理解すること
以前患者さんに聞いた話。
地元のよく治ると評判の皮膚科を受診し、ドクターに症状の経緯を話そうとしたら
「余計な事は話すな」といわれ
さっと診察したあとさっさと別の病室にいってしまったという。
それで病気はというと
処方された薬で治ってしまったというから
良かったのだが
私はその話をきいて何てコストパフォーマンスがよいのだろうと感心しつつ
まさに木だけをみて森を見る必要がないという典型例だと思った。
木をみるとはまさに
「病気」を理解して「診断」することだ。
客観的な理解なので、患者さんの主観はもしかしたらノイズとなるのかもしれない。
逆に患者さんの主観の森の中にさまよいながら理解してゆくやり方もある。
アセスメントといったらよいのか、ノイズをブリコラージュしながらすすめる問題解決的なアプローチだ。
木を見て森をみない理解はスッキリしてわかりやすいが、あまりにも患者さんが置いてけぼりになってしまう感がするし、さりとて、後者の理解で、あまり森に深く迷い込んでしまう危険性もぬぐえない。
豊かな理解のあり方を求めてゆくと
このような葛藤は避けて通れないだろう。
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