エッセイ『思い出のドーナツ』
ドーナツといっても、最近のオシャレなドーナツではない。
おばあちゃんの手作りの、「昭和のドーナツ」の話。
私が幼いころ、おばあちゃんが気が向くときに学校帰りのおやつとしてドーナツを作ってくれたことが何度かある。
何度かといっても、人生で3回あったかな?という程度で。本当に気が向くときに作ってくれたのだと思う。
おばあちゃんのドーナツは「思い出話」とセットだった。
だから、いまだにドーナツを思い出すときは「思い出話」もセットで思い出す。私にとって大切な思い入れのある懐かしい味なのだ。
私の子供のころは、「カルピス」といえば原液が瓶で販売されていた時代。自分の濃さで薄めて飲めるのだが、私は氷が解けてちょうど良い濃さになるように少し濃いめに作るのが好きだったし、少しそこに贅沢を感じた。何せ、他のジュースより値段が高くて高級品だった。「カルピス」というだけで、若干テンションが上がったのを思い出す。
今でこそポテトチップもどんどん改良され新商品が出ている、クッキー、チョコレート、飴にしたって子供たちのおやつとしては当たり前に美味しいものがあるのだが、私の子供のころは「駄菓子」も大定番だった。
どちらかといえば、スーパーのおやつはやや値段が高くて。100円握って駄菓子屋で友達と色々選んでいくつもの種類を楽しむのも定番だった。そんな時代。
ポテトチップは「うすしお」「のり」「しょうゆ」「ピザポテト」くらいは覚えているけれど、今のように味のバリエーションもなければ「期間限定」や「産地限定」などなかったと思う。振り返ると、お菓子だけでもだいぶ時代がすすんだなぁ、と感じる。
さて、私のおばあちゃんが作ってくれたドーナツも昭和の味。
今の「〇〇タードーナツ」や、行列のできるドーナツ屋さんのようなオシャレでふわふわのドーナツではなく、素朴でやや歯ごたえを感じるような固めの生地。それに粉砂糖をまぶしただけのシンプルなもの。
イメージでいえば、〇〇タードナツの「オールドファッション」に粉砂糖を振りかけたもの。
これが、異様なまでに美味しかった!
子供のころは、作っている姿をみると食べるのが楽しみになって。
嬉しくて、嬉しくてたまらなかった。
そしてセットの思い出話。
おばあちゃんが幼少期は戦時中だった。とにかく食べること、生きていくことに必死だった時代。このドーナツがどれほどの「ご馳走」だったか。食べたくても、食べたくても口には入らなかったという時代背景も合わさったほろ苦い思い出の味。
そんな話を幼いながらに理解し、自分たちが口にすることが「当たり前」と思っているものがいかに贅沢なことなのか。毎日の日常の有難味を感じていた。
食べるものだけでなく、着るもの、生活するための家、すべての事が当たり前にある事がいかに感謝すべき有難い事かという思い。
忘れないようにしたい。
毎日、四六時中意識するわけではないけれど、
いつもおばあちゃんの「ドーナツと思い出話」のセットを思い出すときに、こんな日常への感謝を想う。
今思えば、これがおばあちゃんの教育だったのかもしれない。
叱るでも、言い聞かせるでもなく。
自然な日常の中で、大切な事を教えてくれたのかもしれない。
おばあちゃんへ、感謝。
そして、また食べたいと思う忘れられない思い出の味。
昭和の味。