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日記 夫婦のこととか

朝起きたら、熱帯魚がいなかった。

オレンジ色で人懐っこいレッドグラミー。水槽を覗いて数秒、そうだ、深夜に埋めたんだったと思い出した。容態が急変して2日、静かに彼女は息を引き取った。もう会えない。

たかが魚、と言う人もいる。
そういう人は、祖父が亡くなったときも「そのくらいで」と鼻で笑った。私の痛みは私の痛みだ、そう分かっていても、あいまいに笑い返すたびすこし胸が詰まる。
空の水槽を撫でて、弱りながらも健気に私のほうへ寄ってきてくれた姿を思い出す。最後の日、ずっとそばにいられてよかったと、それだけは嬉しく思う。

こんな日にも仕事は降ってきて、でもなぜか今日に限って頭がよくまわり定時前には片付い
てしまった。外に出ると、湿気を帯びた熱に包まれて、サウナみたいだなと思った。フルリモート勤務の自分には、季節の変わり目がわからない。知らないうちに、梅雨は明けていたらしい。

前の職場の後輩と、近所のカレー屋に行く。必死に伸ばしている私とは対照的に、彼女のばっさりと切られた髪が眩しかった。カレー屋では前菜やメインを食べたらふたりともおなかいっぱいになってしまって、カレーやナンに辿り着けず店を後にした。ふたりとも、すこしバテ気味な感じもする。やっぱり今日、とても暑いよね。毎日外に出ているひと、それだけで本当にすごいよ。

カフェに行って話した後、残業終わりの夫と合流した。21時半。家からほど近い馴染みの海鮮居酒屋に入る。まだやってますか、と聞く私に、店主が疲れきった顔で、皿を片付けてくれたら…と言う。入店すると、カウンターがたくさんの皿やグラスであふれていたので、夫と手分けして全ての食器をカウンター内へ渡す。そのとき、入口側の席からドスの効いた嫌な笑い声が飛んだ。

「おい、初対面じゃないよな?」

30代半ばの男性の、威圧的で挑発的な大きな声。無視して皿を店主に渡す。ねえ、ねえと声が続く。店主が止めに入るが、酔っているのだろう、声は大きく乱暴になっていく。
前回この店に来たとき、絡まれて嫌な思いをした覚えがある。同じ客だ。ガラが悪いその人を真正面から見据えても、たじろぎもしない。会ったことあるだろぅ、どこで会ったか言えよぉ、と呂律の回らない口調で言われたので、私は強めの声を出してさっさと座る。

「そうですね。会社の廊下とか」

男性の笑い声がぴたりと止まり、え、え、、と小声に変わる。こんな見え透いた嘘に対する萎縮の仕方があまりに露骨で、逆に笑ってしまう。
隣で困っている夫に、「放っとこ、何食べる?」とメニューを見せる。大事なのは、こちらが堂々としていることだと、大学生のころひとりでバー巡りをしていて覚えた。私は他人の玩具ではないので。

小さい店だが、店主が早朝から市場で仕入れている魚は美味しい。もりもりと海鮮丼を食べる夫を見ながら、私もお刺身を食べた。帆立、真鯛、カツオ、蛸。日本酒は夏酒が出ていたのでいただく。夏っぽさはよくわからないけれど、ちょっとだけ特別感があって嬉しい。ガラの悪い彼がまたしつこく話しかけてきたが、「夫が食べているので静かにしてくれます?」と言ったら黙った。ごめんごめん、と夫がすこし困ったように笑いながら頬張る。

店主と他愛のない話をしていたら、自然と愚痴を聞く流れになった。お子さんが3人いて、彼は家族を養っている。仕事をせず、家事育児をしているパートナーから「私は毎日こんなに大変なのよ、あなたよりずっと大変なの」と詰られたらしい。

仕事というのはある種、逃げ場だと思う。家庭以外にある居場所で、やりがいがあってお金が稼げて、自分の価値も認識できる。でも、家事育児は違う。日々がひとつの「家」に閉じ込められる。ママ友だって家つながりの関係性だ。まだ小学生の子どもを3人も抱えて、閉鎖的な場所で毎日毎日毎日、やって当たり前とされることをし続ける。それは、凄まじい大変さだと思う。私には想像もつかない。

……というようなことを返して、でも、家族のために朝から晩まで働いてる自分の仕事を比較して落とされたらそれはそれで嫌ですよね、なんて話していた。カウンター10数席の店ではあるけれど、ドリンク、料理の切り、焼き、煮、揚げなどをひとりでこなし続けるのだって、凄まじい労力だ。

そうなんだよ、でも嫁は働いたことないから伝わらなくて、と続ける店主に、急に「おい、それは違うぞ」と声が飛んだ。さっきの、ガラの悪い客だった。

「俺たちみたいな仕事が大好きな人間が、やりたいように仕事ができてるのは、嫁が子どもを見てくれてるからだろ。思っててもいいけど、絶対に本人にそれを言うなよ」

さっきとはまるで人が変わったかのような彼のはっきりとした物言いに、私は唖然として「急に、まともなことを……!?」と言ってしまった。すかさず、彼の連れの男性が「本当にすみません、普段はちゃんとまともな人なんです」とフォローを入れる。
まともな人の要素はなかったのに、と驚いたまま見ていると、彼は続けた。

「結婚して1番よかったのは、子どもが生まれたことだ。あんなに幸せなときはない。今後一生、一生、あんな幸せはない」

あまりにはっきりと言い切るので、驚きを通り越して感心してしまった。酔って横暴な彼しか見たことがなかったので、意外に思った。と、同時に、大学のインタビューの授業で「自分とは意見が合わない・倫理的でない・支持できない考えや行動の人の話は、どのように聞くのですか」という質問への先生の返答を思い出した。

『そうですね、自分とは意見が合わない方の話を聞く機会はよくあります。支持できないこともある。でも大事なのは、とことん、話を聞くことです。話を聞いて聞いて、聞いた先にその人の素がある。本当の言葉がある。それを聞くのが、インタビューです』

この言葉は、ずっとずっと私の中に残っている。もちろん、仕事としてのインタビュー相手と飲み屋で絡んでくる酔っ払い男は同列に語れない。それでも、そんな酔っ払いの彼が突発的に明瞭に放った言葉は、その後の言葉たちを聞くにつれて、「本当」なのだと思えた。名前も職業も知らない厄介な人だけれど、本当の言葉は、その場にいた人たちを黙らせて考えさせるたしかな力があった。

無意識に彼を下に見ていたなと反省をしながら店主を見ると、「本当に、子どもはよいよなあ…」と遠い目をしている。そうなんですか、と聞くと、ふたりは子ども欲しいと思ったりするの? と聞かれた。
時と場合によっては嫌な質問で、というかほとんどの場合が嫌な質問だけれど、なぜかまったく嫌な気持ちにならなかった。

子どもは欲しいなと思いつつも、仕事が楽しくなってきていて。悩む時期ですねえと答えると、そかそか、と頷きながら店主は言った。

「仕事はこれからずっと、どんどん楽しく忙しくなるんじゃないかな。迷うくらいなら、子どもを選んでみるといいよ」

迷うくらいなら、と言われたときに、子育てなめんなよ、迷う程度ならやめろと言われるかと思った。迷うくらいなら、選んでみる。なるほど?

「キャリアとか、難しいこともあると思うけど。欲しいなら選んでいいと思う。なるようになる、というか、どうにかしないといけなくなるから。大丈夫だよ」

このとき、ああ、この言葉が欲しかったんだな、と思った。子育ての辛さ苦しさままならなさは、もうじゅうぶん、SNSで、親の愚痴で、ニュースで、判決文で、嫌になるくらい見て聞いているから。

子どもがいてよかった。生まれてきてくれて嬉しかった。自分の人生で1番幸せな出来事だった。そのためなら頑張れる。そういった言葉であふれた店内は、なんだかしんみりとした空気で満ちて、とりあえず私たちはガラが悪かった彼を「ならさっさと帰りなさい」と送り出した。当然です。またね。

今の時代、賛否両論あるだろうけど。女性のキャリアが一時的に止まることの課題は、まだまだ大きいけれど。
私は彼らの言葉を無責任だとは思わなかったし、綺麗事だとも思わなかった。私がそこでなにを思ってどうしたとしても、それは私の決断と行動だ。私が悩み、足を出し渋っている未来へ背中を押してくれるのは、案外やさしい言葉なのかもしれない。私はきっとずっと、希望が欲しかった。

私たちは家までの短い距離を、黙って手を繋いで歩いた。
夫は、外ではほとんど口を開かない。それが頼りなさと言われたらそうかもしれないけれど、別にいい。うちは、妻が夫を守るのだ。代わりに、私が感情的なときは夫が理性的に決断する。私が決めきれない大切なことは、ほとんど夫が責任を被って決定してくれる。そういう夫婦なのだ。私たちは。

家に帰ったら、熱帯魚がいなかった。
亡くなった現実にまだ慣れないまま、私たちはいつも通りの日常を進めていく。子どもは産まないかもしれないし、いつかふたりはひとりずつになるかもしれない。それでも、今日はふたりを続けていくのだ。私たちらしく、1歩ずつ。

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