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それは「甘えたい」っていうんだよ!

姉から「死にたい」「消えたい」等、希死念慮を滲ませたLINEがちょいちょい届く。それはもう、かれこれ7年は前からだ。

始めのうちは心配で返答に頭を悩ませて、下手に励まそうとしたり(逆効果)、反論してみたり(さらに逆効果)色々試してみたものの、最近は一読後そっとスルーしてやり過ごし、時間を置いてから何事もなかったかのように、もらったメッセージのどうでも良い一部分を取り上げて、当たり障りのない返答をしている。

LINEがきた時、はじめは「ああ、どうしよう…」と真面目に頭を悩ませていたが、就活や就職、仕事、職場の人間関係等々、社会人に足を踏み入れ自身の余裕が無くなるにつれ、徐々に姉の「死にたさ」と直面すること自体がしんどくなって上記の対処法に至った。直面を避けて、自身の感情がしんどい方へ動いてしまわないよう逃げている。

それなのに、ここ最近きたLINEのメッセージは、猛烈に感情を動かしてきて、一読後に怒りが湧いてきた。そこには「家族で無理心中してやる」とあった。ここでの「家族」は、実家に住む両親のこと。姉はちょいちょい実家に立ち寄る。

正直な所、本人の「死にたさ」より、家族を巻き込む表現を使ったことの方が、自分へ強く作用した。

表現として、姉自身の「死にたさ」に家族を巻き込んだのは、好きだからなのか、むしろ嫌いだからなのか、混在する両方なのか、1人でなければどちらでもよかったのか、その辺りは定かではない。本当なら読み取るべき真意があったのだろうが、この時点で自分の両親を「死にたさ」に巻き込まれたことで思考が停止してしまった。

怒りのままほったらかしにしていたある時、新しいメッセージが届いた。

『(前略)「どうして親に向かって死ぬとかいうの」って怒られたから死んでやる』
『こんな親じゃなくて優しく甘やかしてくれるお母さんがほしかった』

…拍子抜けしてしまった。わずかに残っていた怒りも何もかもが溶けてしまった。
心の中で盛大にツッコミをいれた。

…あのですね!
それは「死にたい」ではなくて、
「甘えたい」って言うんだよ!

私の、怒りに使ったエネルギーを返してくれ笑

いや、最初の「死にたさ」と2番目の「死にたさ」が連続したものであるかはわからないし、本人の欲求にしても、おそらく本人の1番に自覚しているものは「死にたさ」なのだろうとは思うけれど、その根本には「甘えたさ」やその他諸々の欲求や感情があって、ただ、他人にぶつける際には、そこには言葉を与えずに「死にたさ」で一括りに表現しているのだと思う。
正確に、「死にたさ」が先で「死にたい」と言いその相手が親だったから「甘やかしてほしい」が出てきたのか、「甘やかしてほしい」を根本の一部として「死にたい」を表現したのか、は、他人からはわからない。
ただ、その時表出した「死にたさ」の一部は、明らかに「甘えたさ」の欲求だったのだ。

…それならば。
「甘えたい」と言ってくれ!


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姉は3人姉妹の真ん中っ子。
末っ子の自分は「末っ子はずるい」とも、「お母さんはいつもあんたのことばっかり」とも、よく言われてきた。
つまり、末っ子への嫉妬という形で出てくる欲求の対象は「母の関心」であり、ここが前出の「甘えたい」のポイントであると思っている。

受験期が1つ、対照的な事例かと思う。
2人の姉が進学を機に上京し、自分の大学受験期は一人っ子状態、受験は母親と二人三脚だった。
受験期に体調を崩してしまった(まともに食べられなくなった)自分は、大学のいわゆる偏差値がまあまあ高かったこともあって(つまり、母親の世間体を満足させる節もあって)あれこれと気を遣ってもらっていた。
姉の大学受験は、自分の高校受験と重なっていたこともあり、母親は姉に付きっきりとはいかず、親子間で進路に揉めたこともあってか、サポートしていたとはいえ距離感があったことは否めない。
さらに後期試験で姉と母の上京中に東日本大地震が起こったことで、当時水道もガスも止まっていた現地に父と留まる自分に関心が向いてしまったことも、追い討ちをかける「ばっかり」の要因になったのかもしれない。

姉が精神的に不安定になったのは、大学時代にストーカー被害にあってからと認識していたが、それはきっかけに過ぎなかったのかもしれない。
真ん中っ子故の、甘えたくて甘えられなかった幼少期からの、そして、受験期という鮮烈なストレスの記憶故に容易に比較され顕著になった「満たされなさ」が、ストーカーというこれまた強いストレスを呼び水として、以降、他の要素も吸収しながらずっと暴れ回っている…のかもしれない。

逆に、末っ子の自分は自分で、誕生日や運動会など自身のイベント時に姉の入院で寂しかった思い出、姉達が大きくなるにつれ家族イベントが無くなっていった思い出、共に暮らす子どもが減るにつれ家族で無くなっていく感覚があり、また、親との残された時間の長さをとってみても、寂しさという点での「満たされなさ」では、立場は逆だと思っているのだが。


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姉と妹とで裏腹な「満たされなさ」。
姉の、この「満たされなさ」と「死にたさ」の関係、「死にたさ」の正体は結局のところは本人しかわからない。
本人にもわからなくて、すべての苦しさをひっくるめて「死にたい」と表現するのかもしれない。

だけど、自分が思うには。
それは、その一時に限っては、その感情は満たされない「甘えたさ」と呼べるもの。

「甘えたい」と言ってみたらどうだろう?
「甘やかせ」と言ってみたらどうだろう?

たかが言葉1つ、されど言葉1つ。
貼りつけたラベルが変われば、それがきっかけとなって世界の捉え方が変わるかもしれない。

今さら親を相手に、逆縁の悲しみを味あわせるような脅しをかけて、「甘え」を満たそうとするのではなく。

それは、その真ん中っ子故の「満たされなさ」を知らず、以後も知ることが(ありがたくも)叶わない、末っ子故の戯言だと言われるのかもしれないけれど。

#姉妹 #真ん中っ子 #末っ子 #甘え
#親子 #言葉 #日記

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