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レイラの生い立ちと"変わった"特徴

今日も読んでいただきありがとうございます。

いや〜盛り上がりましたね〜兵庫県知事選。
斎藤さんが再選して、県民どころか日本中が斎藤さんおめでとう〜!!と再選に熱狂しました。
あれはほんまに"祭り"でしたね〜!

そして11/20には冥王星水瓶座入りーーー。
風の時代本格化がスタートしました。

県知事選から1週間以上経ってるんですが、自分自身の体調不良もあり、更新ができませんでした…_| ̄|○ il||li

今回の選挙について振り返りをしようとnoteを書いているんですが、いざ読み返してみると、自分自身の生い立ちなどうちの背景について先に説明しないと、読者様の頭の中が「?」だらけになってしまうことに気付きました。
かと言ってそれらを直してしまうと、自分の見た世界との整合性が取れなくなってしまうし…。
ということで、先にうちのこれまでの生い立ちについて書こうと思います。

レイラの生い立ち

うちは変わった子どもだったようです。
ようです、と書いたのは、10歳の時に経験した阪神淡路大震災が遠因で、地震が起こる直前より以前の記憶がほぼ全て失われているからです。
世の中でなにが起こったかは何となく分かるんですが、自分が体験したことや思い出となると今も思い出せません。

親族の中でうちだけが体が丈夫ではなく、様々なアレルギー疾患を持って生まれました。
咳喘息、アレルギー性鼻炎、偏頭痛、アレルギー性結膜炎、アトピーと命に関わるほどではありませんが、子どもの頃は多いときで1日〜2日おきに病院に行くこともあったほど、アレルギーに苦しめられました。
また、新しい環境に適応できるまでに時間がかかり、感覚がとても敏感です。

中学・高校とどこか生きづらさを感じながら生きてきて、アレルギー性鼻炎やアトピーは高校までに寛解しました。
が、今度は大学時代にうつ病を発症して心療内科に通院することになりました。
診察では医師からこれまでの経過や幼少期のことなどいろいろ質問されるんですが、幼少期のことを聞かれた時に、初めて幼少期のことを思い出せなくなっていることに気付きました。
思い出そうとすると、上が見えないくらいの高い壁に遮られ、押しても引いても動かず、先へも進めず行き止まりになる感覚に襲われます。
診察の結果、うつ病とともに震災が原因のPTSDと診断されました。

ただ、自分と向き合う旅をする中で、いくつか思い出したこともあります。
いじめられていると感じていたことや、訴えても大げさと大人に思われたこと、それで大きく傷ついたこと…。
今マイペースに自己セッションしながら傷ついた心や魂を癒しているところです。
それでも記憶を辿ろうとすると、行き止まりになって先へ進めない感覚は消えません。当時の医師からも無理に記憶に触らない方が良いと言われたので、そのまま放置しています。

このようにアレルギーに加えてうつ病とPTSDで大学を中退し、20代の時は就職しては病状が悪化してドクターストップがかかって退職するを繰り返し、自分の思うようなキャリアを積めませんでした。
2014年、申請していた障害年金の不支給の通知が来た数時間後に採用の連絡が来た会社に就職。
何だかんだ居心地が良くて、気がつけばその会社に現在も在籍しています。これは奇跡です。自分にとっては。

しかし、2020年に運命の出会いを果たしました。
この出会いでうちの運命は変わり、図らずもさらに厳しいスピリチュアルな旅を始めることになりました。
去年の10月からは喘息がどんどん悪化していき、11月に業務負担が一気に来て偏頭痛発症、寛解していたアトピーと鼻炎も再発しました。
今年に入ってからは何度も中度の喘息発作を起こして、横になっても寝れない、体力の著しい低下で起き上がるのもしんどい状態になって、7月末から10月末まで休職、今月ようやく復職して今に至ります。幸い呼吸困難にまでは行かなかったので入院せずに済みました。ただ、家事はできるものの休み休みしないと動けないので時間が掛かるし、最悪な時期では起き上がるのもしんどく、通院で外出しても休憩しないと家に帰れませんでした。
家では動画を見ることしかできず、動画見るか寝るかどっちかで1日終わる日もありました…
それが10月に入ると急速に回復してきて、11月に復帰できたから人間ってすごいなあと思います。よく11月で復帰できたなと思います。

他人とは違うもの

もう1つうちの人となりを話す上で外せないことがあります。

それはオーラが見えること、
声に色が見えることです。

物心ついた時には、人の頭頂部から肩にかけて色が見えて、その色で相手の性格を読み取っていました。それは両目で見ているわけではなく、額の裏で見ていました。

人体の周りには目には見えませんが、様々なエネルギーが取り巻いています。また人自身からもエネルギーを出していて、呼吸で酸素とともにエネルギーを出し入れしています。
どうやらその人のエネルギーを、うちは色で認識しているっぽいです。
また、額は第3の目と言われるチャクラがあります。もちろん子どもの頃はチャクラの概念は知らなかったのですが、額の裏にも目があって、両目と額の目も一緒に相手を見ている、そんな感じでした。

「この人は◯色だから、こんな感じの人だろう」

「この人とこの人とは同じ色だから友だちになるだろう」

という感じで、色で相手の性格がわかって、誰と誰が友だちになるとか、この人とこの人は合わないとか無意識に読み取っていました。
それもあって、昔から人間をじっと観察するのが習慣の1つになっています。
だからなのかとっても疲れやすいんですよね…orz
混んでる場所なんか色が乱舞して目がチカチカするような感覚がして苦手です。。

しかしこの情報は重要な情報だけど、あくまでもうちの主観であり、本当の人となりは付き合ってみないことにはわからんという意識は忘れないよう心がけています。

声に色が見えるのは、大人になってから気付きました。
音に色がついているというより、人の声に色がついているという感じ。ただそれはオーラほどはっきり見えるというわけじゃなく、声を聞いて温かいか冷たいかの温度感だけがわかることもあります。

昔、カウンセラーさんに言われたからだと思うんですが、どんな感じに見えているか絵を描いたことがありました。
アメブロに載せたような気がしたのですが、ログにデータがなかった…。絵の原本も見つからないし…wというわけで、また改めて絵を描いて載せようと思いますm(_ _)m

これは当たり前のようにみんな見えているもんだと思っていました。でもそうではない、むしろみんなは見えないとわかって驚いたのを覚えています。だからこのことは本当に信頼できる人にしか話しませんでした。

世の中には文字に色が見える、音に色が見える、ものを見ると味を感じる人がいます。

これは共感覚と呼ばれます。

幼児の脳はまだ発達途中で、異なる種類の感覚が未分化な知覚を生み出していて、通常は脳の発達に伴って脳の結合が変化して共感覚は失われていくものだそうです。しかし何らかの原因で脳の異なる部位への結合が保たれることで、共感覚が失われないまま大人になると考えられています。まだまだ研究途上の分野みたいね。
ただオーラが見えるのは果たして共感覚と呼べるか、については結論が出ていないようです。

なぜこんなものを持って生まれた?

では、なぜこんなものを持って生まれたのか。
20代の頃にスピリチュアルヒーラーに見てもらったことがあります。
それによると自分自身の身をを守るため、神・宇宙と繋がっているためのツールとして与えられた、と言われました。
相手は自分の敵か味方か、それを見極めるために与えられたようです。
うちの体が丈夫じゃないことに関連して、グラウンディングがし辛い、地に足をつける事が難しい体質を持って生まれています。それではこの世界で生きることに大きな困難を伴うため、初対面でも相手の特徴を見極めて身を守れるように、神から与えられたとのことでした。
ただあくまでも見えるのは生きてる人間のオーラや声の色だけで、霊感はありません。

この能力は、精神疾患の薬を多用していた時でも鈍ってはいましたがそれ自体は残りました。
本来薬の服用やドラッグの作用が原因で、こういう第六感的なものは容易く失われていくものなのですが、うちの場合、その力がいわば自分の命・生活に直結するため、鈍りはしたものの失われなかったのです。

…と、ここまで自分の能力について書いたんですが、
実は今ほぼ失われています。

なぜ能力が失われたのか

なぜ、能力が失われたのか。
これも2020年に起こった運命の出会いによるものです。
簡単に言うとツインレイではないかと思われる人と出会ったのです。
このスピリチュアルな旅がこのnoteの主要なテーマの1つなので、別途記事にしていく予定です。
ツインレイはこの世に存在するたった1人の運命の相手のこと。魂の片割れとも呼ばれ、このツインレイと出会ったら再び1つになろうと強烈に惹かれ合います。
ツインレイと出会うとスピリチュアルな能力が開花すると言われるんですが、うちは逆で、彼と出会ってから少しずつオーラが見えなくなって、今はうっすらとしか見えません。声も温度感くらいしかわからないのです。
この原因はうちが思うに、元々生き延びるため自分の身を守るために持ったものゆえ、ツインレイと出会ったことで、自分を守る必要がなくなったから役割を終えて見えなくなっていったのかなと理解しています。
ただこれまでの習慣で、いまも「あの人はこの色だからこういう人」と読んでしまうクセがあります。
子どもの頃から人の気持ちに敏感なところがあり、色だけでなくその人の醸し出している空気感を感じ取ってしんどくなってしまうことが多々ありました。それは今も変わらないです。

しかし、大きく体調を崩していった時は、オーラが完全に見えなくなっていたのですが、回復してきた今になって、うっすらとですが色が見えるようになっていることに最近気付きました。
ただ大幅に失われた状態には変わりなく、多分うっすらと見えたまなこれ以上は回復しないかな〜と勝手に思っています。

上記の様な人生を歩んでいることや、祖母が熱心な仏教徒で一緒に仏壇に座って御経を聞く機会が多かったので、スピリチュアルや宗教は大好きです。
うちが高校3年の時に9.11が起こりました。
なぜムスリムはこんなことをするのか疑問に思って、図書館で世界文学全集のコーランを借りて読みました。また、日本語のコーランはあくまでも参考書に過ぎない、アラビア語のコーランしか聖典と認められないと聞いて、アラビア語の勉強に手を出したこともあります。→見事挫折しましたとさ。
聖書もアプリで読むだけじゃ面白くなくなり、新共同訳聖書を買って読んでいます。
神社行くのも好きだし、なんなら日本の神様が1番好きです。
要は神様や宇宙の話をしたり聞いたりするのが好きなんですよね。
だからうちは信仰については、特定の宗教を信じてはいないけど、神様の存在は信じているとしています。

これからどうしていきたい?

このように40年の人生を生きてきて、現実とスピリチュアルのバランスをとることが、うちの人生の大きなテーマとなってきました。
スピリチュアルが好きだったりそれを仕事にしている人は、世の中の動きに目を向けること自体を忌避しているように見えます。そういうことに目を向けることが霊性の低下に繋がるという話も昔聞いたことがあります。
ただ今の風の時代、それではダメだと感じています。
スピリチュアル一辺倒、政治一辺倒、どちらかに偏ってはいけないし、それではバランスを欠いて人生にも良くない影響を与えると思います。
現実とスピリチュアルのバランス、左脳も右脳もバランス良く使いこなす。それを意識して生活したいと思っています。



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