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一番美しいと思った「その人」


◆言葉では伝えられない美しさ

一番美しいとわたしが思ったその人とは、
美術館で見かけた知らない男性のことです

30年くらい前だろうか
今もあの場面は鮮明に心に残っているし
それを越える美しさにはめぐり会っていない

「今までで一番美しいと思ったのは何?」
もしこんな質問をされたら
迷わずあの男性を挙げるだろう
いや、やっぱり人には言いたくない
自分の中にそっとしまって
大事にしている経験だから

ここにだけ記しておこうと思う

すごく期待を持たせるような
書き方をしてしまった
期待に十分応えられる自信はないのに
言葉をどれだけ使っても
あの場にいたわたしの感動は
たぶん伝わらないだろうのに


◆ふいにやってきた男

20代の頃わたしはけっこう外を出歩いてた
いつでもひとりで
公園、カフェ、図書館、ライブハウス、深夜映画
美術館も魅かれるものがあれば足を運んだ

たしか西洋美術の特別展のときだと思う
どこの美術館のどんな絵画展だったかは忘れてしまった(考えてみればそんなことはあまり大事じゃないから)

そろそろ閉館時間を気にしたほうがいいかな、
くらいの、日暮れどきだったと思う
館内はけっこう混んでいた
特にご婦人たちが多かった

わたしが絵を見ていると
その人がやってきて
わたしの右手の壁に展示してある絵の前に立った

静かなんだけど、あわただしい気配があった
わたしは自然とその人の方を見た

絵に見入っているその人
年は40前後だろうか
まず思ったのは、
「この人入場券買えたんだろうか」ってこと
質素な服装だったから
灰色っぽい作業着のような私服のような、、、
背丈は普通くらい、
どちらかといえばやせているほうだった

そして手ぶらだった
なんにも、本当になにひとつ持っていない
わたしは驚いた
入場券はポケットにでもしまったのかな、
と気になって
彼の衣服に目を走らせたのを覚えている

順番に絵を見てまわっているというより
この絵を目指して今入ってきたという感じで
彼はただ一心に絵を見ていた

(館の職員ではないと思う。態度や感じが違ってた)


◆水を求める巡礼者

この人にとって周囲の世界は消え去っている
自分についての意識もない
ただ一枚の絵に身を投げ出している
そして呼吸を整え
静かに静かに感動に包まれている

と、わたしにはわかった
わかったと言っても証明はできないが
彼の熱が伝わってきたことは確かだから

「美しいな」とその姿にすごく打たれて
わたしは彼をじっと見てしまった
(ほとんど背中越しからだったが)
なんて美しいんだろう、と身動きできなくて

だれもが絵に視線を向けている館内で
わたしだけお客さんをじっと見ている

「だれか見てたら変に思うよね」
と、この状況を見ているもう一人の自分がいた
でも目が離せない
写真に撮りたいけど叶わない

自分もこうでありたい
絵を見るってこういうことだと思った

着飾って、バッグ持って、アクセサリーつけて?
芸術に魂ふるわせるのにそんなの必要?

彼は砂漠を行く巡礼者みたいに
絵画から感動という水を
謙虚にいただいているようだった
その素直な喜びには
はっきりと美しさがあった


◆この価値観はゆるがない

年月が経っても「あの男性はだれよりも美しかった」という思いは変わらない

つまり、わたしの価値観はこういうものであるということ

30年過ぎた今、
ちょっと分析的にまとめてみよう

(あの経験で見つけたこと)
・どこかの労働者に過ぎないその人が、純粋な感動に満ちて輝いていた
・美術館へ行くという行為に微量含まれるくだらない気取り、話題性に群がる俗物根性、、、そういうの一切を含まない在り方

(一方、当時のわたしはどうだったか)
・どこかの労働者に過ぎないということに七転八倒の抵抗をしてた
・美しいものに純粋に身を投じ感動することってあるのか?と自問すれば、だれよりもそれを欲していたのに、世の中どこを見ても見せかけのものしか転がってないんだ、と呪っていた

あの男性は偶然そこに現われ
わたしは偶然探知機みたいなものを持っていた
男性は無意識にそれに呼応するかのように
自分のあるがままにふるまった

そんな風に美は描きだされ
寸分違わぬ角度でわたしに刻印を押した



◆その人が見ていた絵『X』とは?

彼が一心に見ていた絵はなんだったのか?

西洋の有名な画家の作品でした

でも画家の名前も作品のタイトルも
明かすことはできません
『X』は、、、謎

わからない部分を残しておく
それでいい

素のままのわたしが本当に感動できる
自分だけの芸術作品『X』を見つける
ここに全力を注ごう

end


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