共感覚と不登校(part2)

前回は、小学校入学から僅か1週間で「不登校宣言」をしたところまでを、つらつらと書かせていただいた。

言うまでもなく「不登校宣言」はあっさり却下された。
「教室に居ると(音から生じる)色々な形が見えて黒板が見えない」だとか、「音が多すぎて頭が痛くなる」だとか、「先生の声の色が嫌だ」だとか、6-7歳なりに「学校に行けない理由」を具体的にプレゼンしたように思う。しかし、両親には全く相手にされなかった。

「どうして父さんも母さんもわかってくれないんだろう?」
両親と話している、今、この瞬間にもたくさんの形や色が浮かんでいるというのに。両親にはそれらが見えていないのか?私は心底驚いた。

それよりも衝撃だったのは、両親が自分の言っていることを全く信じてくれない、相手にしてくれないという事実だった。特に父親はいわゆる「学校至上主義者」で、「不登校なんて甘えだ」と考えている節があったため、私の「不登校宣言」に烈火の如く怒り、「二度とそんな話をするな」と言った。

辛かった。悲しかった。
本当のことを言っているのに、こんなにも学校に行くのはしんどいのに。どうして話を聞いてもらえないんだろう。

それでも諦めの悪い私は、その後も何度か「学校に行きたくない」と両親に訴えた。そのたびに私は叱られ、次第に私の教育方針を巡って両親が言い争うようになった。私がそんな嘘(共感覚で感じる世界のこと)をつくのは母親が私を甘やかすせいだ。私の体調がいつも優れないのは父親が無理やり通学させるからだ。気づけば、家庭内の空気がどんどん険悪になっていた。

辛かった。悲しかった。
本当のことを言っているのに、こんなにも学校に行くのはしんどいのに。どうして話を聞いてもらえないんだろう。
でも、私が色や形の話をするから、父さんと母さんの仲が悪くなる。

私は学校に行けないダメな子。父さんと母さんの仲を悪くしたダメな子。
気付けば、理解してもらえない辛さや悲しみは、「私は悪い子」という自責にとなり、「嫌われたくない」という思いに変わった。そして、私は決めた。もう、私の見ている世界の話は誰にもしない。私は両親の喜ぶ「毎日学校に行く良い子」になるんだ。

一度、自分の演じるべき姿を決めてからの私の変身ぶりは凄かった。
テストは常に90点以上、小学2年生から卒業まで毎年学級委員に推薦され、最終的には生徒会長になった。友達、先生誰もが認める優等生…それが私の変身後の姿だった。

しかし、どれだけ変身しようと中身が変わったわけではなかった。様々な色や形は、相変わらず私の周りに存在していたし、頭痛も絶えなかった。それでも自分の「変身」という選択は正しいと半ば無理やり思おうとしていた。だって、変身した私には、両親が笑ってくれるのだから。

でも…それで本当にいいのか?まるで騙しているみたいじゃないか?本当は何も変わってないじゃないか。本当はずっと学校に行きたくなかったし、何なら頭痛は年々酷くなっている。このままで大丈夫なのか?そんな風に自問した。

別にいいじゃん、それで。最初に私を嘘つき呼ばわりしたのは父さんと母さんだよ?私を信じてくれない人達を騙すってそんなに悪い?私は答えた。

あのときは毎日に必死すぎて気づかなかったけれど、この頃から私のなかに歪みが生じ始めていたのかもしれない。

本当のことさえ信じてもらえないのなら、私も誰も信じない。

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