『彼女としゃっくりと噂話』
「しゃっくりは、
ビックリすれば止まるんだよ」
と言って熊耳理沙は、
私にキスをした。
私が幼稚園の時の出来事だ。
30を過ぎて結婚し、
自分の子供が
その時の自分と同い年になった今でも
私は、しゃっくりをする度に
熊耳理沙を思い出す。
熊耳理沙は、幼稚園のクラスに
必ず一、二人はいるマセた女の子で、
多くの男の子に
ちょっかいを出しては喜んでいた。
子供ながらに
目鼻立ちの整った顔で
その大人びた性格は、
男の子もまた何かに目覚める
きっかけとして十分すぎるほどだった。
小学校も中学年になると
熊耳理沙の美しさは
めきめきと頭角をあらわし、
それと反比例するように
性格はお淑やかになっていき
6年生の時に
熊耳理沙の人気は
不動のものとなっていた。
私としては
マセていた頃の熊耳理沙のほうが
好みだったが、
やはりその美しさと人気の高さから
中学校を卒業するまで
クラスは違えども
私も彼女に片思いする一人だった。
一度だけ違う幼稚園に通っていた
友人にキスのことを自慢したが
全くと言っていいほど信じてもらえず、
それどころか彼女の経歴を汚した
嘘つき呼ばわりされ
危うくイジメラレッコに
転落しそうになった。
それ以降、私にとっても
その出来事は完全なタブーになり
二度と口にすることはなかった。
高校に進学して
多くの地元の同級生と
バラバラに分かれ
熊耳理沙との縁もそれっきりになり、
私は私で
新しい恋に勤しんだりした。
そして大学受験間際に
中学校のクラス会があり、
久しぶりに熊上理沙という名前を聞いた。
年上の男と付き合って、2度妊娠し
2度堕胎したということだった。
その話にショックを受ける
同級生の男たちが多い中、
幼稚園の頃のイメージが
根強かった私には
思いの他、すんなりと受け入れられる
エピソードだった。
成人式に熊耳理沙は出席せず
やはり似たような噂を聞くだけに至った。
美人はそれだけ噂に絶えない
ということだろうか。
それから東京に出た私は
地元に帰るたび
彼女の噂を聞くことだけは出来た。
海外に移住したとか、
どこかの青年実業家の心を射止めたとか、
雑誌のモデルになったとか、
もうすぐ100歳になる老人と
婚約して遺産を狙っているだとか、
その殆どがいい加減で
ろくでもないものだったが、
それでも熊耳理沙の話を聞くことは
帰省したときの私にとって
楽しみの一つだった。
一番新しい噂では
銀座でホステスのママをやっているらしい。
もしかしたら、
偶然の再会なんて事が
あるかもしれない
と妄想を膨らませてみたりもしたが、
私と彼女がまともに関わっていたのは
幼稚園のときだけだったので、
きっと会話にすぐ詰まることだろう。
別に今更、熊谷理沙と関係を持ちたいとも
思ってはいない。
それでも考えてしまうのは
その場でしゃっくりをし始めたら
今の熊耳理沙は
キスをしてくれるだろうか?
ということだ。
きっとしてくれないだろう。
なぜならあの時のキスで私のしゃっくりは、
全く止まらなかったのだから。