い続けることにした。
沢山の名前を持つ僕だけど本名の下の名前を呼び捨てで呼ばれるのだけはとても苦手。僕が呼び捨てで呼ばれる時は決まって母親のヒステリーと父親の正論を振りかざすだけのお説教の時だったから。恋人にだって親友にだって下の名前を呼び捨てにされたら背中が強ばるくらいには本当の名前が苦手で。
だから、コンカフェという場で色んな人達に愛をこめて呼ばれたれもんという名前の方が本名よりも遥かに愛おしい。この名前に温度を与えてくれた全ての人にありがとうと言いたい。檸檬として生きる度にれもんとして生きた秋葉原での1年間を思い出す。人の記憶は移ろいゆくもので忘れてしまうことなんて沢山あるけれど、忘れたくない事ばかりだったからこそ、檸檬として生きてゆくのだときめた。この名前は僕が愛された証だから。誰かを幸せにしたくて誰かに笑って欲しくて、全員を愛したくて踏み入れた街、秋葉原で。誰よりも幸せにしてもらって、愛をもらって笑顔にしてもらったれもんちゃんが死なないように。人が死ぬのは忘れられた時だから。れもんちゃんとしての人格が死なないように。檸檬という名前はとてもとても大事にして生きてゆく、そんな心持ちです。

檸檬の由来は、梶井基次郎の檸檬と高村光太郎のレモン哀歌、米津玄師のlemon.そしてフルーツのレモンから。好きな文学のタイトルに2つも名前が入っている果物。泣きたい時に必ず聞く曲のタイトル。柑橘類が好きな僕が特に好んで食べるレモン味。そして、名前をつけるとき、丁度夏だったから。漢字にすると角張って真面目に見えるのに、カタカナだとなんだか切なく感じて、ひらがなだと可愛い印象を与える不思議な単語。コンカフェでは可愛く居たかったからひらがなのれもんをえらんだ。今漢字の檸檬を使うと決めたのは、感じの形が好きだからってのもあるし、響きは女性的なのに漢字で見ると男性的なところがいいなという理由。女の子にもなりたいし男の子にもないたい僕にはぴったりの名前でしょう?と我ながら自画自賛している。

名は体を表すって言うけれど。檸檬に相応しい人間になっていけたらな、なんて思うよ。

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