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「書かないと読んだことにならない」    「読まないと書いたことにならない」


レトリックなのか、哲学的な命題なのかわからない。

「人間は、どこから来て どこへ行くのか?」には、興味も到底頭も及ばない。

 生物は皆、初め似たようなゼリー状のようなもので出来ていて、やがてそれぞれが多種多様な個体に進化してゆく。人の胎児は、エラがありやがてしっぽが生えてくるという。個体発生には、このような進化の歴史を辿る系統性があるということだ。行き場を失ったような尾てい骨をついつい触って確認してしまう私の癖は、は私と言う存在が、意識であり、生物であると言うことにちょっと関係しているように思えてくる。

 時間や空間、夢や現実、自分や他者など、すべてに境目のない子どもの魔法のような日々が、今度は得体の知れない老人という魔術的時代へ戻って行くような気がしている。マックスウェーバーは近代を「脱魔術時代」と呼んだそうだが、宇宙の物質の95%は未知だということがわかった現代に暮らし、空を飛ぶ夢の中と現実の区別がおぼつかない私の時々はまことに非近代的である。かつては“成長”という名で未知の体験が推奨されていたものが、“老化”という名に変わって日々を彩る。

「進むように化けるように」と。


 かたや「見えざる手」などいう言葉で経済学では、市場の秩序を説明することがあるのを知って、お得意の擬人化だと思ったが、私達はどうしてこのように生命のないものに命を吹き込み、目的や意味を与えてしまうのだろう。合理的に考えるということは、脳の特質を知り、思考という罠に掛かっている事を自覚するところから始まると思う。始められればの話だが、、、

   

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