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海を亡失する | 創作

「危ないよ」
欄干から身を乗り出して海を眺める私に、夫が不安そうに言った。5~6メートルほど下に広がる水面は、穏やかに波打っている。
「大丈夫だよ」
私は笑って返事をする。
夫は心配性なのだ。欄干は簡単に壊れたりしないし、私は急に飛び込んだりしない。面白がって私がわざと大きく身を乗り出してみせると、夫は困り果てた顔で私の腕を掴んだ。
「ねえ、危ないって」
はあい、と言ってしぶしぶ私は欄干から離れる。高所に行くたびにするこのやりとりはなかなかやめられない。子ども染みているなんて分かっているけれど。

8月後半とはいえ、青森は25度と過ごしやすい。晴れていても日差しが眩しすぎることなく、肌にあたる風が少し寒いくらいだ。1週間の休暇をとって東京から訪れた私たちは、平日の昼間からビールを飲んで海鮮丼を食べ、こうしてのんびりと過ごしている。
眼下の海は浅く、透き通っていて底が見えた。目を凝らすと、小さな小さな魚がたくさん泳いでいる。浅瀬はそのまま浜辺になっていて、幼い男の子が2人と、彼らの両親と思しき男女が見えた。
「ああ、あんなにびしゃびしゃになって……」
夫が穏やかに目を細めながら言う。
目線を追うと、足だけ海に入った男の子たちが、水をかけ合って服のまま全身びしょ濡れになっているのが見えた。両親は怒ることもなく、近くでそっと彼らを見守っている。着替えはあるのだろうか、などと野暮な心配をしながら、私たちはしばらくその家族を眺めていた。

青森駅からほど近いこの場所に来たのは、4年ぶりだった。
地元でも就職先でもない、住んだこともないこの地のことを、私は観光客にしてはよく知っている。お気に入りのカフェがあり、地元民が通う温泉を知っており、初めて訪れた人の案内くらいはできる。4年前、当時付き合っていた恋人が住んでいたからだ。

あのとき、私はまだ大学生だった。
2年付き合った先輩が青森に就職しても特に不安がないような、能天気で楽観的でなにも分かっていない子どもだった。
貧乏学生らしく、私は13時間かけて深夜バスで何度も会いに行った。見たこともないような量の雪が降り積もる青森は、とても寒かった。

「ねえ、危ないって言ってるでしょ」
夫の声に我に返ると、私はまた無意識に欄干から身を乗り出していた。ごめんごめん、と笑いながら身を引く。波打ち際にまで魚がいるよ、と指さす夫に相槌をうちながら、4年前にここに来たときのことをぼんやり考えた。

思い出せない。
なぜだろう、何度思い出そうとしても、当時のことを思い出せないのだ。たぶん、寒かった。雪が降り積もっていて、橋は立ち入り禁止だったはずだ。同じ場所で海を眺めていたと思う。ひとりで?  恋人と?  私はなにを考えていたのだろう。
当時の写真を探して見てみたけれど、ただ雪に塗れた風景があるだけだった。おかしいな、と思った。そんなはずないのに。

私はたぶん、記憶力がいい。
部分的に映像記憶が可能で、そのときに相手が言ったことや服装、天気や温度まではっきりと思い出すことができる。2歳のときの庭で遊んだ記憶も、小学校の入学式も、夫と初めて食事をしたときのことも、はっきりと覚えている。忘れたいと願うことすらなかなか忘れられないのに、なぜ、あの日のことだけは記憶からすっかり抜け落ちているのだろう。記憶を手繰り寄せようとしても、それはさらさらと砂のようにすり抜けて落ち、消えてしまうのだ。

ううむ、と唸りながらまた私は海を見下ろした。
遠目で見ると真っ青なこの海は、近くでよく見ると緑と茶色が混ざった色をしている。あのときの海も、こんな色だっただろうか。そんなことも思い出せない。
きゃっきゃと子どもの笑う声がする。
流木を振り回す男の子は、重さに耐えられず尻もちをついてしまった。もともと全身びしょ濡れだったその子は、気にもせず無邪気に笑う。やれやれ、といったように大きな荷物からタオルを出したお父さんを見て、隣で夫が、よかった、と呟いた。4年前、あの人も欄干から乗り出す私に「危ないよ」と言ったのだろうか。

夫が、ちょっと散歩しようかと言う。手を繋いで私たちはゆっくりと橋を歩く。

眼下の家族のような眩しい未来が、私たちに訪れるかわからない。訪れたらいいなとは思うけれど、そうでなくても、またこうして2人で休みをとって日常から離れた土地でのんびりできたらそれでいいと、私は思う。
4年前の海もきっと、ただ広く綺麗だったのだろう。取りこぼしていく記憶に思いを馳せることももうないかもしれない。ほんの少しの寂しさもないまま、私は夫を見上げる。

あの日の海を亡失した私は、今日のこの海を覚えていよう。ゆっくりと波打つ、いっぱいに広がるこの海を。幼い子が無邪気に遊ぶ、その穏やかな光景を。

手を繋いで、私たちはゆっくりと歩く。

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