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痛みのはなし

患者さんは痛みについて語り、鍼灸師は痛みについて話を聞く。
ここには何でもないようで、実に多くのことが含まれていると思う。
患者さんは問診時に、日々の痛みについての体験を語ってくれる。
体験の語りの前にはまず体験があって、患者さんはそれを思い出しながら、鍼灸師に向かって言葉にして伝える。
そこには、体験を思い出す作業、相手にわかるように言葉を探し、うまく並べる作業が含まれる。最終的にこちらが受け取るものは、体験そのものではなく、体験の語り、体験の意味やストーリーと呼べるものかもしれない。
こちらが声を一生懸命に拾おうとする姿勢でいると(診断的な評価だけを目的としない)、患者さんは言葉だけではなく、声のトーンや話すスピード、その方のもつ語り口、その方らしい表現のあり様をもってして、その患者さんがもつ痛みについての意味を多義的に表現してくれる。例えば、いくら訴えても整形外科医に感じている痛みについてわかってもらえなかった、というストーリーから、一方で重大な病気でないことが分かった安心感だったり、「痛みの原因は旦那やねん」とおっしゃられる痛みの背景のストーリーだったり、そこには「いまだ語り終えられないこれからの物語」が含まれていて、こちらもできる限り一緒により良いと思われる、新しい物語を一緒に作ってゆくお手伝いができたらと思う。メキシコを代表する女性画家のフリーダ・カーロのいばらやハチドリと共に描かれた自画像は、言葉ではなく、絵画で痛みを表現している。18歳の時に遭遇したバス事故の後遺症の苦しみは彼女の芸術表現の源泉にもなっていると思われる。
その方の痛みの体験そのものは生理的な体験であって、その体験をどのように意味づけるか、という点についてはアートに昇華されることさえあることを心の片隅におきながら、患者さんの痛みのはなしを聴くことができればいいなと思う。


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