うちの猫の片方(茶トラ)は、 10歳の頃に糖尿病になりました。 私がフルタイムの仕事で朝7時過ぎに家を出るため、 朝ごはんを回収せずに置いていって日中残りを食べられるようにしていた。 その頃から徐々にわかってきたけど、 糖尿病にならなかった方の猫はちびちびと何回にも分けて食べる派で、その子が後で、と置いていた分も茶トラが食べちゃっていたようでした。 茶トラのオスは大きくなると本などでよく読んでいて、通常5キロ台、発病した頃はMAX7.4キロくらいありました。 さらに、
我が家は捨て猫出身きょうだい(多分捨てられたその日に拾いました)、 とても仲が良く 特に若い頃はいつもくっついて寝ていたので 私がパートの時もフルタイムの仕事の時も お留守番はさみしくなかったと思います。 (だからはじめから2匹飼おうと思いました) まず、拾ってすぐ 350g と 550g と あまりにも小さくて見失いそうだったので 上が開いたタイプの安いケージを買い トイレと水を入れて 私の半日仕事の留守中入れていました。 (夏だったので格子窓を網戸にして 北側の窓ま
何年も前に、アメリカでは犬猫のワクチンの効果が3年くらいあるから年1の接種ではない って見たことがあり、 その時住んでいたところの獣医さんと相談して 2年飛ばして 打っていた時期もあったのですが、 獣医さん併設のペットホテルに預けるには 毎年のワクチンが必須なので ほぼ毎年打っています。 (犬を飼っている知人も同じ理由で毎年受けさせていると言ってました。美容室に通うのにも必要とか。) お葬式や法事で飛行機でとんぼ返り なんて時に預かってもらいますが、 怒ってハンストし
来ている。 亡くなった子は、 リビングのドアを甘く閉めていると 隙間に爪を入れてドアを引っ張ってごじ開けることができました。 引き戸もドアも開けられる(ノブは高さが届かないけどあそこが動くから開くというのを理解しているようで背伸びして触ろうとしていた)賢い子。 亡くなった数日後、 ソファに座っていて 目の端には残された子がお昼寝をしている姿が見えるのに 斜め後ろのリビングのドアの方向から いつものカリカリとドアを爪で触る音が聞こえた。 ああ、来てるね。 まだ初七日も
臨終が近いきょうだい猫が寝こんでいるとき もう1匹はあまり特別な反応をしていなかったのですが、 遺体が預けられていなくなった後、 何度か亡くなる前に寝かせていた場所に行って クンクンして 『いないなぁ...』 みたいな顔をしていました。 『いないねぇ。 あの子はお星様になっちゃったんだよ。』 と 写真立てを見せると (お寺に持って行くといいかな、とプリンターで出力した可愛い写真) 『なんで!! こんなところにおるん!!??』 とすごい衝撃を受けたような
火葬の日は まだ暑いけれど空気は秋の 心地よい風の吹く日でした。 支払いなど手続きがあるのと、早めに行くと面会ができると聞いたので 朝から夫をせっつき、 お花屋さんに寄ってあの子に似合いそうなお花を買い、どうぶつ病院のDr.が亡くなった日に送ってくれたお花のアレンジメントとプリンターで出力してフレームに入れた愛猫の写真、お棺に入れるカリカリを持って車で向かいました。 (首輪も入れてあげたかったけど、溶けてお骨にくっつくのでプラスチックや化繊のものはNGでした) 何とな
うちがお世話になった火葬場付きのお寺では ・合同で火葬してお骨もお寺で合祀 ・預けて個別で火葬してもらいお骨を家に届けてもらう ・個別に火葬してお寺(火葬場がある)に出向いて葬儀(うちは夫の希望で初七日のお経もあげてもらいました。プラス料金。) 亡くなった翌日のお昼に霊安室への迎えが来ることが決まり、それまではまだまだ暑い秋のはじまりなので遺体が傷まないように 冷やさないと、と保冷剤をお腹やお尻の近くに置きました。 (ペットシーツの上に寝かせたり、穴に綿を詰める体液への
今年の早春、癌が見つかって余命を宣告された時に 東京郊外のこの近辺で ペットの火葬が出来るところを夫が探してくれていました。 その時リンクを送ってもらっていたけど なんとなく見る気にはなれず、まずは癌の確定検査のことで頭がいっぱいで、夫の説明で夜中でも対応できるところがあるらしい と聞いて安心していました。 愛猫が亡くなった夜、夫が帰ってくるまでのあいだ まず、臨終のオシッコで汚れたバスタオルから 新しいバスタオルに寝かせなおし(下にはペットシーツを) 10分もすると
愛猫の呼吸が止まった。 私が抱っこするのを待ってたんだな。 安心して腕の中で逝ったんだな。 そう思いながら、 彼女はもう十分頑張った、と この数日思っていたのに、 私が次の瞬間にとったのは 名前を呼び、 『頑張って! 息をして!』と体を揺さぶって懇願し 『わーーーっ!』と遺体に縋り付いて (本当にわーーっ!って言いました。 はじめて言ったな、と 自分でもこんなことをするとは思いませんでした。) でも、すぐ我に帰って 耳がまだ聞こえているかもしれないから 『大
(下記の文章には、ペットの臨終の生々しい表現があります。気分の優れない方は読まないで下さい。 私自身が、犬猫の最期の時の知識が少なかったので もし知っていたらもう少しだけ良い別れ方ができたかも、という思いで記録に残しています。) 亡くなる1年くらい前、 2回夜中にけいれんの発作がありました。 原因を調べるにはよその検査機関に紹介状を書いてもらって全身麻酔で画像をとる必要があるけど、けいれんがおこるということは癌を含め脳に異常がある可能性があるので麻酔から目覚めないリスク
最後の日も、病院はお休みだけど朝イチでDr.が点滴をしてくれました。 レジは開いていないので、お会計は次回と一緒で。 また次の日の予約を取ってもらって帰りました。 帰り道、車で そういえば 好きな猫まんがで お刺身のマグロで食欲が復活した話を読んだな...と思い出したけど、 今日はこの子を置いてお留守番させる気分にならない、とまっすぐ家に帰りました。 朝ごはんがまだだった私のおかず、焼き鯖を少し鼻先に持っていってあげると クンクン美味しそう、という風に嗅いでいたので赤ちゃ
いや、思い返すと 小さな頃は団地でセキセイインコを何代も飼っていました。卵が生まれたり雛に餌をあげたり、事故や猫にやられて死んだり。 お祭りの金魚も1年以上長生きしました。 いつも花壇に埋めてあげた記憶。 おばあちゃんちには室内犬のポメラニアンやシーズー、保護したシャム猫がいて夏休みは楽しかったな。 仔犬が生まれた夏もあった。(眠たくて起きて見届けることはできませんでしたが) その後引っ越した一軒家の実家では ビーグルを飼いました。 食いしん坊で、雨でもお散歩に行きたい
昨日の点滴のおかげで 翌朝起きて少しオシッコが出た。 ちょっと安心して、シリンジで水を飲ませ また数時間後にオシッコがしっかり出たので、 それから数時間おきにトイレに連れて行って介助してみることに。 トイレを踏ん張れずヨロヨロするけど支えているとオシッコできたり、でもその後そのまま中で横だおれで寝てしまったり。(慌てて砂を新しいものに入れ替えました) 昨日は寝返りもなかなか立ち上がれずにできなかったのに、今日は自力で立ち上がって もう1匹がお昼寝しているところまで歩い
その週末は夫が田舎(猫たちの生まれ故郷でもある) に用事で帰省していて不在でした。 土曜日の夕食から寝るまでご飯を食べなかったけれど 翌朝お腹が空いたら食べると思っていた。 日曜日、私は午前中家でzoomをしていて、 終わって昼頃 まだごはんを食べてないなと思い様子を見に行くと 横になっているが目を開けたままで倒れているような体調が悪い雰囲気。 右眼には瞬膜か目ヤニかわからないものが。 すぐ動物病院に電話して午後の診察の予約を入れたけど、ぐったりしているので診察までに呼
日々の投薬と毎月の血液検査。 少しずつ肝臓や腎臓の値が悪くなってきた。 週に3度だった抗がん剤、2日に一度だった痛み止めの間隔を徐々にあけて 内臓への負担を減らす。 抗がん剤が効いているので 減らして再び癌が増殖することがとても怖かった。 痛み止めは あまり痛そうじゃなく見えるので減らして(抗がん剤で癌が大きくなっていないから?)、 少しフードのくいつきが悪くなってきた頃 (顎の腫瘍のせいで食べにくくなってきたのかな) カリカリからウエットごほんに変更した。 とり
しばらくは月に1度の通院(血液検査と薬の処方)が続き 調子が良さそうで ごほんもカリカリをモリモリ食べられる月が続きました。 癌ではないかと言われた日から首輪は顎の骨に当たっていたいかもしれないので外し、 しばらくは私の天然素材の軽いブレスレットを首輪がわりにつけていました。 癌にエネルギーを取られるのと 減った体重を取り戻して体力をつけるために 欲しがるときはいつでもごはんをあげる体制に。 もともと、少しずつ何回も食べるタイプだったので ちょっと世話が煩わしい(もう