駄々文#18
前回ちょろっと話した通り、来月から音楽にまつわるディレクションみたいな職に就くことになったので、きっとメインストリームの音楽をちょっとは知っておいたほうがいいのだろうと思って椎名林檎の新譜を流しながら文字を打つ昼さがりです。
昼下がりといっても私は先ほどベッドから起き上がったのです。
昨晩、1年ほど前に最終章近くまで進めておいてそのまま放置していたゲームをふと思い出したかのように続きから始め、クリアしていたのです。
気がつけば夜更かし、ゲームはいけないね、時間泥棒だ。
しかししばし待たれよ、本当に悪いのはゲームではなくて私ではないか。
私自身の管理責任を問う、そういう時代だ、一周回ってそうでもなくなって、きてはないかまだ。
ゲームに限らず、ここ数日徐々にルーティンが崩れてきている、お馴染みのバイオリズムだ。
過去のデータと照らし合わせながら、原因の心当たりを探るといつくか思い当たる節がある。
まず、自分のこういった試みを直接人に流布した。
夢は口に出したほうが叶うなどと言うし、私もそれを信じて率先して自分がやっていきたいことは口に出すようにしている。
しかし、思い返してみれば私の場合は誰かに自慢げに話した途端に安心して、気持ちが緩む気がする。
それはすなわち内容継続よりも、俺はこんなことやってんだぜーってことを誰かに自慢することの方が主な目的になっているということを案に示しており、ああもうやだこの自己承認欲求モンスターってことで実に不本意であり恥ずかしい。
次に、継続していくにつれだんだんと完璧主義的になっている。
最初はちょっとしたことでも楽しいし、できなくても当たり前という免罪符があるから気にならない。
しかし、ある程度慣れてくると、新しい発見は自ら能動的に探していかねば満足いくものでなくなる。
それに加え、こんなにやっているのにまだこれしかできないという、理想の進度を保てないことに後ろめたさを抱いてくる。
そこで私は大抵の場合焦ってしまう。
じゃあ今日はできるまでやろうとか、そのことしか考えられなくなって、生活のバランスは崩れ、満足いく結果が得られる極々稀なケースを除けば、それが原因でしばらくお別れといった具合になる。
つまり、とてもじゃないけどとても人に自慢できるほどではない、努力とか言えるもんではないような、息を吸って吐くように当たり前な半自動的な習慣を、自分にも期待せずに淡々と、しかし不良品を弾く検品機のごとく目を光らせながらこなせと。
実際、楽器の鍛錬中色々と試していく中で最もしっくりきたのは、感情を筋肉に乗せないようする=ロボットに近づくことであった。
説明するのが難しいのだが、人の身体は必要な動き以外の動きが出来すぎる。
変にあれこれ考えたり、感情が乱れたりしてそれが筋肉に伝わると、余計な動きが加わって効率的な動きにブレが生じるのだ。
自分を見つめ直すその都度都度で、とても難儀な問題に曝露される。
それは、自分の役がいち有象無象の歩兵でしかないという事実だ。
飛車ではない、ビューンと行けないのだ。
それでも私たちは眠る度に一度死に、生まれ変わるチャンスに恵まれている。
歩み続ければ金に成れるのだと、ここはいい意味での成金を提案しておく。
その割には、桂馬並みに曲がりくねった道を歩んではいるが。
急に将棋に例え始めたところで、椎名林檎が終わって勝手に”たまものまえ”が流れ始めたのでここまで。