駄々文#15
(祝)生活リズム改善記念文章
朝早くから起きているとどうしてこんなにも一日が長く感じるのだろう。
今朝は目覚ましよりも1時間早い6時半に目を覚まし、もう読書を済ませギターの練習を済ませ朝食を済ませ、なお持て余し文を書いている。
逆に何故遅く起きると一日が短く感じるのだろう。そしてあの謎の後ろめたさはなんだ。
きっと幼少期の教育によって刷り込まれたものが今も尚猛威を振い続けているのであろう。
私はこれから先も自らにとって自然やもしれぬ生活へ徐々に徐々に引きずられていく度に、昼過ぎに起きるのは怠惰、深夜に起きているのは健康に良くないことという強迫観念に苛まれるのだろう。
今回もその脅迫に耐えかねて半ば無理矢理朝方の生活へと戻したがどうだ。こんなにも世界が輝いている。この輝きが、真なのか幻なのかは定かではない。何もわからないまま死んでいくのだ。
両親は私よりも早くに起き支度を済ませて山へ行った。
毎年この季節になると岐阜蝶を見に行くのが恒例となっている。別にそれでなくても山にはしょっちゅう登っているのだが。
私もこれが書き終わったら外へ出よう。
昨日から聴いている70年代King Crimsonのライブ音源集The Great Deceiverの続きを聴かなくては。膨大だが、何周かしたい。
私は生活が鬱屈してくると読書をする。鬱屈という言い方は一般論を含んでいて、私の中では少なくとも充実である。
そこまで読書家というわけではないが、森見登美彦の本は全て持っていて、今回処女作である太陽の塔に三度目を通しているところだ。
初めて読んだ当時、四畳半神話大系や有頂天家族のアニメから入った私にとって太陽の塔にはどこか物足りなさを感じていた。それでいて文章の癖というか男臭さが凄まじく、なんだかとてつもなく無駄なものを見せられているのではないかという気持ちになった。
しかしその物足りなさが私の興味心に余韻を残した。
好きなバンドの地味で一般受けしないアルバムを理解して好きになりたいという気持ちのようなものだ。
それと、ファンタジーにしきれていない感じというか、実体験と創作がかろうじて上手く融合せずに、自伝的な雰囲気を強く醸し出しているのも気に入った。
手軽なペーシ数も助けて、本でも読むかとなるとまず手にとってしまうようになった。
そして、今回が一番強く響いてくる。やはり本は何周もするべきである。事あるごとに、何周も。
読んでいる途中でふと中学時代の恋愛を思い出した。
3年間ほぼ丸々執心していた子がいた。ついに一度も同じクラスにはならなかったが、3年も終盤に差し掛かった時、共通の友人を通じて話をするようになり、何人かで一緒に遊びにいくまでになった。
その日のために前日服を調達したが、とてつもなくダサいものだったと記憶している。しかもパツパツであった。
遊びに行ったボーリング場のくじ引きで友人がディズニーランドのペアチケットを当てたのだが、”一緒に行く人がいないからいらないよお”と不貞腐れていた。
その後に行ったサイゼリアで、ドリンクバー全混ぜドリンクを一気飲みした報酬としてペアチケットを手に入れた私は、あろうことか数日後友達伝に手紙でその子を誘った。
その日の放課後、やはり友達伝にもらった返事の手紙には、丸みを帯びた女子らしい字体ででかでかと
”そうゆうのは今度がいいなあ。”
とだけ書いてあったのを今も鮮明に覚えている。
今度とはいつのことか、もうそろそろだろうか。
私は賢い子供だったので、ペアチケットはチケットショップに行って換金した。中学生の小遣いにしては上等な値段がついた。
余談
その前だったか後だったかは忘れたが、当時仲良くしていたクラスメイトもその子を好きだったことが判明した。彼から言ってきたのだ、理科室だったと思う。
彼は私のような陰のもの達とつるんでいて目立ってこそなかったものの、学年でもトップ3に入ったであろうイケメンで、しかもおしゃれだった。
あんなにも可憐な子なのだから他にも狙っている奴はいるだろうとは思っていたが、まさかこんな近くにいたとは、私は身構えたが彼はこう続けた。
“まあ本田にならとられてもいいかな、俺はダメだったからさ、頼んだよ”
ダメだったが何を指すのかは定かではないが、仮に告白して振られたのだったら私は絶望するしかない。こんなイケメンでさえダメなのだから。彼女は面食いだともっぱらの噂だった。
そして、その全幅の信頼はなんなのだ。上っ面だったとしてもあまりに眩しく、あまりに難解で、あまりに重たかった。
もちろんその後私が期待に応えることはなく、ただただ同じ女を好きなった男同士の友情が深まっただけであった。