思春期の反抗のせいで、高度経済成長期の消費生活を疎んだ。ボォーヴワールに傾倒し自分を客体化せざるを得ないジェンダーに涙が止まらなかったこともある。手の平を返したように世の中というものが豹変することは戦前戦後を体験しなくても想像できた。力まず柳のようにいきたいものだが、力が入っていたと気づくのはいつでも力が抜けてからだ。 学歴も拒み才能も能力も低い。定職にも就きたくないし、結婚もしたくないつっぱり、不良、フラッパーに甘んじた。日常を飛び越える魔力のある恋愛だけがリアルであ
レトリックなのか、哲学的な命題なのかわからない。 「人間は、どこから来て どこへ行くのか?」には、興味も到底頭も及ばない。 生物は皆、初め似たようなゼリー状のようなもので出来ていて、やがてそれぞれが多種多様な個体に進化してゆく。人の胎児は、エラがありやがてしっぽが生えてくるという。個体発生には、このような進化の歴史を辿る系統性があるということだ。行き場を失ったような尾てい骨をついつい触って確認してしまう私の癖は、は私と言う存在が、意識であり、生物であると言うことにちょっ
「遊びをやめて帰らなければならない夕方になると、胸がしめつけられるような、つらい気持になります。いっぱい遊んだし、帰らなくちゃいけないこと、わかっているのに、この悲しい気持は何なのですか?」 答え 「それは切なさというものです」 今日、こんな書き出しの本を立ち読みしたような気がしました。 ドラマチックな人生は周辺にまかせ、常に目立たず、騒がずが身の上でしたが、この度身体上の都合で3ヶ月の休職を取らざるをえなくなりました。お騒がせ・ご迷惑に身が縮む出来事、又学年