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思い通りにいかない世界


◆期待度が高いと受け入れにくい

ハッピーとアンハッピーを行ったり来たり。穏やかな心持ちが持続しなくて疲れてしまうのをどうしたらいいだろう?とよく考えます。(前回の記事「幸不幸=不幸」の続き)


①「信号が赤」で渡れない。こうなってほしい!が叶わない状況。
⇒ 「まあそんなもんだよね。思うようにいかないのが世の中だよね」との認識があり、受け入れられる。


②やっと青になるぞ!とぬか喜びするも「まだ赤」。まだ叶わない。


①と②は期待度が違う。
②は、勝手な思い込みのケースと、希望が叶うと言われたあとに取り消されるケースもある(すごくきつい)。


期待度が高いほど「この世は自分の思い通りにいかないもの」という現実を受け入れるのが難しくなる。元々受け入れ方が浅いから不意打ちを食らって揺らぐ。いかる。達観してないことがばれちゃう。


「あなたが喜ぼうと悲しもうと変化はいつでも起こりうるよ。自分の思い通りにはいかないものだよ」、、、そう。みんな知っていること。でも、骨の髄まで認めて受け入れてはいなかった。格闘歴が長くたってそう簡単にはいかない。



◆私は一体どうすればいいでしょう?

信号の話からはじまったけど、他の例も想像してみる。
「健康診断の結果、異常なしならいいなぁ」
「今、話がある。お願い電話に出て!」
「これに賭けてきたのに中止なんてひどい!」
「とにかく生きていて」


必死な叫びが数限りなくあって、だれもが抱える普遍的な問題だとわかる。「こうなってほしい!」「でもなってくれない」、、、そんなことの連続の人生。(解決すべき問題ならやり方があるだろうけど)


仏教にも似たような表現があるようでびっくりした。仏教で「苦」とは、「苦しい」という意味ではなく「思い通りにならないさま」だとあった。(※ 詳細は下記「hasunoha」)


◆もう一度、私は一体どうすればいいでしょう?

お坊さんのお話は役に立ちます。でも一足飛びに悟りの境地へは行けない。


今のところ自分は以下の2つのミックスでやっています。簡単に書くとこんな感じ。


①動じる私
「わーいハッピー!」と喜ぶときもあり、「ああつらい」と嘆くときもある。「こうなって欲しい!」と期待満々になったり泣いたり笑ったり、苦しみも味わう。


②動じない私
人と比べない。情報を安易に自分の尺度にしない。人生の理不尽さ、どうにもならなさを忘れない。直面する一つ一つのことは大きな全部の中に含まれていく。自分一人がどうにかできる世界ではない。無である、夢である。


「動じる」方は、感情の起伏が激しくてなにかと大変だけど、生きてる実感でもある。感動したり笑ったりも思いっきりできる。

「動じない」方は、泥沼に沈んでいくような辛さを少し回避できる。無駄な怒りや不幸感を抱くことが少なくなる。(あと、スポーツなんかするとき意外とスコアがよくなる)


2つの併用策でとぼとぼ進みながらまた考えてみたいと思う。

自分で考えて進んでいくしかないのだから。

end


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