【シャニマス】正解・不正解の判断、自分だけに許された権利【Straylight(ストレイライト)】
2019年6月30日、ついに待望の新ユニットイベントコミュ『Straylight.run()』が実装された。
タイプミスではない。
時期はStraylightが結成される本当の初め、まだ3人が出会っていない時から始まる。さて、このイベントを言うとすれば、
今までのシャニマス界に真っ向から反発する内容である。
今までのシャニマスと言えば、濃厚な掛け合いで、エモーショナルなキャラクター同士の友情や親愛を描いた物となっていた。
だが、今回のイベントではそうではない。キャラクター同士の掛け合いはたんまりある。あり過ぎるくらいだ。じゃあ何が違うのか?
それは、友情や親愛なんて物をかなぐり捨てた泥臭い人間同士の衝突と、己を曲げぬ者に対する第三者の無力感を描いたストーリーだからだ。
貰った仕事をとりあえずこなして行けば評価はされるんじゃないかと言うあさひと、それだけでは駄目だ。応援してくれる人が居なくてはアイドルは駄目になってしまうという冬優子。何がアイドルとして大事なのかという『正解』が全く定まっていないのだ。
別のユニットがチュ♡チュ♡チュ♡とか言って幸福論を誕生させている裏で、このユニットは互いの存在と価値観を真っ向からぶつけ合っているのだ。幸福論どころでは無い。
「僕達は一体何と戦わなくちゃいけないのか。話はまず、それからだよ。」
というキラ・ヤマトの幻聴が聞こえてくるレベルである。
最も大きくぶつかるシーンでは愛依の方向性についての話である。舞台上でアガってしまい上手く言葉が出ないことを逆手に取り、無口でミステリアスなクールキャラとして売っていこうとなった愛依。どちらかと言うとvisualの方面での売り方を模索している愛依に対し、冬優子は可愛く見せて少しでも印象に残る様に振舞ってみてはどうかと提案する。冬優子のアイドル像の模範回答を、愛依へ持ちかけた。
しかし、あさひはそれをバッサリと断ち切る。それは愛依に対するアプローチとしては違う。今のままで愛依は充分ファンを獲得出来る資質があるのだから、無理して作るそのキャラクターは間違っていると言うのだ。
こういうのはどうかな?とか、こんなのもいいと思う。と提案してそれも良いね!と湧き上がるのが今までの定石だったのが、真っ向から意見の対立が起きたのだ。しかも、アイドル達をプロデュースするというゲームにおいてアイドル像についてで対立が起きているのだ。由々しき事態である。与り知らぬ所で何やら根底的な対立が生まれてしまっている。
理想のアイドル像に向けて自らをそちらに寄せてアイドルになろうとする冬優子と、ありのままの自分にアイドルとしての魅力を見つけて欲しいと願うあさひの決定的な確執。
外面を理想の物にした偶像になりたい冬優子と、ありのままの内面を曝け出して生きていたいと言うあさひのどうしても分かり合えない価値観。
揺るぎない価値観を持つ2人。絶対に分かり合えない両極端の2人に陰りが見える。
皆このユニットが小出しに明らかになっていくにつれて、
(これどんなユニットコミュになるんだ…?)
と思っていた事だろう。その答えの1つはこれだ。幸福論も、光のdestinationも無い、ドロドロの偶像劇。
アイドルが、アイドルとして分かり合えていないのだ。終わりか?終わりだろこれ。
しかし、そこで口を開いたのが当人の愛依である。2人の『アイドル』という偶像に対する価値観に対し、素直に凄いと発言するのだ。
可愛いアイドルとして自らを上手く形作ろうとする冬優子の意見もめちゃくちゃ分かるが、それで上手くやれずに自爆したら元も子もないからあさひが言うように自分らしさでアイドルをやっていくというのも凄く大事だと思うと言うのだ。
これは愛依が見兼ねて口にした言葉では無い。何故なら、愛依は最後まで口を挟まなかったのだ。途中でウチはそんなんじゃ無い。とかウチの為にそんな風に良い争わなくて良いと止める事も出来た筈だ。それを態々全部吐き出させた後に、どちらも納得できると言う答えを出したのだ。純粋に、『アイドル』というものに対する価値観を、只々貪っていただけだ。
『己の価値観を持っている』
それが愛依にとって尊敬すべき点であり、目指すべき場所だと認識する。
2人の話を聞いて、答えは出せずとも自分なりに頑張ってみせると笑顔で語る愛依。
ストレイライトが、やっとスタート地点に地に足つけた瞬間だった。
"振り返ればそこにあるスタートライン まだ進んじゃいない もう一度夢を拾い集めてみよう"-sunset switch:モザイクカケラ より
ひと段落したと思っていた矢先に入って来た仕事では、イベントの審査員と別のアイドルグループが繋がっていて組織票が動いているという噂を愛依が聞きつける。その愛依の不安を消し去るように意気奮闘するあさひ。しかし、冬優子の目には陰りがあった。
冬優子は恐らく、火の無いところに煙は立たない事を理解していたのだ。噂は本当だと分かっていた筈だ。アイドル業界に詳しい冬優子が、只の風の噂と聞き流す筈はない。
結果的には、あさひが真正面から正攻法で他アイドルを潰しにかかってしまった。純粋過ぎる才能が、暴走してしまう。プロデューサーも思わずあさひに問いかける。
「なんで突然あんな事をしたんだ?」と言うもの。それに対してあさひは、
「どうやって点数を付けているのか分からない。同じ事をすれば上手い方が点数が高くなる筈だから同じ事をした。」
と言う返答をする。ごもっともだ。あさひは何も間違ってなどいない。だがこれに対して冬優子は憤ってしまう。
なんでそんな事をするんだ。
いつも勝手な事をするなと言っているのに。
いつもいつも言う事聞かないで行動して。
冬優子は、涙を流していたのだ。何の涙なのだろう。
自分1人でアイドルが出来ない事への憤りだろうか?
芹沢あさひという分かり合えるはずもない人間に対する怒りだろうか?
こうなってしまった事への後悔だろうか?
恐らくどれでもない。冬優子はきっと、アイドルというものの在り方に涙を流していたのだ。あさひは自分の思うアイドルに向けて精一杯行動しただけなのだ。自らが思うアイドルを目指す。それは、同じユニットの仲間として紛れもなく本物に映っていた筈だ。
アイドルになる為に頑張った事を、否定しなければいけなくなってしまう現状に対して涙を流していたと思うのだ。
そう、このユニットの根本的な問題。それは、アイドルに対する知識から来る捉え方の違いなのだ。
アイドルが好きだからこその冬優子の葛藤が、他の2人には全く無いのだ。よく言えば純真、悪く言えば無知だ。
そんな冬優子が、声を上げる。
あさひのやり方では駄目だ。と力強く繰り出す冬優子。あさひと愛依に良く見ておけと言い、自らが思うアイドルふゆとして堂々のパフォーマンスを行う。その結果は…
これである。終わりですね。
–完–
ではなく、冬優子は自らの理念を貫きパフォーマンスを行い、あさひと同じ結果を出す事になる。覆す事は叶わなかったのだ。
しかし、その姿を見てあさひは考えを改めようとする。
冬優子が正しかった。自分は間違っていた。楽しくも無い事を無理してやるなんてやってられない、と言っていた自分がそもそも何かをする舞台にすら立てていなかったという事を噛み締めるのだ。
これに対して冬優子はそうじゃない。と、あんたはセンターなんだからセンターらしくしなさいと素の冬優子として助言をする。
冬優子は誰が正しいかなんて、説いていないのだ。それぞれの持つアイドルという偶像が、認められるか認められないかということ。その事実だけを見ているのだ。
現状、誰も認められていない。だからと言って駄目だなんて冬優子は言わないのだ。
あさひにはあさひの、冬優子には冬優子の、愛依には愛依の偶像があって、何が正解だなんて決めつける人間は何処にもいないのだ。
"身に纏うは迷光、少女たちは偶像となる"
迷光(Straylight)とは、簡単に言うと光の乱反射で生まれるゴーストやフレアと呼ばれる不確かな像の事である。
この不確かな要素を身に纏っていると言うのは、ミステリアスと言う意味と共に彼女達が持つ別々のアイドル像そのものに対する定義なのではないだろうか。正解か不正解か、その真偽すら分からない彼女達の思う偶像に対する呼び名。ストレイライト。
ある意味、このストレイライトというユニットをアイドルにするのは他でもない私達ファンでありプロデューサーなのではないだろうか。アイドルとして世に出てきたのではなく、3人にアイドルとしての役割を与えて欲しいというメッセージすら感じる。
終わりの方に関しては私の方からは語らない。このユニットの全てが詰まっているからだ。是非まだこのイベントを見ていない方は、最後まで見てもらいたいと思う。きっとその時貴方はこう言うだろう。
シャニマスくん恒例のイベント中のタップ
さて、タイトルにもした文章。実はとある歌の歌詞なのだ。興味があれば聴いて貰いたい。(画像タップでYouTubeに飛びます。)
最後にこの曲中から、ストレイライトに合わせたい歌詞を連々引き抜いて行きたいと思う。
『たった一度笑えるなら 何度だって泣いたっていいや』
『精一杯 運命に抵抗 正解・不正解の判断 自分だけに許された権利 』
『精一杯 存在の証明 過ちも間違いも 自分だけに価値のある財宝』
『誰もが皆 それぞれの船を出す それぞれの見た眩しさが 灯台なんだ』
『敗北も後悔も 自分だけに意味のある財宝』
『嵐の中嬉しそうに 帆を張った 愚かなドリーマー 誰もがビリーヴァー 永遠のドリーマー』
おしまい。