心を動かす表現力
以前「心を動かす表現力講座」と題してプレゼンさせて頂く機会があったので、その内容を改めてnoteにも文章として記したいと思います。
表現
することが好きな、私の話。
自己紹介
表現の始まりは、習い事から。
幼稚園の頃からピアノ、バレエ、エレクトーン、小学生の時は書道、作曲なんかも習っていました。中学生になって、部活で新体操を始めて、学校行事でも音楽とか踊ることを生かしたことを沢山させてもらいました。体育祭のパフォーマンスの振付やったり、合唱コンクールの編曲やったり。
思い返すと、物心ついた頃には、いわゆる表現活動をしていたのだなと思います。もちろん当時はただの日常の一部でしかありませんでしたが、自分がやっていたからこそ、沢山コンサートにも行ったし、美術館なんかもよく連れていってもらって、表現物に触れている時間はかなり長い方だったのかもしれません。
毎日の生活の中に、当たり前に表現活動が溶け込んでいた私が、表現を表現だと始めて認識したのが、ミュージカルとの出会いでした。
ミュージカル
ひょんなことから高校生でミュージカル部に入ることになり、初舞台の練習をしていた夏休みのある日。その日は実際の舞台での練習で、私は1曲歌い踊り終えて、先輩からのアドバイスを待っていました。その時に言われた言葉が、今でも忘れられません。
「ミュージカルは、言葉で伝え切れないものが歌になって、歌でも伝え切れないものがダンスになるんだよ」
その瞬間私の中で何かがビビっと震えたのを今でも鮮明に覚えています。
そこまでして伝えたいものがあるのか!!
と衝撃を受けました。
そこから、ずるずる、ずるずるとミュージカルの面白さに引きずり込まれていきました。
今考えると、歌とダンスにも限らないんですよね。衣装があり、照明があり、道具があり、そして劇場という空間がある。使えるもの全て使ってやるぞ感が、ちょっと我儘でものすごく好きです。
表現のプロセス
私がミュージカルでお芝居をする中で学んだことの1つが、何かに対して反応するところからお芝居は始まるということ。相手が振り向いたから恋に落ちる、事件が起こったから復讐しようと決意する、愛する人が亡くなったから悲しみに暮れる。
つまり、自分から何かが始まる訳ではなく、何かを見て、聞いて、感じるところから始まる。
これって全ての表現に共通していることだと思うんです。
もっとシステムっぽく言うと、
インプットして、それが自分の中で様々な形で咀嚼されて、アウトプットされる。
私にとって音楽とか踊ることってアウトプットの手段のひとつに過ぎないんだということに気付きました。科学と芸術、とかそんな大層なものではなくて、言葉の代わりに音律を奏でてみたり、音ではなく身体を動かしてみる。自分のアウトプットの手段が増えると、心の中に渦巻く感情の行き着く場所の選択肢が増えるので、何かを抱え込むということがあまりないんです。
さらに、アウトプットする場所があればあるほど、インプットの質も上がってきます。インプットがなければアウトプットするものがないのだから、何かを見ること聞くことに敏感になるし、自分から感じにいこうとするようになります。
身体表現の面白さ
このnoteを書いているときに、友人のInstagramでなるほど…!と深く頷いてしまったものがあるのでここで引用させて頂きます。
なぜ身体表現、絵画、音楽
芸術は美しいのか
それは言葉を介さないからだと
ふと思った
言葉があると思想が生まれる
わたしとあなたはやっぱり違う。
その小さな差異はときに面白くときにノイズとなる
言葉を介さず
ただ美しいねと頷く
あなたとわたし
ものと時を共有して繋がっている
けど
自分が抱いた考えは誰にも踏み込まれず
聖域の中でただ美しく光る
たしかに、言葉はにはどうしてもその人の「考え」が含まれてしまう。
そう思うと、身体表現は、動き、音、動いた時に起こる風など情報量が多いなと思うんです。
この想いを感じてくれ!というより、その中で好きなところを切り取って感じてもらえたらいい。だから押し付けがましくない。
私がミュージカルとか、ダンスを通じて何かを表現したいと思うのは、感じ方の自由さがいいなと思っているからかもしれません。
(だからこうしてnoteとか文章を書くと、自分の文章うるさいんだよな…と思ってしまう)
制限が表現を面白くする
ここに関しては、以前記事で書いたので、是非こちらを読んでみてください。
表現の場
私は今色んな場で表現物を出しています。私の中で、それぞれ出すものの種類を決めています。例えば、このnoteは「整理された思考」、Instagramは「今この瞬間に作りたい作品」など。
その中でも一番の場所だなと思っているのは、「人と話す」こと。
話すことが表現?と思われるかもしれませんが、インプットとアウトプットを同時にして、身振り手振りがあって、その時の周りの雰囲気もあって、どんな服を着ているか?何を食べながら話しているか?目の前の世界がくるくる変わって、脳がフル回転するあの感じ、まさに表現って感じがします。
ちょっと芸術っぽいものからは外れてしまうけれど、会話の中から生まれるものを、他の表現方法に使ってみることは、よくあります。
色々な場所で、色々な表現をするためにやっていることは色々あります。
例えば、「嬉しい」「悲しい」「悔しい」などと感じた時、その感情を自分自身で認識して、受け止めること。感情が出てきたとき、こうしたい、と思ったことをそのまますること(私だったら、よく踊っちゃいます。) そしてその時の表現を紙に書くなり動画に収めるなりして、何か表現する場が与えられた時に、そこから引き出してくること。だってその表現は作った表現じゃなくて、感情から湧き出る本物の表現だと思うから。
他にも、Happy boxを作るとか
心を動かすことをテーマに1週間旅に出てみるとか、そんなことをしています。
今日は、私にとっての表現って、、、という話をさせて頂きました。
このnoteも1つの表現の場です。
言葉をしっかり紡ぎたい、と思った時にここに書きにくるので、
またふらっと覗きに来て下さると嬉しいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。