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なぜツインレイというワードに浮かされるのか

まだまだ暑い日が続いていますが、
皆さんは、夏バテしてませんか?
2回にわたる酒粕甘酒の記事にも書いたように
酒粕甘酒のアレンジバージョンは、本当におすすめです。私はこれで夏バテ知らずです。
ご興味があればこちらからどうぞ↓



地震、台風という恐怖の煽りにも、
特に一喜一憂しなくなって、
気がつけばそんなことが、どうでもよくて、人々の意識がどこに向いているのかを俯瞰している自分がいます。

高い視座から物事をとらえる一方で、
ツインレイの課題みたいなものが重くのしかかる。
重いというより、乗り越えていく課題がハッキリとわかるのです。


スピリチュアル界では、ツインレイというワードに憧れる人々も多くいるようだけど、
それは完全に夢物語で見ているとしか思えない。運命の人みたいに思われがちですが、それは3次元の枠のまま、色眼鏡で見てロマンティックなことのように捉えているのだと思います。
私は恋愛映画や、恋愛の物語が、あまり好きではありません。なぜならそこには、まやかしがあるからです。恋愛というイメージに夢を抱かせられているのです。実際は翻弄させられているだけなんです。
ツインレイとはそんな安易なものでは決してないことを、ここに記しておくことにします。

実際ツインレイと会った人の中には、会わない方が良かったと言う人もいる。
それくらい学び、すごく成長させられることになるのです。中には辛過ぎて成長しないで終わる人もいる。こういう人は、来世に課題が持ち越されることになります。

目に目えないプログラムを手探りで、課題を熟すような感覚です。
自分との長い葛藤の末にたどり着く自分なりの答えと魂の成長とを感じながら進んでは、あらゆることが起こる。また進んでさまざまな出来事が起こる。
どんどん課題を超えては、意識の変容を余儀無くされる。
課題と向き合い、自然とステージが上がっていって、その先になにがあるかなんてわからないし、形があるわけでもないし、誰かに答えを教えてもらえるわけでもない。
それはだけがわかっている。

ただ何かに突き動かされるように進んでいく…
エゴや執着をどれだけ手放し外し、もうないと思っていても、違うものがわかったりする。

辛い悲しみや、衝撃、今まで味わったこともないどん底の深い海。
そうかと思えば、この上なく幸せ、絶対的な安心感。そして無償の愛に目覚める。
そんな感情を味わいながら、
決して翻弄されるわけではない。

ツインレイというワードに浮かされているのを見ると、なぜ憧れるのかがわからない。
一時的な体験学習することとは、訳が違う。
会ったら、ずっとゴールの見えない障害物をいくつもいくつもいくつも…乗り越えていくことになる。今世で課題ができるのか、覚悟してプログラムに挑むことになるのだから。

私も辛過ぎて、どん底な気分を味わうことが度々あります。その度に死んでしまいたい気持ちになることもある、今生の前は統合前に死んでるから、課題が残っているんだと思うの。
だから今生では統合までいきたいと魂は望んでいる気がします。


具体的に何があって、こんなんで、あんなんで、と今は書くことを控えます。
なぜなら人によって、起こることは違うし、指針が明確にあるわけではないからです。
誰かがそれを指針にしてしまうのは違う気がしますし、目を向けることは、そこではないからです。
ツインレイの苦悩は、中々人に話せることではないくらい、人々の予想をはるかに超えてくることの方が多い気がします。

人間が一生かけてもわからないこともある。
そう思えば何回もやり直してきてる人達も多いのだろうと思うと、

これは何世にも渡る壮大な愛のプログラムなのだ。




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