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太腿の幻想


風呂で湯船に浸かりながら、スマホにブルートゥーススピーカを繋げてYoutubeで昔の小説の朗読をよく聴く。先日お気に入りの朗読のナレーター海渡みなみの「朗読アラモード」というチャンネルで「晩菊」(林芙美子)を聴いていたら、始まりの部分に脚フェチとしたら聞き捨てならない描写があり、後日もう一度聴き直した。さらにネットで検索したらテキストになっていたので以下その部分の抜粋。

五十六歳と云ふ女の年齢が胸の中で牙をむいてゐるけれども、きんは女の年なんか、長年の修業でどうにでもごまかしてみせると云つたきびしさで、取つておきのハクライのクリームで冷い顔を拭いた。鏡の中には死人のやうに蒼ずんだ女の老けた顔が大きく眼をみはつてゐる。化粧の途中でふつと自分の顔に厭気がさして来たが、昔はヱハガキにもなつたあでやかな美しい自分の姿が瞼に浮び、きんは膝をまくつて、太股の肌をみつめた。むつくりと昔のやうに盛りあがつた肥りかたではなく、細い静脈の毛管が浮き立つてゐる。只、さう痩せてもゐないと云ふことが心やすめにはなる。ぴつちりと太股が合つてゐる。風呂では、きんは、きまつて、きちんと坐つた太股の窪みへ湯をそヽぎこんでみるのであつた。湯は、太股の溝へぢつと溜つてゐる。吻(ほ)つとしたやすらぎがきんの老いを慰めてくれた。まだ、男は出来る。それだけが人生の力頼みのやうな気がした。きんは、股を開いて、そつと、内股の肌を人ごとのやうになでてみる。すべすべとして油になじんだ鹿皮のやうな柔らかさがある。

「晩菊」はかつては美貌を誇っていた芸者が56歳になり、昔の男と久しぶりに会った時の主人公きんと男の、腹の探り合いのような駆け引きを描いた短編小説である。この一節は鏡の前に座り、男に会うために化粧している56歳、独身、今で言うアンチエイジングの描写の中で、老いと戦う切ない女の気持ちを描いている。久しぶりに訪れた男のほんとうの目的はきんに金を借りることだった。昔恋仲だったが互いに歳を重ね、話をしているうちに、きんには男に対して失望を感じてしまう。それでも男はなんとか取り入ろうとはするがきんはそれをしたたかにかわす…。

朗読の全編は以下から聴けます。
https://www.youtube.com/watch?v=HrmDjrKvXok

フェティッシュな小説ではないが、この部分はなんとも脚フェチ心をくすぐられる描写である。ぴっちりと閉じ合わされた静脈が透ける白い太腿の間に湯がたまった様子を撮ってみたい誘惑に駆られるが、もし撮ったとしてもこの一節には敵わないような気がする。言葉で表現された情景は人それぞれではあるけれど、脚フェチの妄想は写真を越えて膨らむ。

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