「逆張りオタク」「推し依存」のなぜ何、私なりに考察してみたら「悪とは何か」まで辿り着いた徒然
ああーまじで。まじで(2回目)、私は推しにおいて「1つの柱を支えにして生きていくことに喜びを覚える」タイプのとんでもないオタクなので、その柱を失ったらどうなるかとか考えてない、考えたくないんですよね。
その背景を考えてみると。たぶん、基本的に器用じゃないから、いくつものジャンルや人、物事を同時に推すと、それぞれのところで何かしら「そんなのあったっけ」「あれ、推しの生まれ年いつだっけ…」みたいな綻びが出てきてしまう。
でも私は一方でものすごい完璧主義だから、その綻びが許せない。
じゃあ、1つのものを推すしかないよね!!!おっしゃ、それ以外は推さねぇ!!!!
っていう思考になってしまうんだと思います。
それでも、やはり同じものをずっと推し続けるのは限界があるもの。たまには新しい情報を一気に取り入れたい時もあるのがオタクの性でしょうか。。
でもね!
私はこの推しがいるから!!
他のなんて推せない!!!って基本的には思うんです。
しかもそれでも、もし誘惑に駆られてちょこっと調べて見てみるときもありました。
でもね、それがおもんなかった時の時間のムダ感がすごい……「やっぱりいつも通り安定の1人の推しの最新情報見れば良かったぴえん」ってなる絶対………やめよ!!どうせ今の推し以外なんて全部しょうもないに違いない!!!
こうして立派な逆張りオタクの完成です♡
ずっと20年間そういう思考で生きてきたから今更変えられないんですよね……生まれた瞬間からオタクしてきた訳ではないが…でもオタク初めてからはずっとこんな考えしてた。
人間、どうしてなかなか変われないかって???
そんなの、今まで生きてきた生き方を間違いだとおもいたくねぇからだよ!!!!
「自分の生き方は正しかった」
そう思いたいからにきまってんだろばかぁ!!!わかってよー!!!
そういやおんなじことを、大好きな漫画「BLACKLAGOON」で言ってるおじちゃんいた気がする。連合赤軍の。
過去の間違いを認める、改善するって間違いに気づいたら直して当然みたいに語られるけど、実はものすごーく難しいことなんじゃないかしら。
自分の生き方に真面目に向き合ってきた人なら尚更。
そもそも間違いかどうかを誰が何を持って判断するの?って話だしね。
人に迷惑を掛けたら、かな?でも迷惑の度合いは人それぞれだし……殺人は絶対的悪かなって思うけど、森鴎外「高瀬舟」なんか読んだらはにゃ??ってなるしな〜
人間が生きる上で永遠のテーマなのかも知れません。悪を認め更生する、ということは。
取り留めのないnoteになってしまいましたが、
同じように悩んでる方の、思考の糸口になればいいな、なんて思ってます。
同じような方、新しい発見のあった方からのコメントも超待ってます!大歓迎です!笑
ではでは!
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました!
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