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不定期ダイアリーpart.26(夏、その1)
誰にでも忘れられない挫折があると、ぼくは思っている。
それはある人にとっては受験かもしれないし、また別の人にとっては失恋なのかもしれない。
はたまた、人間関係の失敗や仕事、そして遊び……挫折の枚挙に暇がないのが、この人間社会の宿命とも言えよう。
そして心に刻まれたその痕の深さも、人それぞれ違うものだ。
…それは2016年7月4日(月)、ありふれた夏の日だった。
新座キャンパスに籠る熱波は夕暮れに差し掛かっても尚衰える気配を見せない。
わたしはカクテル光線に照らされたグラウンドを片目に、一抹の緊張感を胸にスマートフォンを手に取っていた。
Google検索に打ち込んだ文字は「坂戸綜武館」。
埼玉県坂戸市にある、武田流中村派の道場だ。
心身ともに疲弊し、一回戦敗けを喫しボロボロの学生大会翌日に何故、出稽古のお願いをしよう等と考えたのか…
漠然と「このままではダメだ」と感じたからなのか、北大との団体戦の代表戦で完膚なきまでに完封された無力感からなのか、はたまたその日を境に練習が行われなくなる手持ち無沙汰感からなのか…
今となっては分からない。
その日の夜、ぼくは陽気な先生に招かれるよう坂戸道場に足を運んだ。
覚えていることは些細なことばかりだ。
道すがら、今はもう使わなくなったワイヤード・イヤホンからガリレオガリレイの「夏空」が流れてきたこと、高坂上空にどこまでも立ち昇る入道雲が綺麗だったこと、整然とした道場に一筋昇る蚊取り線香の香りが心地よかったこと……そういう、断片的な景色が今も強烈にぼくの脳裏に焼き付いている。
稽古終わりに「ちょっとお茶でも」と道場二階の居住フロアにぼくを招き入れた豊嶋師範は明らかにぼく自身に興味ありげな表情で目を輝かせながら、延々と武道や今後の展望について話をしてくれた。
縁もゆかりもない、何者でもないぼくに親しみと期待を込めて接してくれるおおらかさに感動したし、「なんて綺麗な瞳をした先生だろう」とぼくはこれまで抱いていた「武道の先生像」をぶっ壊されてしまった。
とにかく楽しい時間だった。
なんと言うか、波長が合うのだ。
その日からというもの、わたしは趣味のひとり旅もすっかり止め、3年間平均で週4回(部活には週4回行っていた)道場に通いつめるようになってしまった。
すっかり"道場"への免疫を付けてしまったぼくは、一種の「冒険家」に変身してしまった。
翌週の土曜日には今はもうなくなってしまった代々木上原駅の本部道場にも足を運んでいる。
稽古が始まる前に着いてしまい、真っ暗な三階建ての雑居ビルには誰にもいない。
非常にまがまがしく、怖かった。
誰も来ないことにすっかり待ちくたびれ、とぼとぼ夕闇の帰路に着くぼくの耳を「あんた、誰や」とつんざく初老の男性の声。
その人は自転車に乗って現れ、明らかに頬が紅潮していた。
自転車籠には「アサヒスーパードライ350ml」の空缶が無造作に放り出されている。
少し話してみると…アルコール臭がプンプンする。
ただ、硬派な雰囲気の中に優しいおじいちゃん、といった親しみやすさを感じさせていた。
「立教合気道部の瀬戸と申します。今日はいきなり稽古に押し掛けてすみません。お電話が繋がらなかったので……」
「なんだ、稽古か!入った入った!」
それが、僕と小林師範との出会いだった。
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それから、すっかり8年が経ってしまった。
社会人となり、家族が出来、ふと自身を振り返ると日常はすっかりリズムの中に埋没してしまっている。
学生の頃のようなダイナミックな日々は中々味わえなくなってしまった。
今となって、はっきりとしている事はただ一つ。
あの夏の敗戦を「挫折」と捉えるには余りに若すぎた、ということだ。
何せあの夏、ぼくは19歳だったのだ。
それから幾度も挽回の機会はきたし、挽回の度に「あの敗戦=挫折あってこそ」と思えたのは間違い様のない事実だ。
そうして淡々としたリズムの中で生きているうちに今年もまた、夏が来て、学生大会シーズンを迎えている。
この大会を経て、また新たな出会いや経験をするであろう若人たちに思いを馳せる位には遠くにきてしまったのだろう。
ただ…
未だ胸にざわざわと、騒ぎたてるものがある。
星のない夜空をあおぐと夏の葉をたたえた欅が夜風に揺れている。
それだけのことだった。
(2024年7月9日)