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MBTI得意と不得意

 ISFJならあれは得意でしょ? これは不得意なんじゃない? と世間で思われていそうなことを思いついた順に書きます。

①Si

 主機能。確かにバカ高い自覚ある。
 あの時こうだったから、という確かな記憶があるとものすごく安心する。他の人にそれを実証してもらった場合も安心できる。
 やたら昔のことを覚えていて、恐ろしいことが続いた年と同じパターンで物事が進んでいると「今年も飢饉が来る! 年貢が納められないどうしよう!」と絶対にあり得ない心配をしてしまう。

 でもSiの要素全てが高いかというとそうでもない。
 私は昔から、片付けや掃除が絶望的に苦手だ。ちゃんと片付けたほうがいい、いるものといらないものを徹底的に分けたほうがいい、そのほうが暮らしやすくなるとわかってはいるけれど、「でもあれはあの時使ったし」「これも使うかもしれないし」と思って捨てられない、動かせない、現状維持に次ぐ現状維持、溜まりに溜まって散らかっていくパターン。
 Si高い人、本当に片付け得意ですか?

②自己犠牲

 ある程度の譲歩とか、相手に合わせることは必要だと思う。
 でも自己犠牲って、身を削ってでも人のために尽くすことでしょう? それはどっちかというと苦手かな。
 若干時間が押していても、相手の話が終わるまでは付き合っちゃう⋯⋯ぐらいならあるけど、それは誰でもあるよね?

 私はFeに引きずられると他人との距離が近くなりすぎて共依存になったり揉めたりしやすい。それでTiを開発するのが自然なISFJの流れで、自分もそうしているつもりだった。

 でも最近気づいた! 私が開発してきたものはFiだったのだ!

 Tiを使ってお互いの距離をはかったり、なぜそうなっているのか分析したりしているつもりが、いつの間にか「私はこれが好き、あなたはこれが好き、それぞれ良いね!」という方向性でFeの暴走を止めていた。

 それはFiだ!

 Tiの開発もあきらめていないけど、Feが悪い方向に行かないためのストッパーとしては、Fiってけっこう優秀なんじゃないかと思う。穏便に線引きができて自己犠牲も避けられる、良い機能だよね。
 Tiよりも切り替えが楽で済むし、ということで次は「切り替え」について。

③切り替え

 ISFJが苦手とされていることのひとつ。
 これは時と場合によると思う。仕事や公的な場所だったら、どんなに話していたくてもパッと指示に従って黙れるし、自分の感情を一旦置いて接客に専念したりもできる。

 でも恐ろしいトラウマとか、こうなったらどうしようという不安に囚われると、なかなか抜け出すのが難しい。
 私は人との不和が怖いので、家族や友達と口論をして拗れるパターンを何度も頭の中で再生して悲しみに浸ったりしてしまう。

 ただそれを人に押し付けることはないし、自分の感情で人を振り回すことは少ないと思う。
 ISFJはNeが低いから自分の感情を押し付けてくる、と思われがちだけど、人に対してグイグイ自我を出していくタイプではないと私は思ってる。
 むしろ対人に関してはわりと切り替えが効くほうなんじゃないかな。刺し違えたような相手じゃなければ自分から折れるよ。

④未知のもの

 これもISFJが苦手とされていること。
 はい苦手です!
 うねうねした紫色の軟体動物を目の前に出されて、これをどうにか調理して食べられる状態にしなさい、と言われてもどうしていいかわからない。
 知らない駅で降りたら東西南北すらわからない。

 子供の頃は特に、決まった道しか通りたくなかった。
 他の道には怖いものがあったからだ。
 お店の看板とか、動くおじさんの人形とか、そういうものがすごく怖かった。見た目が怖いんじゃなくて、色合いとか音とか、全部の情報を総合したものが絶妙な怖さを作り出していたんだけど、誰一人わからない感覚だったらしい。
 怖いものがない! という確証のある道しか通れないので、両親が苦労していたのを今でも覚えています。

 今は単純に、迷うことが怖い。「あっち行ってみよーっ!」「あれおもしろそーっ!」と知らない道に駆け込んでいく人の気が知れない。帰れなくなったらどうするの! という気持ちが強くて、何十年経っても決まった道しか通れないままだ。
 これもやっぱりトラウマに起因していて、ぐるぐる歩いている間に体調が悪くなったことが少なからずあるからなんだよね。

 でもこのままじゃ人生味気ない! Ne鍛えろって話よ。お話書く時にはいつも使えてるのに、肝心の実生活でいつまでも停滞してたら意味がない。
 とりあえずあさりのパスタに卵をかけてみました。おいしかったよ!

⑤デリカシーのない人

 別にいいんじゃない? と思うけど、自分に対して常に向けられていたら嫌かな。高校時代とか、メールで頻繁に「今何してる?」と聞かれるのが好きじゃなかった。相手にとっては意味があるのかもしれないけど、私にとってはまったく無意味なメールに思えた。

 ここまで書いて、これは聞き方の問題だなと思った。「お時間余裕あったら少し話さない?」「相談したいことがあるんだけど、忙しくなかったら聞いてもらえる?」だったら喜んでお返事したかもしれない。

⑥自分と真逆のタイプの人

 ISFJなのにあのタイプやこのタイプが嫌じゃないの? とよく聞かれます。
 結論からいうと、タイプ単位で嫌な集団は特にないよ。
 特にこういうところの記事は、自分とまったく違う人の意見が面白かったりするし、MBTIとかエニアグラムの記事では思考型の人の分析力がものをいう部分が大きいと思うので、いつもお世話になっています。

 でも! 私は交友範囲が恐ろしく狭いので!
 リアル世界で真逆のタイプと出会う機会そのものがほとんどありません!

 よって、深い付き合いをするのは自分と似たようなタイプの人ばかり。
 そうすると当然、揉め事もその中で起きてくる。
 私の揉め事は「嫌われる」とか「悪者にされる」とか「被害を訴えられる」といった内容が多い。これは真逆のタイプとの間ではあまり起きないことだと思う。感情型の村社会の揉め事しか経験していないので、「思考型苦手じゃないの?」と言われてもピンとこないのだ。

 自分と全然違うタイプの人と実際に深く関わろうとしたら、おそらくお互いに苦手な部分は出てくると思うけど、嫌いというよりは理解し難い、深入りしづらい、という感覚になりそうな気がする。

 フィクションでは真逆のタイプを好きになりがち。これはあるあるだと思う。

友達(INFJ)
アンパンマンではカレーパンマンが好き。サザエさんではカツオが好き。
→二人ともESTPだよね?

私(ISFJ)
アンパンマンではばいきんまんが好き。サザエさんでは堀川君が好き。
→二人ともENTPだよね?

 フィクションは基本ないものねだりだと思ってる。
 私クロミだけどマイメロみたいな性格してるもんね。

終わりに

 あれは苦手かな? これは大丈夫かな? と頭で考えている時は、そんなに嫌いなものなんてないし、だいたいのことは許せると思うんですよ。
 ところが実際にそれが起きてみると、そう簡単に対処できなくて感情を乱したり手こずってしまうのが己の弱さだと自覚しています。はい、もう、嫌というほど!(T▽T)

 苦手も含めて個性だけど、時間をかけてでも得意を増やしたい! と思うのでした。

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