駄々文#6
いきなり真面目に作業したり向き合ったりし始めたもんだからか、急激に目が悪くなっているような気がしましてね。もう少し休憩を挟んで、遠くの方でも見る癖をつけようとぼんやり雲を眺めていたら、”遠くを見る癖”というタイトルで曲が浮かんで参りましたので、近々お聴かせできるように作っていこうかと思います。
こうやってタイトルとか、お題が先に決まるとなんだかんだで作りやすいわけですけど、私は元来生活感漂う詞を極力避けてきた人間だったので、あまり生活の中にお題を見出したくなかった。だからと言って特別何か訴えかけたいこともなかった。強いて言うなら音楽楽しいぜかもしれませんけども、そのまま歌詞にするのはまあありえない、当時の私からすれば特にね。だから内面から何かしら引っ張り出してきて、それをファンタジーとこねくり回すということをやって歌詞を作っていました。
そして驚きなのが、先日公開した第一回ラジオにて、あれだけ名前は大事だと言っていたのにも関わらず、当時の私は完成したソロの楽曲に関して名付けておりませんでした。まあ、それはそれで想いがありまして、名前というものは個を認めさせる力がありますね。それが作品のタイトルなら尚更です。作品の内容に関するなんらかの意味があるに違いないとまずは考えるはず。私にはそれが、作品を人々によって時々によって自由に解釈するのを妨げると思いました。そもそも私だって、絶対この名前がいいというのは多くの曲に対してなかったわけです。なのに無責任に運命を決定づけることもないだろうと。なので、毎回違うことを言っていましたね。名前はないと言ったり、その日の気分で名付けてみたり、”ルートに対して短2度と増4度を当てがったアルペジオによる曲”みたいな構造そのものの説明みたいな名前をつけた日もありましたね。作品という、個を決定付けられる定めにあるようなものを、好きな時に好きな名前で呼んでやろうと、親だからこそできるってやつですね。しかし、やっぱり不憫でしょうか。
そうか、あの頃の曲には未だに名前がないから、今度つけてやらねばな。
青い鳥はカワセミでした。一緒に眺めていた人によると、写真のこいつは餌を取るのが下手くそなんだそう。
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