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あの日から1年、私たちは。 | エッセイ

結婚式を挙げてから、今日で1年が経った。

笑ってしまうくらいにあっという間の1年だった。大学に入って、仕事も忙しくなって。理由は様々あるけれど、どんな方面も満ち足りた1年だったと思う。

本当は、結婚式はしないつもりだった。
私も夫も主役になるのが苦手で、皆にお金を使わせるのも気が重かった。それでもやるか、と決行した、そんな式だった。

11月の秋晴れは風が冷たく、でも日差しは刺すように鋭かった。白無垢はずっしりと重く、下駄はすぐ脱げそうで心もとなかった。
少なくはない人たちの前で主役でいることは、すごく怖くて汗が止まらなかった。浅草神社の駐車場で見上げた空が、どこまでも濃い青だったことを、ずっと忘れないと思う。

結婚式では、私の母以外誰も泣かなかった。
「誰も泣かない」ことを目標にしていたので、ほぼ達成されたといっていい(母はひどく涙脆いので諦めていた)。

生い立ちムービーなし、友人挨拶なし。ケーキ入刀なし、余興なし。
親族の挨拶まわりも禁止。神社での挙式はかなり気を張るので、その分披露宴ではみんなにゆっくり食事や会話を楽しんで貰いたかった。

結婚式は歴史ある厳かな神社で、レストランは食事が美味しくホスピタリティが完璧なところでと決めていたので、それぞれを最大限堪能してほしかったのだ。

結婚式をして、こうだったらいいなとぼんやり思っていることがある。

いつか、列席してくれた誰かが浅草を訪れたとき。テレビで見かけたとき。
そういえば、結婚式があったなあと思い出すそのときに、浮かぶのが美味しい食事であってほしい。
浅草神社本殿の、荘厳な装飾であってほしい。
休憩所から見下ろした浅草寺であってほしい。
身につけた振袖の牡丹の柄であってほしい。
久々に再会した友人との会話であってほしい。

心に残るのが、私たちや結婚式そのものではなくて、感動なんかじゃなくて、もっと断片的なものであってほしい。結婚式や私たちのことは思い出せなくたっていい。端々の美しいものを持ち帰っていてほしい。

私は、それがいちばん嬉しい。
そんな価値ある時間になれていたら。

結婚して私たちの関係性の名前は変わった。
親族は倍以上になり、実家が増えた。私たちの好きなことばかりはできない。義務も義理も増えた。でもそれは決して、窮屈なことではない。

嬉しそうに話しているみんなの姿。
目の前にサーブされたお皿に釘付けになる様子。
腕を伸ばして乾杯する母と義母、義父。
次の飲み物を迷う様子。
細かく気を配ってくれる、店員さんたち。
昔の写真を見ては盛り上がっている笑い声。

今でもはっきりと思い出せるその景色は、式のメインではない些細なシーンたちだった。そんな小さなひとつひとつを、夫と和やかな気持ちで眺めることができることこそが、あの席の特権だったのだと思う。

あの日から1年、私たちは変わらぬ日常を過ごし、時に諍い、許し、笑い、労りあって過ごしている。足りないことばかりだ、幼いばかりの私たちだ。反省ばかりの私たちだ。

時おり結婚式の写真を見返す。
ああすればよかった、こうして欲しかったなんて無限に湧いて出る。みんなは、楽しんでくれただろうか。退屈ではなかっただろうか。
でも、本人たちの知らぬ間に撮られた笑顔の写真を見て思う。

結婚式をして、よかったと。


photos by 松本慎一(トナカイ)

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