共感覚と不登校(part3)~意識不明は突然に~

小学校時代に、親や先生など身近な大人に「自分を理解してもらえない」という経験を嫌というほどした私は、自分でも気づかないうちに、周囲に対して壁を作るようになっていた。「優等生」は、知らず知らずのうちに周りから浮いてしまう自分に気づかれないための、ある種「鎧」だったのではないかと今では思ったりする。

そんな私は両親の勧めにより、地元でそこそこ有名な中高一貫校へ進学、そして3年間、小学校時代に輪をかけた「優等生」として、順風満帆な日々を過ごした。少なくとも両親にはそう見えていたと思う。成績は常に学年トップクラス、部活では部長を務め、友人関係も良好…小学校入学当時に「不登校宣言」をした娘の片鱗はもうどこにも見られなかったのだから。

しかし、両親は知らなかった。私が保健室登校をしていたことを。
中学を卒業する2~3ヶ月前頃からだろうか、私はまた、酷い頭痛や眩暈に襲われるようになった。小学校時代に感じた症状とは比べ物にならない、目を開けていられないほどの痛み。最初は、1時間ほど保健室のベッドで休めばまた教室に戻ることができたのだが、次第に症状は悪化し、登校から下校まで終日、保健室から出られない日が増えていった。普通であれば、この時点で保護者へ連絡が入ったはずなのだが、ちょうど時期にも恵まれ(?)(卒業式を控え、毎日思い出作りや卒業式の練習くらいしかやることがなかった)、親にバレることはなかった。加えて、コツコツと「優等生貯金」―すなわち周囲からの信頼度―を蓄えていたこともあり、私がまさか親に内緒で保健室登校しているとは誰も思っていなかった。

体調に異変を感じ始めた頃、私には不安が2つあった。
1つは共感覚がどんどん強くなっていたこと。もう1つはそのことが親に知られたらどうなるのかということ。特に後者が気がかりだった。当時、いろいろなことが重なって、お世辞にも両親の関係や家庭環境が良いとは言えない状況だったこともあり(いや、正直に言ってしまえば帰宅できない日があったほど極悪だった)、ここでまた私が「不登校もどき」に逆戻りしていることを知られたら……今度こそ、私の居場所は本当になくなる。絶対にバレる訳にはいかない。
今、振り返ると、気にするべきは1つ目の不安だったと思うのだが、当時は、「(共感覚をもつ)自分は嫌われる、もしくは落胆される存在」だと信じて疑わなかった。自分の思い込みを疑うことができないほど、最初に自分を信じてもらえなかったときのショックが強く残っていたのだと思う。

いつか不登校がバレるのではないかと毎晩ビクビクしながら眠りについた。そんな夜を何度も繰り返した。

そしてある朝、私は目を覚まさなかった―いわゆる意識不明というやつだった。

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